第七話 見送

ブルーシートの端が、

風にわずかに揺れている。


俺は、

その前に立っていた。


無線は切れ、現場はすでに静かだ。


やることは、多くはないが、

その場を離れられずにいた。


――以前なら、

この瞬間は

「迎えの完了」だった。


名を呼び、

影を閉じ、

次へ行く。


だが、今は違う。


ただの警察官として、

地面に残った現実を

見ている。


鑑識が到着し、

形式的な確認が進む。


脈。

呼吸。

瞳孔。


主人公は、

その一つひとつを

言葉としてではなく、

音として聞いている。


かつてなら、確認する必要などなかった。


なぜなら死は、

俺の側にあったからだ。



「……死亡時刻は……」


鑑識の声が、

淡々と告げる。


安堵も、

理解も、

使命感もない。


ただ、

取り返しのつかなさだけが、

遅れてやって来る。



記録用の手帳を開く。


時刻。

場所。

状況。


文字を書く手は、

人間のそれだ。


かつて、

魂の行き先を

一瞬で理解していた感覚は、

もうない。


「次」が、見えない。


それが、

こんなにも不安だとは

知らなかった。



ブルーシートの向こう側へ、

一歩近づき止まった。


かつての自分なら、

ここで名を呼んでいた。


だが今は、

呼ぶ名前が分からない。


思い出せない。


いや――

思い出そうとしていない。



無線が鳴る。


「……撤収……」


それに応えながら、

ふと気づく。


自分は、

死を“迎えなかった”。


ただ、

見送っただけだ。



その夜、夢を見た。


だがそれは、

もう死神の夢ではない。


黒い影も、

鎌も、

契約の声も出てこない。


ただ、

名も知らない誰かの背中を、

遠くから見ている。


追いつけない。

呼び止められない。


自分はもう、

死を扱う存在ではない。


死を、

受け取るだけの側に、

来てしまったのだと……


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