第4話 依頼(2/3)

 玄関の扉が開いた瞬間、祖父の視線が一瞬だけ揺れた。


 来人ではない。

 その肩に乗る、瑠璃色の小鳥――チカに向けられたものだった。


 この時代、ウェアラブルロボットは珍しくない。

 健康管理や防犯、記録用途として、多くの人が何らかの端末を身につけている。

 だが、美しい瑠璃色をした小鳥型のロボットは、さすがに目を引いたのだろう。


 祖父は何も言わず、すぐに視線を戻した。

 それでも、その一瞬の反応が、来人の記憶に残った。


「……どうぞ」


 居間は整えられていた。

 生活の匂いはあるが、散らかりはない。

 祖母が茶を運び、ぎこちなく会釈をする。


「詩音の部屋を、見ていただけますか」


 祖父の言葉は静かだったが、その奥に切迫感があった。


 廊下を進み、突き当たりの部屋の前で立ち止まる。

 祖父は扉に手をかけたまま、しばらく動かなかった。


「……あの子は、家出をするような子じゃない」


 独り言のように呟いてから、扉を開ける。


 詩音の部屋は、静かだった。


 机とベッド、本棚。

 壁際にぬいぐるみがひとつ。

 中学生の部屋として、ごく普通の配置。


 来人の視線が、机の上で止まった。


 スカラベだった。


 羽根を広げた甲虫をかたどった、小さなアクセサリー。

 深い群青色の体が、午後の光を鈍く返している。


 その瞬間、チカが即座に反応した。


『それは――

「ツタンカーメンの即位名でデザインされた、有翼スカラベの胸飾り」です』


 来人は、仕事の時は必ずスマートグラスをかけている。

 チカとの会話は、すべてその骨伝導機能を通して行われる。

 外から見れば、独り言をつぶやいているようにしか見えない。


『エジプト考古学博物館に収蔵されているものです』

『正確には――これは、本物と寸分違わないレプリカ』


「……レプリカ?」


 来人が小さく呟いた、その直後。


『画像を送ります』


 チカの声と同時に、スマートグラスの視界が切り替わる。

 展示ケースの中に収められた有翼スカラベが、半透明のウィンドウとして視界の端に浮かび上がった。


 深い青の胴体。

 色とりどりの石とガラスで構成された翼。

 細部まで、今まさに机の上に置かれているものと酷似している。


 来人は、改めて目の前のスカラベに視線を落とした。


「……本物そっくりだ」


 独り言のように呟きながらも、胸の奥に残る違和感は消えなかった。


 来人は、ゆっくりとスカラベに近づいた。


『おそらく、3Dプリンターによる成形です。

 ですが、使用されている素材は造形用樹脂ではありません』


 チカの声は、淡々としている。


『スカラベの体部は、ラピスラズリで構成されています』


 来人は、息を止めた。


『本物と同じ素材です』


 さらに、チカは続ける。


『本物には存在しない、小さな傷があります。

 落下、もしくは何らかの衝撃によるものと推測されます』


『傷の断面から、内部までラピスラズリであることを確認しました』


 ――つまり。


 本物と寸分違わない造形。

 素材も、本物と同じ。


 ――本物と、何が違うのだ。


 来人は、無意識にその違いを探していた。

 だが、見れば見るほど、答えは一つしか残らない。


 ……まさか?


「まるで、どこかの博物館に、今も展示されているものみたいだな」


 来人は、祖父母にも伝わるよう、あえて独り言めいた口調でそう言った。

 視線はスカラベに向けたまま。

 声の調子だけを、ほんのわずかに変える。


 チカは、瞬時に理解した。


 来人が本心ではないことを口にするとき特有のバイタル変化が、はっきりと出ている。

 脈拍は平常を保っているが、呼吸の間隔が微妙に乱れている。

 声の抑揚も、ごくわずかに不自然だ。


 さらに。


 さきほど、自分ははっきりと

「エジプト考古学博物館に収蔵されている」

と告げた。


 それにもかかわらず、来人は

「どこかの博物館に」と、意図的にぼかしている。


 そして――

「今も展示されている」という部分だけ、

わずかにゆっくり発音した。


 チカは理解した。


 これは確認だ。

 盗品ではないか。

 本物は今も、エジプト考古学博物館に存在しているのか。


 だが、その問いを祖父母の前で口にすることはできない。

 十四歳の少女の机の上にあるものに対して、

「これは盗品かもしれない」と発言するのは、

突拍子もなく、また、あまりに無神経だ。


 だから、来人は言葉を選んだ。

 そして、チカに委ねた。


 チカは、即座に外部データベースとニュースフィードを照合する。


「エジプト考古学博物館において、

 該当する盗難事件の報道は確認されていません」


 一拍置き、続ける。


「また、昨日付けの投稿ですが、

 エジプト考古学博物館を訪れ、

 この有翼スカラベを撮影したという記事が、

 SNSに掲載されています」


 ――盗難品ではない。


 その可能性は、ここで消えた。


 もっとも、仮に盗難品だったとしても、

 それが十四歳の少女の机の上に置かれている時点で、

 常識的には説明がつかないのだが。


 来人は、胸の奥で小さく息を吐いた。


 祖父母はいまの発言を、

 ただの独り言だと思って聞き流しているようだ。


 だが、違和感は消えなかった。


 本物と同じ素材を使い、

 寸分違わぬ造形で作られたレプリカ。


 ――いったい、誰が、何のために、そんなものを作ったのか。


 それは、本物でなくとも、

 相当な価値を持つはずだ。


 果たして、

 十四歳の少女が、

 簡単に手に入れられるような代物だろうか。


 来人は、再びスカラベに視線を落とした。


 この部屋には、

 まだ言葉にならない“何か”が、確かに残っている。

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