第10話 Bar「End Line」 ~バー・エンドラインにて~

 バー『エンドライン』は、表通りから一本外れた場所にあった。

 夜の騒音から切り離されたような位置で、看板の灯りも控えめだ。

 わざわざ探さなければ辿り着けない。

 だが、一度知ってしまえば、必要なときには必ず思い出す店だった。


 ロゼは一人でカウンターに腰を下ろしていた。


「今日は一人なのね。……ま、顔見りゃ分かるけど」


 低く、少し掠れた声。

 褐色の肌にスキンヘッド。

 大柄な体に、妙に艶のある所作。

 マスターのリーロイ・カラエフは、鍋をかき混ぜながらロゼを見ていた。


「仕事だよ。あのクソ野郎、金にならねぇヤマばっか拾ってきやがる」


 ロゼの返事はぶっきらぼうだったが、店の空気を壊すほど荒れてはいない。

 カラエフは眉一つ動かさず、ふっと口元だけを緩めた。


「もう、ソロで動いてるって顔ね。あたし、そういう顔、昔から何人も見てきたの」


 ロゼは鼻で息を吐いた。


「勝手に決めつけんな。たまたまヤツが留守なだけだ」


「そういうことにしといてあげるわ」


 カラエフはそう言って、皿を一枚、カウンターに置いた。

 簡素な夕食。

 だが、栄養も量も計算されている。


 アルがいない夜は、いつもここだった。

 ロゼが頼んだわけではない。

 一度アルが連れ来て以来、自然とそうなった。


 カラエフは、アルの旧知の友人だった。

 それも、きれいな付き合いではない。


 二十年ほど前。

 アルがまだ今ほど孤立していなかった頃、二人は同じ仕事をしていた。


 殺し屋稼業の、バディ。


 ……いいバディだった、というわけではない。

 生き残った、というだけだ。


 当時のアルは、今よりもさらに切れていた。

 判断は速く、射線は正確で、迷いがない。

 仕事の完成度は高く、同業からも一目置かれていた。


 変わったのは、ある抗争の夜だった。


 マフィア同士の小競り合いが拡大し、住宅区画にまで銃声が届いた。


 流れ弾だった。

 アルもカラエフもこの抗争には関わっていなかった。

 狙われたわけでも、巻き込まれる理由があったわけでもない。


 アルの妹が、そこで死んだ。

 たまたまだ。

 たまたま、流れ弾に当たってしまった。


 六歳。母親の違う妹。

 兄の後ろをついて回るのが好きで、よく喋る、落ち着きのない子。


 即死だった。

 恐怖を感じる前に、命は途切れていた。


 アルは、その場で何も言わなかった。

 怒りも、悲嘆も、見せなかった。


 葬儀は、アルとカラエフの二人きりで見送った。


 その後もアルは、仕事を続けた。

 精度も落ちなかったし、失敗もしなかった。


 ただ、誰とも組まなくなった。


「……あたしは、それで正解だと思ったわ。あの人、誰かと組んだままだったら、今ここにいないもの」


 ロゼは、そこまで聞いてからフォークを止めた。


 カラエフは、ロゼの赤い髪に一瞬だけ視線を向ける。

 照明を受けて、血のような赤が鈍く光った。


「……妹の髪もね、あんたとよく似た色だったわ」


 何気ない調子だったが、言葉はそこで一度、区切られた。


 ロゼは少し間を置いてから、視線を落とす。


「……だから、アタシを拾ったのか?」


 カラエフは首を横に振る。


「違うわ。代わりじゃない」


 声ははっきりしていた。

 アルはロゼを妹として見ているわけではない。

 情を向けているとも言い切れない。


 カラエフは一度、言葉を探すように息を整えた。


「あの人ね」


 そう前置きしてから、ゆっくり続ける。


「行き倒れてたあんたを見たとき、妹の姿が重なったのは……事実だと思うわ」


 ロゼは何も言わない。


「あたしはね」


 カラエフは視線を逸らし、カウンターの端を見る。


「アルの欠けたままの心に、ぴったり嵌まるピースがあるんじゃないかって、一瞬だけ、思ったのよ」


 そこで、小さく肩をすくめた。


「……甘いわよね。あたし」


 それが正解かどうかは、分からない。

 アル自身が、そう考えたかどうかも分からない。


「でも」


 カラエフはロゼを見る。


「あの人は、“埋めよう”としてるわけじゃない。あなたを同じ場所に立たせてるだけ。生き残る側にね」


 生き残る側。

 戻れない側。


 ロゼは短く息を吐く。


「なら、期待外れにならないようにするだけだ。クソ野郎が」


 カラエフは肩をすくめた。


「その言葉、アルが二十年前に言ったのと、そっくり」


 それ以上、言葉は続かなかった。


 ロゼは皿に残った料理を口に運んだ。

 味は、さっきよりもはっきりしていた。


 バーの奥で、静かに音楽が流れている。

『エンドライン』の夜は、いつもこうして終わる。


 線を越えた者だけが、何事もなかったように、明日へ進む。


 

(第2章 了)

(第11話へ続く)

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