第9話 対比の刃――愛される者と、捨てられる者



 応接間に響いていた真紀子の泣き声が、次第に恨めしげな唸り声へと変わっていった。


 彼女は充血した目で私を睨みつける。

 その顔には、反省の色など微塵もない。


「……おかしいわよ」


 真紀子は掠れた声で吐き捨てた。


「あんた、頭おかしいんじゃないの?」


「真紀子、いい加減にしなさい!」


 義母が叱責するが、真紀子は止まらない。

 タガが外れたように、私に向かって毒を吐き始めた。


「たかが人形じゃない! あんな不気味なガラクタのどこがいいのよ! あんな気持ち悪いモノのために、私の人生がめちゃくちゃにされるなんて、絶対におかしい!」


 不気味。

 ガラクタ。

 気持ち悪い。


 彼女は最後まで、その価値を認めようとはしなかった。


 罵詈雑言を浴びせられる中、私は怒るどころか、ふっと力が抜けるのを感じた。


(ああ、この人は……)


 私はゆっくりと席を立ち、真紀子の前に歩み寄った。


 そして、慈愛すら感じるほど穏やかな笑みを浮かべて、彼女を見下ろした。


「……可哀想な人ね、真紀子」


「はぁ!? 何よ、見下して!」


「不気味、と言ったわね。でもね、あの子たちは百年以上前のフランスで生まれて、海を渡り、何人もの持ち主に愛され、大切に守り継がれてきたの」


 私は胸に手を当て、言葉を紡ぐ。


「戦争を乗り越え、震災を乗り越え、壊れれば一流の職人に直してもらい……そうやって『愛される資格』を持ち続けてきたからこそ、一世紀を経てもなお、宝石のような価値を放っているのよ」


 私は一呼吸置き、冷ややかな視線で真紀子をなめ回すように見た。


「で、あなたはどう?」


「……っ」


「五体満足で、健康で、言葉も話せる人間様。……でも、実の両親からは縁を切られ、旦那様には見捨てられ、義理のご両親には『負債』としか思われていない」


 真紀子の顔が引きつる。


「ただの『物』である人形は、百年愛され続けているのに」


「『人間』であるあなたは、たった三十年で誰からも愛想を尽かされた」


 私は顔を近づけ、彼女の耳元で優しく、死刑宣告のように囁いた。


「愛される資格のない人間には、あの子たちの価値は一生理解できないわよね」


 真紀子は言葉を失い、唇をわななかせている。


 言い返したいのに、言葉が出ない。

 彼女を取り囲む家族の冷たい視線が、私の言葉の正しさを証明してしまっているからだ。


「さようなら、真紀子」


「これからは『大切に愛される』人生じゃなく、『厳しく管理される』人生を……せいぜい楽しんでね」


 私は満面の笑みで言い放つと、踵(きびす)を返した。


 背後で「あ……あぁ……」という、言葉にならない絶望の吐息が聞こえた気がした。


 私は一度も振り返らず、応接間を出た。


 玄関を出ると、雨上がりの空が広がっている。

 空気が澄んでいて、美味しい。


 私の愛するドールたちは傷ついた。その事実は消えない。

 けれど、彼女たちの尊厳は守られた。


 私は鞄の中の示談書を抱きしめ、軽やかな足取りで駅へと向かった。

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