第2話

 リリア・オルテンシアは、泣くことをやめた赤子だった。


 それは「聞き分けがいい」という意味ではない。


 ただ、泣いても意味がないと、どこかで理解してしまっただけだ。


 乳母が来て、最低限の世話はされる。

 ミルクを与えられ、体を拭かれ、寝かされる。


 けれど、そこに言葉はない。

「可愛いね」も、「よしよし」も、何一つ。


 周囲にあるのは、義務だけだった。


 父の姿を見ることは、ほとんどなかった。


 王国の英雄である彼は、常に外で剣を振るっている。

 魔物討伐、国境警備、貴族からの要請。


 娘が生まれたという事実は、彼の人生にほとんど影響を与えていないようだった。

 たまに顔を合わせても、視線が合うことはない。


 そこにあるのは、「家にいる存在」への無関心だけ。


 母は、もう少し分かりやすかった。

 視線を向けることはある。


 けれど、それは愛情ではなく、評価の目だった。


「……本当に、魔力の気配が薄いわね」


 まだ言葉も理解できない赤子に向かって、母はそう呟く。

 その声音には、苛立ちと失望が混じっていた。


 女であること。


 そして、才能が見えないこと。


 その二つが、彼女にとっては致命的だった。


「せめて、見た目が使えれば……」


 ぽつりと漏れたその言葉は、誰にも聞かれない。

 リリア自身にさえ、意味は分からないはずだった。


 けれど、なぜか。

 胸の奥に、小さな違和感だけが残った。


 ――私は、ここにいてもいい存在なんだろうか。

 答えをくれる人はいない。


 だから、考えることもやめた。


 言葉を覚えても、使う相手はいなかった。

 笑っても、返してくれる人はいなかった。


 成長していく中で、リリアの表情は次第に薄くなっていく。

 感情がないわけじゃない。


 ただ、表に出す理由がなかっただけだ。


 五歳になれば、魔力量測定がある。


 その日までは「育てる」と、母は言っていた。


 それはつまり――

 それ以上でも、それ以下でもない。


 今日もまた、リリアは静かに天井を見つめている。

 豪奢な部屋の中で、独り。


 誰にも期待されず、誰にも必要とされないまま。


 その小さな命が、後に世界を揺るがす存在になるなど。

 この王国の誰一人として、想像すらしていなかった。

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