第9話

 魔王城の夜は、静かだ。


 風の音もなく、虫の声もない。


 聞こえるのは、遠くで骨たちが歩く、乾いた音だけ。

 リリアは、用意された部屋のベッドに寝かされていた。


 柔らかい。

 王国で使っていた、薄くて冷たい寝台とは違う。


「……ふわふわ」

 小さく呟いて、目を閉じる。


 すぐに眠れると思った。

 実際、体はもう限界だった。

 けれど――

 ふと。


 胸の奥が、きゅっと縮む。

 理由は分からない。


 怖い夢を見たわけでもない。

 誰かに怒鳴られたわけでもない。


 ただ、

 急に、息が詰まった。

「……っ」


 小さく、喉が鳴る。


 次の瞬間。


 涙が、溢れた。

 声は、まだ小さい。


 けれど、確実に――泣いていた。

 部屋の外。


 廊下に立っていた魔王が、ぴたりと動きを止める。

「……?」


 聞き間違いかと思った。


 だが、もう一度。

 小さな、か細い声。


 魔王は、扉の前で立ち尽くす。


 入るべきか。

 呼ぶべきか。


 それとも、様子を見るべきか。

 判断が、できなかった。


 そこへ。

「泣いてますね」

「夜泣きですね」

「初日あるあるです」


 いつの間にか集まっていた骨たちが、口々に言う。

「……どうすればいい」


 魔王が、低く問うと。

「抱っこです!」

「話しかけるのもいいです!」

「存在を示すのが大事です!」


 骨たちの助言は、やけに具体的だった。


 魔王は、しばらく黙り込み。

 そして、意を決したように扉を開けた。


 部屋の中。

 ベッドの上で、リリアが泣いている。


 小さな体。

 丸めた手。


 必死に、何かを求めるような仕草。

 魔王の胸が、わずかに軋んだ。


「……」

 言葉が、出ない。


 リリアは、魔王に気づいた。


 涙で滲んだ視界の中。

 黒い影。

「……おと、さま……」


 かすれた声。


 その一言で。


 魔王の迷いは、消えた。

 リリアを、そっと抱き上げる。


 壊れ物を扱うように。

 けれど、力強く。


「……ここにいる」

 短く、そう告げる。


 それだけで。

 リリアの泣き声は、少しずつ弱まっていった。

「……」


 魔王は、動かない。

 ただ、腕の中の温もりを確かめる。


 骨たちは、遠巻きに見守っていた。

「……完全に父ですね」

「自覚はないでしょうが」

「もう手遅れです」


 リリアは、魔王の服をぎゅっと掴む。


 安心したように、息が整っていく。

 やがて。

 小さな寝息が、聞こえ始めた。


 魔王は、そのまましばらく立っていた。

 下ろすタイミングが、分からなかったのだ。


「……このままでもいいのでは」

「椅子、持ってきます?」

「朝までコースですね」


 骨たちの声に、魔王は低く唸る。


 だが。

 否定は、しなかった。


 魔王城の夜は、静かだ。


 けれどその静けさは――

 誰かを、守るためのものになりつつあった。

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