第八話 雑音
死神だった記憶が、日常に紛れていく。
署内は、いつも通り騒がしい。
コピー機の音。
無線の雑音。
誰かがコンビニの袋を漁る音。
「おい、これ誰のだよ。勝手に冷蔵庫入れんな」
「知らねーよ、名前書けって何回言わせんだ」
自分のデスクに座りながら、その光景を少し不思議な気持ちで眺めていた。
騒がしい。
無駄が多い。
それでも、悪くない。
そんな気持ちが浮かぶこと自体、
以前ならあり得なかった。
死神だった頃、人間は「迎えに行く対象」でしかなかった。
今は、隣でコーヒーをすする同僚が、
やけに生々しい。
「なあ」
隣の席の先輩が、
書類を投げてくる。
「昨日の事件現場、どうだった?」
俺は一瞬、答えに詰まる。
寿命は、本来まだ残っていた。
――そう言いかけて、
言葉が喉で消える。
「……現場は、荒れてました」
それだけが、
言える範囲の真実だった。
先輩は頷く。
「だよな。時間かかったしな」
その一言に、
胸の奥が微かに軋む。
確定するまで。
誰も「死」を口にしない時間。
死神だった頃には、
存在しなかった空白。
「お前さ」
別の同僚が、
冗談めかして言う。
「たまに変な目で現場見てるよな」
「変?」
「こう……
もう結果分かってます。みたいな?」
俺は曖昧に笑った。
否定も、
肯定もできない。
デスクに視線を戻し書類を書く。
発見時刻。
状況。
目撃証言。
そこに、
「死亡確認」の欄はない。
警察官は、
死を決められない。
死を“見届ける”ことしかできない。
その事実が、
妙に重たく感じられる。
かつては、
一瞬で終わらせていたのに。
ふと、
ペンが止まる。
理由もなく、
彼女の顔が浮かぶ。
今日もどこかで、
何も知らずに生きている。
その事実だけで、
胸が少しだけ、温かい。
同時に、
何か大切なものが
指の間からこぼれ落ちている感覚があった。
名前。
影。
鎌の重さ。
思い出そうとすると、
頭が靄がかかる。
「……疲れてるな」
誰にでも言える言い訳を、
自分に向けて呟く。
「おーい、行くぞ」
同僚の声に、立ち上がる。
制服を整え、
人間の顔で歩き出す。
死神だった記憶は、
まだ完全には消えていない。
だがもう、
それを言葉にできる場所はない。
署内の雑音に溶けながら、
俺は少しずつ、
こちら側の世界に固定されていった。
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