第2話 空白の整理
真壁来人は、他人の人生の終わりを整理する仕事をしている。
より正確に言えば、終わった人生の「痕跡」を整理する仕事だ。
机の上には、回収されたばかりのノートパソコンが置かれている。
薄く、軽く、どこにでもある量産型の機種。
そこに収められているのは、ある一人分の履歴――写真、動画、メッセージ、検索履歴、未送信の下書き。
人は死んでも、データは残る。
残りすぎるほどに。
「……さて」
来人は小さく息を吐き、スマートグラスをかけた。
それに連動するように、肩のホルダーに乗った小鳥型のウェアラブルロボットが、かすかに頭を動かす。
瑠璃色の外装。
鳥を模したその小型端末は、来人の視線や体調の変化に反応して、静かに稼働していた。
「マスター、血圧と脈拍が少し高めです。昨夜も、睡眠時間が不足しています」
女性の声色で、落ち着いた調子。
この時代では珍しくもない、健康管理機能を備えたウェアラブル端末の一種だ。
「大丈夫だ。いつものことだろ」
「“いつものこと”という言葉は、健康管理プログラムにおいて免罪符にはなりません」
即座に返される言葉に、来人は苦笑した。
「お前は本当に、俺を長生きさせたいらしいな」
「当然です。マスターの生存は、私の最優先事項です」
迷いのない即答だった。
来人はそれ以上言葉を返さず、ノートパソコンの電源を入れた。
画面が立ち上がり、ログイン画面が表示される。
パスワードはすでに依頼主から受け取っている。
家族が、故人の痕跡を整理するために、専門業者に委ねる。
それが彼の仕事だ。
警察を辞めてから、もう何年になるだろう。
正義も、使命も、あの頃の熱も、すべてどこかに置いてきた。
今の彼にあるのは、壊れたものを壊れたまま分類するための、冷えた技術だけだった。
「マスター」
肩の上から、再び声がかかる。
「今回の依頼主ですが。通常より、接触時の感情変動が大きいと記録されています」
「……そうか」
来人はキーボードに指を置いたまま、わずかに動きを止めた。
感情変動が大きい依頼主。
そういう場合、大抵は整理が終わったあとで後悔する。
――見なければよかった。
――知らなければよかった。
そう言って、泣く。
だが、来人はそれを止めない。
止める権利も、意味もない。
残されたものを読むかどうかは、本人が決めることだ。
読めば傷つく。
読まなければ、空白が残る。
どちらが正しいかなど、誰にも決められない。
来人自身、すでに何度も選んできた。
――読まない、という選択を。
「チカ」
「はい、マスター」
「もし俺が、ある日突然死んだら」
肩の上で、光学センサーの光がわずかに強くなる。
「不適切な仮定です」
「仮定だよ。ただの」
「マスターの生存確率を下げる発言は、推奨されません」
ぴしゃりと言われて、来人は小さく笑った。
「……悪い」
悪いと思っているわけではなかった。
ただ、口に出してみただけだ。
死ぬことに、彼はあまり恐怖を感じていない。
それは、いつからだっただろう。
真壁来人は、他人の人生の終わりを整理する仕事をしている。
より正確に言えば、終わった人生の「痕跡」を整理する仕事だ。
机の上には、回収されたばかりのノートパソコンが置かれている。
薄く、軽く、どこにでもある量産型の機種。
そこに収められているのは、ある一人分の履歴――写真、動画、メッセージ、検索履歴、未送信の下書き。
人は死んでも、データは残る。
残りすぎるほどに。
「……さて」
来人は小さく息を吐き、スマートグラスをかけた。
それに連動するように、肩のホルダーに乗った小鳥型のウェアラブルロボットが、かすかに頭を動かす。
瑠璃色の外装。
鳥を模したその小型端末は、来人の視線や体調の変化に反応して、静かに稼働していた。
「マスター、血圧と脈拍が少し高めです。昨夜も、睡眠時間が不足しています」
女性の声色で、落ち着いた調子。
この時代では珍しくもない、健康管理機能を備えたウェアラブル端末の一種だ。
「大丈夫だ。いつものことだろ」
「“いつものこと”という言葉は、健康管理プログラムにおいて免罪符にはなりません」
即座に返される言葉に、来人は苦笑した。
「お前は本当に、俺を長生きさせたいらしいな」
「当然です。マスターの生存は、私の最優先事項です」
迷いのない即答だった。
来人はそれ以上言葉を返さず、ノートパソコンの電源を入れた。
画面が立ち上がり、ログイン画面が表示される。
パスワードはすでに依頼主から受け取っている。
家族が、故人の痕跡を整理するために、専門業者に委ねる。
それが彼の仕事だ。
警察を辞めてから、もう何年になるだろう。
正義も、使命も、あの頃の熱も、すべてどこかに置いてきた。
今の彼にあるのは、壊れたものを壊れたまま分類するための、冷えた技術だけだった。
「マスター」
肩の上から、再び声がかかる。
「今回の依頼主ですが。通常より、接触時の感情変動が大きいと記録されています」
「……そうか」
来人はキーボードに指を置いたまま、わずかに動きを止めた。
感情変動が大きい依頼主。
そういう場合、大抵は整理が終わったあとで後悔する。
――見なければよかった。
――知らなければよかった。
そう言って、泣く。
だが、来人はそれを止めない。
止める権利も、意味もない。
残されたものを読むかどうかは、本人が決めることだ。
読めば傷つく。
読まなければ、空白が残る。
どちらが正しいかなど、誰にも決められない。
来人自身、すでに何度も選んできた。
――読まない、という選択を。
「チカ」
「はい、マスター」
「もし俺が、ある日突然死んだら」
肩の上で、光学センサーの光がわずかに強くなる。
「不適切な仮定です」
「仮定だよ。ただの」
「マスターの生存確率を下げる発言は、推奨されません」
ぴしゃりと言われて、来人は小さく笑った。
「……悪い」
悪いと思っているわけではなかった。
ただ、口に出してみただけだ。
死ぬことに、彼はあまり恐怖を感じていない。
それは、いつからだっただろう。
守るべきものを失った人間は、
自分の命を、少しずつ軽く扱うようになる。
そのことに、来人は気づいていた。
気づいたうえで、直す気はなかった。
「作業を続けるか」
そう言って、来人はログインキーを押した。
その日常の延長線上に、
これから彼の人生をもう一度動かすことになる「名前」が待っているとは、
この時点では、まだ知る由もなかった。
そのことに、来人は気づいていた。
気づいたうえで、直す気はなかった。
「作業を続けるか」
そう言って、来人はログインキーを押した。
その日常の延長線上に、
これから彼の人生をもう一度動かすことになる「名前」が待っているとは、
この時点では、まだ知る由もなかった。
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