第3章  The Empty Place ~空いた場所~

第11話 Sixteen, in the Morning ~十六回目の朝~

 木造アパートの一室に、朝の光が差し込んでいた。

 窓ガラスは砂で曇り、光は拡散して床に落ちる。

 それでも時間だけは正確に進み、朝が来たことを告げている。


 ロゼは布団を畳み、壁際に寄せた。

 洗面台で顔を洗い、水は最小限だけ使う。

 喉は渇いていたが、飲む必要はなかった。


 部屋の中央で、アルが装備の確認をしていた。

 ロングコートの留め具、銃、弾の数。


 ロゼは少し間を置いてから、声をかけた。


「あのさぁ」


 アルは返事をしない。

 ただ、一瞬だけ視線を送る。


「今日でアタシ、十六だよね」


 いつ、どこで生まれたのかは分からない。

 拾われたのは五歳の頃だったはずで、そこから数えて十一年が経つ。

 その積み重ねが、今日だった。


 アルの手が止まる。

 ほんの一瞬だけ。


「そうだな」


 短く答え、すぐに動作を再開する。

 それ以上、続けるつもりはない。


 アルは装備を整えたまま、淡々と言った。


「夜8時。エンドラインで待て」


 命令のような言葉。

 いつもの言い方で、特別な意味は含まれていない。


 ロゼは頷き、一言だけ返す。


「分かった」


 少し間を置いてから、ロゼは軽く息を吐いた。


「ハッピーバースデーくらい、言っても減らねぇだろっ!」


 冗談めいた口調だったが、笑ってはいない。


 アルは反応しなかった。

 ドアに向かい、鍵を手に取る。


「遅れるな」


 朝の光が、一瞬だけ部屋に差し込む。


 そして、閉まる。


 ロゼはしばらく、そのドアを見ていた。

 靴の音はもう聞こえない。


 

 一人になると、部屋の空気が一段落ちる。

 音が消えたわけではない。

 ただ、アルがいないだけだ。


 ロゼは、しばらくその静けさを受け入れてから動き出した。


 ロゼは洗濯物をまとめ、外の物干しにかける。

 砂が舞うが、気にしない。

 どうせまた汚れる。


 部屋に戻り、床を掃く。

 細かい砂と、何か分からない破片が集まる。

 それも、いつものことだった。


 ロゼは、手を動かしながら、頭の奥が別の時間に引きずられていった。



 アルに拾われたのは、十一年前。


 荒野の記憶は断片的。

 視界は低く、地面ばかりが見えていた。

 喉の渇きと空腹は限界で力尽きる寸前。

 喉が焼けるように痛く、声を出す力もなかった。


 小さな頭の中に「死」が浮かんでいた。


 それから、ここでの生活が始まった。


 料理を覚えた。

 掃除を覚えた。

 洗濯を覚えた。


 失敗しても怒られなかった。

 やり直せと言われるだけだった。


 代わりに、別のことを教えられた。


 銃の構え方。

 引き金に指をかけるタイミング。

 ナイフの隠し方。


 そして、生き残るための振る舞い。


 相手を油断させる距離。

 無害に見える立ち方。

 逃げるための位置取り。


 説明は少なかった。

 見て、覚えろ。

 それだけだった。


 初めて現場に同行したのは、十二の時。

 初めて人を殺したのは、十四の時。


 その感触は、今も覚えている。


 思考を切り上げ、ロゼはほうきを立てかけた。


 机に置いた銃に手を伸ばす。

 分解し、手入れをする。

 指は自然に動く。


 ルガーP08。


 古い自動拳銃。構造は単純で、癖も多い。

 砂に弱く、扱いを誤ればすぐに機嫌を損ねる。

 だが、そのぶん、応えてくれる。

 きちんと手をかければ、裏切らない。


 ロゼは、この銃が気に入っていた。

 軽すぎず、重すぎない。

 引き金の感触も素直だ。

 生きるための道具として、信用できる。


 窓の外を見ると、日が傾いていた。



(つづく)

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