第三話 「御膳所は生きている」

第三話 「御膳所は生きている」


——これは、わたくし曲直瀬やよいが、

大坂城の御膳所という“生き物”の正体を、

はじめて全身で感じた日の記である。


 


◆ 朝五つ(午前八時)

御膳所は、もう戦場だった。


「火ぃ強めろ!」「水、足らんぞ!」「鯛、まだ来てへんのか!」


怒鳴り声が飛び交い、

大鍋はぐらぐら、

炭はぱちぱち、

包丁はトントントン。


やよいは、ただその真ん中で目を丸くしていた。


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🍳 ◆ 御膳所の“カオスな仕組み”を、やよいが見たまま説明すると…


● 大台所(おおだいどころ)=火の国

- 宗右衛門(そうえもん)

→ 御膳所の総大将。声がでかい。怒るともっとでかい。

- 与兵衛(よへえ)

→ 大鍋担当。腕が太い。鍋も太い。

- 新三郎(しんざぶろう)

→ 焼き物担当。火の前から離れない。顔が赤い。


ここは、男たちが火と戦う場所。


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● 小台所(こだいどころ)=手の国

- お澄(おすみ)

→ 中年寄。御膳所の“お母さん”みたいな人。怖いけど優しい。

- お市(おいち)

→ 筆頭女中。やよいの天敵。美しいけど刺さる言葉を言う。

- お梅(おうめ)

→ ちょっとドジ。でも笑顔がかわいい。


ここは、盛り付け・器・味の仕上げをする場所。

細かい。とにかく細かい。


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● 御味見所(おあじみどころ)=命の国

- 片桐且元(かたぎり かつもと)

→ 大坂城の重臣。毒見の最終確認をすることもある。

- 御広敷番頭・山城守(やましろのかみ)

→ 第一毒見担当。顔が怖い。舌はもっと怖い。


ここは、料理が“命に関わるかどうか”を決める場所。


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● 御用達(ごようたし)=食材の国

- 堺屋宗兵衛(さかいや そうべえ)

→ 魚の仕入れ担当。堺の海を知り尽くす男。

- 天満屋徳右衛門(てんまや とくえもん)

→ 野菜の仕入れ担当。天満市場の王様。


ここは、食材の宝の山。


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🌪 ◆ やよい、カオスの渦に巻き込まれる


「やよい! 水や! 桶持って走れ!」


宗右衛門の声が飛ぶ。


やよいは桶を抱えて走る。

走る。

走る。

走る——が、途中でお梅にぶつかりそうになる。


「きゃっ! ごめんやよいちゃん!」


「だ、大丈夫です!」


桶の水が少しこぼれた。

土間に丸い染みができる。


(ああ……またや……)


すると、お澄がすっと現れた。


「やよい。水は命や。

 こぼしたら、こぼした分だけ味が薄なる。

 薄なったら、殿のお体に響く。

 覚えとき」


やよいは深く頭を下げた。


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🍱 ◆ 御膳所の“流れ”をやよいが理解する


宗右衛門が、やよいに指で順番を示した。


「ええか、やよい。

 御膳所はな、こう動くんや」


① 食材が来る

堺屋宗兵衛が魚を担いでくる。

天満屋徳右衛門が野菜を抱えてくる。


② 大台所で火を入れる

与兵衛が鍋を振る。

新三郎が焼く。


③ 小台所で仕上げる

お澄が味を見る。

お市が盛り付ける。


④ 味見所で毒見

山城守が舌で判断する。

時に片桐且元が最終確認する。


⑤ 御殿へ運ぶ

御仲居たちが膳を運ぶ。


「この流れが一つでも止まったら、

 城は動かん。

 戦もできん。

 殿も食えん。

 つまり——」


宗右衛門は、やよいの額を軽く指でつついた。


「ここは、城の心臓や」


やよいは、胸が熱くなった。


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🍚 ◆ 一段落したら、賄い(まかない)の時間!


昼の御膳が無事に出され、

御膳所にようやく静けさが戻った。


「ほな、賄い作るでー!」


与兵衛が声を上げると、

みんなの顔がぱっと明るくなる。


「やよい、こっち来い。

 賄いはな、台所所の“ほんまの味”や」


宗右衛門が、やよいに包丁を渡した。


「今日は、鯛のあら汁や。

 殿様の膳には乗らんけど、

 わしらにはこれが一番うまい」


やよいは、鯛の骨を見つめた。


(骨の流れ……昨日と同じや)


包丁を入れると、

骨が「ここや」と教えてくれるようだった。


「おお、やよい。

 やっぱりおまえ、骨の声が聞こえとるな」


宗右衛門が笑った。


お市も、少しだけ驚いた顔をした。


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🍲 ◆ 賄いの味


あら汁が煮える。

味噌の香りがふわりと広がる。

菜の花が色を添える。


「いただきます!」


みんなで囲む賄いは、

やよいが今まで食べたどんな汁よりも温かかった。


(ここで働きたい……

 もっと上手になりたい……)


やよいは、両手で椀を包みながら思った。


その思いが、

後に医の道へとつながるとは、

この日のやよいはまだ知らない。


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◆ 老いたやよいの一行


——御膳所の賄いは、

わたくしにとって“家族の味”であった。

火と水と塩と汗でできた、

あの一椀の汁こそ、

わたくしの原点である。

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