第2話

 僕はその文字を見て、真っ先にトラップだと疑った。

 だが「レベルアップ」のその文字に、心の何処かが歓喜で暴れまわっていた。

 もっと慎重になれ! と何度も自分を諭したが、震える指は迷うことなく選択を終えていた。


 一体何が起こるのか、じっと様子をうかがってみたが、何も起こる気配はない。体に力がみなぎってくるわけでもない。


 「そんなにうまく行くわけ無いか……やっぱりトラップ?」


 今日は一人だ。助けてくれるメンバーもいない。急に心細さが込み上がり、次に何が起こるか敏感になっていた。

 すると、先程まで青白く光っていた周囲の古代語は、その光を緑色へと変化させた。

 壁の中央の文字は、いつの間にか変わっていた。



 《第二階層に移動します。よろしいですか? はい・いいえ》



 僕は慌ててステータスカードを引き剥がそうとした。

 少し吸い付くような抵抗はあったが、今度はかんたんに取ることができた。

 中央の文字は消えて、部屋の光は少し暗くなった。

 薄暗くても、入口がしっかり閉ざされていることだけは、はっきり確認できた。



「何だろうこのトラップ……危険ではなさそうだけど……閉じ込められたみたいだ……」



 部屋のあちこちを調べてみたけれど、脱出する手がかりは何も見つけられなかった。

 いままであったトラップと全く違い、何をしたらいいのかさっぱりわからない。

 何もできない状況に焦る気持ちばかりが募っていく。

 その時ふとさっきの壁のメッセージが頭に浮かんだ。



「第二階層か……本当かなぁ……」



 さっきのメッセージが本当なら、第二階層のどこかに飛ばされる。そこはもう僕のレベルでは太刀打ちできないモンスターがあちこちにいる。

 ただ何度も行ったことがあるので、無傷で帰る自信もあった。



「行くしか無いのか……」



 ここから出る手段はそれしか見つからない。

 僕を閉じ込めたトラップは、何故か悪意は感じない。


 あのメッセージを信じるしか無い。


 もう一度カードを壁に嵌めてみた。

 再び明るい光に包まれる部屋。

 壁に現れる選択肢。


 僕は恐る恐る《はい》に触れた。



 ――しばらくの沈黙の後、大きな地鳴りとともに部屋が激しく揺れ動く



「やばい!」



 僕は死を覚悟して、床に丸まり必死に頭をかばっていた。

 どれぐらい時間がたっただろう。

 先程の揺れが嘘みたいに、天井から落ちる水滴の音が壁に跳ねかえる。



「……なんなんだ一体……」



 僕はカードを壁からはなし、その紐を首にかけ直した。

 部屋は何も変わらず、薄暗く緑に光っている。

 先程の揺れで壁が緩んだのか、数箇所から数滴が一定のリズムで滴っていた。

 閉ざされていた入口はいつの間にか開いていた。



「とりあえず外に出なきゃ」



 僕はその不思議な部屋を後にした。

 眼の前にはこの部屋を訪れたときと同じ通路があった。

 通路が湿り気を帯びて濡れていること以外は。


 左手には地上への出口が見える。



「ここ、いつものダンジョンの入口じゃないの? ……」



 疑問に思いながらも、とりあえず無事に助かったことが嬉しくて、思わず駆け出して外に出た。

 だけど、眼の前に広がる風景を目の当たりにして、僕の足は重くなり、完全に静止した。


 ――そびえ立つ樹々が空を覆うように枝葉えだはを広げ、何人なんぴとたりとも寄せ付けぬ未開の深緑



「なんだよ……、ここどこなんだよ!?」



 木々の葉の間から日がこぼれ落ち、近くの小川からかせせらぎの音がかすかに聞こえてくる。

 鳥のさえずりが響き渡り、呼吸は肺の中を浄化していくようだった。


 後ろを振り向くと、地面から突き出たダンジョンの入口があった。

 いつものダンジョンと形は同じだが、割れた大地が覆いかぶさっていた。


 僕は何も考えずにその入口へと飛び込んでいた。右側には古代語が刻まれた不思議な部屋がある。

 通路は苔むしていて、その奥からは聞いたことも無いモンスターの雄叫びがかすかに響き渡っていた。


 僕は腰が抜けてしまっていた。壁に手を添えながら、なんとか部屋に戻り、無意識のうちにカードをはめ込んでいた。

 再び部屋は明るくひかり、中央にはメッセージが表示されている。



 《第一階層に移動します。よろしいですか? はい・いいえ》






 気がつけば僕は宿屋のベッドに横たわっていた。体はまだ震えている。



「……何だったんだ、トラップ? そんな生易しいもんじゃない……」



 僕の耳には、あのモンスターの雄叫びがこびりついて離れない。

 まるで別の世界に飛ばされたような、そんな心細さが何度も心に蘇る。



「なんであんな迂闊なことしちゃったんだ?」



 思い返せばレベルアップというメッセージが、心から望む、僕への甘美な罠だったのかもしれない。

 そんな反省ばかりがぐるぐる回り、思考を鈍らせていった。



「そ、そうだ! あのトラップは幻惑を見せるトラップだったんだ!」



 僕は行き着いた答えに安堵するかのように、体を跳ね上げ立ち上がっていた。

 その瞬間、首に何かがぶら下がる感触がした。


 僕はそっと手にとり、願うようにその内容を確認した。




 名前:カノン

 職業:エル・コンダクター ★☓0

 レベル:2

 スキル:空間収納、パラゴニア


 シークレット事項:

 エル・コンダクターの資格を有する

 第二階層転送権限

 中央端末アクセス権限




 ずっと夢見てきた「レベル:2」という記載は、僕を三日間宿に閉じこもらせるのに十分な、これ以上無い短い恐怖だった。

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