第52話
目が覚めた瞬間。
――胸が、重かった。
呼吸はできているのに、肺が空気を拒んでいるような感覚。
(……まだ、終わってない)
天井は見慣れた魔王城の客間。
それだけで、少し安心する自分がいた。
指先を動かす。
ちゃんと、動く。
でも――
(……変だ)
体の輪郭が、曖昧だった。
自分の腕が、腕じゃないみたいな感覚。
皮膚の内側で、何かが“流れている”。
シオンは、ゆっくりと起き上がった。
立ち上がろうとして、足に力を入れた、その瞬間。
――ぐらり。
「っ……!」
床が、歪んだ。
いや、違う。
歪んだのは、空間そのものだった。
(……今の、何だ)
驚いて瞬きをすると、視界は元に戻っている。
ただの立ちくらみ。
そう思おうとした、そのとき。
扉が、静かに開いた。
「シオン?」
リリアだった。
髪にはいつもの華やかな飾り。
13歳になった彼女は、昔よりもずっと大人びて見える。
けれど、心配そうに覗き込むその表情は、昔のままだ。
「……起きて大丈夫?」
「うん……多分」
そう答えた瞬間。
――リリアの背後。
壁の魔力の流れが、妙に“歪んで”見えた。
(……え?)
魔力灯の光が、曲がっている。
壁の模様が、微妙にズレている。
(……見間違い?)
「……シオン?」
リリアが首を傾げる。
「あ、いや、ごめん」
慌てて視線を戻す。
その瞬間、すべてが元に戻った。
(……なんだよ、これ)
胸が、嫌な音を立てる。
「……無理しないで」
リリアはそう言って、彼の隣に腰を下ろした。
距離が近い。
昔より、少しだけ。
(……落ち着け)
(今、変なこと考えたら)
(また、何か起きそうだ)
沈黙。
その中で、心臓の音だけがやけに大きい。
――ドクン。
(……あ)
その瞬間。
リリアの表情が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
「……?」
「……今、胸……」
リリアが自分の胸元を押さえる。
「急に、ぎゅって……」
(……俺の、心臓の音と)
(……同時?)
嫌な予感が、背筋を走る。
(……まさか)
「リリア」
シオンは、意識して呼吸を整えた。
心臓の鼓動を、落とす。
――ドク、ドク。
すると。
「……治った」
リリアが、不思議そうに言った。
(……連動、してる?)
調停者。
均衡。
魔王の言葉が、脳裏に浮かぶ。
(……世界だけじゃない)
(……人との“関係”も、か)
そのとき。
廊下の向こうで、何かが倒れる音。
がしゃん、という音と、骨の慌てた声。
「な、なんだ今の揺れは!?」
「魔力の均衡値が一瞬ズレたぞ!?」
(……俺か)
冷や汗が、背中を伝う。
「……ねぇ、シオン」
リリアが、真剣な顔で言った。
「さっきから、ちょっと……怖い」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「……ごめん」
即座に謝った。
「俺、まだ……」
言葉を探す。
(……怖いのは)
(……俺の方だ)
でも、それは言えなかった。
リリアは、そっと彼の手を取る。
「一人じゃないよ」
その瞬間。
胸の奥で、ざわついていた“何か”が、静まった。
魔力の流れが、落ち着く。
歪みが、消える。
(……触れてると、安定する)
(……なんだよ、それ)
都合が良すぎて、怖い。
その様子を、扉の隙間から見ている影があった。
――魔王。
(……やはりな)
(調停者は、関係性を媒介にする)
(……よりにもよって)
(……リリアを“錨”にするとは)
拳を、強く握る。
(……厄介すぎる)
(……だが)
視線の先で、娘が笑っている。
(……それでも)
(……切れん)
魔王は、静かに踵を返した。
その背中は、
世界よりも重い選択を、すでに背負っていた。
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