第53話

 ――覚醒から、三日後

 

 文字を書くのは久しぶりだ。

 

 記録を残せ、と言ったのは魔王だ。

 理由は聞いていない。

 

 聞かなくても、たぶん「必要だから」なのだろう。

 

 

 あの日のことは、ところどころ曖昧だ。

 

 全身を内側から引き裂かれるような痛み。

 心臓が、何度も破裂しかけた感覚。

 

 叫んだかどうかは覚えていない。

 

 ただ、意識が途切れる直前、

 リリアの声だけが、やけにはっきり聞こえた。

 

 

 目が覚めたとき。

 

 世界が、少しだけ違って見えた。

 

 音が、近い。

 

 遠くで骨たちが動く音、

 城の奥で魔力が循環する流れ、

 風が壁に触れる微かな摩擦。

 

 全部、分かる。

 

 見える、というより――

「理解できる」に近い。

 

 

 魔法が使えるようになったわけじゃない。

 

 火も出せない。

 光も出ない。

 

 けれど。

 

「ここに立てば、崩れる」

「ここを踏み出せば、保たれる」

 

 そんな感覚が、最初から“知識”として頭にある。

 

 魔王はこれを、

 世界の調停者の基礎だと言った。

 

 

 調停者。

 

 争いを終わらせる者ではない。

 善悪を裁く者でもない。

 

 世界が壊れないよう、

“均衡が崩れすぎた場所”を正す存在。

 

 魔王は、淡々とそう説明した。

 

「お前は、選べない」

「世界に選ばれる」

 

 そう言われたとき、

 背中に冷たいものが走った。

 

 

 能力の変化は、静かだ。

 

 剣を振っても、前と変わらない。

 走っても、急に速くなったわけじゃない。

 

 ただ。

 

 相手が動いた“理由”が、分かる。

 

 次に何を選ぶかが、

 ぼんやりと、予測できる。

 

(……嫌な力だ)

 

 便利だが、

 人と向き合うには、少し残酷だ。

 

 

 リリアは、まだ詳しいことを知らない。

 

 魔王が言うには、

「知らせるのは、もう少し後だ」そうだ。

 

 正直、助かっている。

 

 彼女に、あの痛みを想像させたくない。

 

 

 リリアは変わらない。

 

 髪には、今日も華やかな飾りがついていた。

 笑うと、城の空気が少し明るくなる。

 

 覚醒してから、

 彼女を見ると、胸の奥が妙に落ち着く。

 

(……近くにいると、世界が静かになる)

 

 それが能力の影響なのか、

 それとも――ただの感情なのか。

 

 分からない。

 

 

 分かっているのは一つだけだ。

 

 俺は、彼女のそばにいたい。

 

 調停者としてではなく。

 役割でもなく。

 

 ただの、シオンとして。

 

 

 魔王は、俺を見るとき、

 いつも少しだけ目が冷たい。

 

(変な虫を見る目、だと思う)

 

 正直、怖い。

 

 でも同時に、

 あの人がいる限り、リリアは守られる。

 

 それだけは、はっきり分かる。

 

 

 次に何が起きるのかは、分からない。

 

 世界は、相変わらず不安定だ。

 

 それでも。

 

 今日も生きている。

 痛みは、もうない。

 

 だから、記す。

 

 俺は、目覚めた。

 そして――まだ、ここにいる。

 

 リリアのいる、この城で。

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