第五話 喪失

それは、劇的な変化ではなかった。


光に包まれることもなく

少しずつ、確実に、奪われていった。


音が変わった。

死の呼び声が、ある日、聞こえなくなった。


代わりに、

耳障りなほど大きな鼓動がある。


それが自分のものだと気づくまで、

少し時間がかかった。


そして、

視界の奥から、数字が消えた。


寿命の残り。

死因。

時刻。


俺にとって、

世界そのものだった情報が、

朝霧のように薄れていく。


ただ、焦りはなかった。

俺には「失う」という概念が、

なかったからだ。


次に、痛みを知る。


再生はしない。

治るまで、待たなければならない。


その不自由さに、

理由もなく、

胸が締めつけられた。


夜が深くなると、

眠気が訪れる。


意識を手放すことへの、

根拠のない恐怖。


目を閉じれば、

世界から消えてしまうのではないか――


そんな不安は、

死神には、なかった。


彼女を見つけても、

近づけない。


死神だった頃よりも、

距離は、遠い。


「迎えに行けない」だけだった存在は、

「関わる勇気も持てない」

人間になっていた。


気づけば、

鎌はない。


影も、

冷気も、

裁定権も、

何一つ、残っていない。


あるのは、

鼓動と、

息と、


彼女を失うかもしれない、

という恐怖だけだった。


それでも。


俺は、知ってしまった。


死神だった頃には、

理解できなかった、

「生きている時間の重さ」を。


一瞬一瞬が、

取り返しのつかない選択で

できていることを。


人間になるとは、

力を得ることではない。


守れないかもしれないものを、

それでも大切だと

思ってしまうことだ。


今日も、

彼女と同じ空の下に立つ。


ただ隣で、

同じ時間を

失っていく存在として。


それが、

罰なのか、

救いなのか――


俺には、

もう裁定することもできない。


ただ、

力が抜け落ち、

暗闇の中へ

引きずり込まれていった。

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