第4話 証拠固めと“狩り”の準備


 翌日、私の手元にある一通のメールが届いた。


 長年付き合いのあるアンティークドール専門店のオーナーであり、公的な鑑定資格を持つ榊原(さかきばら)氏からの返信だ。


 添付されていたPDFファイルを開き、私はそこに記された「数字」と「所見」を隅々まで読み込んだ。


 ――予想通り。いや、それ以上だ。


 すぐに榊原氏と通話を繋ぐ。


『……玲奈さん。写真と動画、拝見しました。言葉もありません』


 スピーカーから聞こえる榊原氏の声は沈痛だった。


『特に、あの“トリステ”。あれほどのコンディションの個体は、国内にも数えるほどしかなかったはずです。……顔面の破損が酷すぎる。磁器(ビスク)の焼き直しは不可能です』


「……ええ、分かっています」


『修復師に頼めば形だけは繋げるかもしれませんが、あの憂いを帯びた表情――“魂”は、二度と戻りません』


 分かってはいたが、専門家の口から断言されると、胸が焼けるように痛む。


 だが、今は感傷に浸っている場合ではない。

 私は深呼吸をして、事務的なトーンで切り出した。


「榊原さん。この金額、裁判でも通用する客観的な数値と考えてよろしいですね?」


『もちろんです。直近の海外オークションの落札相場、および現在の円安レートを加味して算出しました』


 提示された査定額は、以下の通りだった。


---


### 【損害賠償見積書】


1.エミール・ジュモー作(ロングフェイス):420万円

2.ブリュ・ジュン(サイズ5):285万円

3.その他、破損したドールおよびアンティーク衣装一式:115万円

 

**合計請求額:820万円**


---


『控えめに見積もってこれです。精神的苦痛に対する慰謝料を含めれば、一千万を超えてもおかしくない案件ですよ』


「ありがとうございます。……加害者への請求に使いますので、正式な書類を至急郵送してください」


 電話を切った後、私は画面に映る「8,200,000」という数字を指でなぞった。


 これが、真紀子が「数千円」と笑った代償の現実。


 普通のサラリーマン家庭であれば、人生設計そのものが狂う数字だ。


「さて……獲物は揃えないとね」


 私はスマホを手に取り、真紀子にメッセージを送った。

 文面は極めて丁寧に、しかし断る余地を与えないように。


『四十九日の法要の翌日、実家の応接間で最終的な示談について話し合いたいので、旦那様とご両親も必ず同席させてください』


 返信はすぐに来た。


『えー、まだそんなこと言ってんの? ほんとしつこいなぁ。夫くんも義両親も忙しいんだけど』


 私はすかさず追撃を送る。


『これが最後の話し合いよ。もし解決しない場合は、弁護士を通じて正式な法的手続きに入ることになります。そうなれば、旦那様の会社にも連絡が行くことになるかもしれないわ』


 しばらくして、投げやりなスタンプと共に返信が届いた。


『わかったわよ! 連れていけばいいんでしょ。その代わり、それで文句言うの終わりにしてよね』


 了承が取れた。


 真紀子の夫は、気が弱いが世間体を気にするタイプ。

 そして義両親は、地元でも厳格で知られる旧家の人間。


 そんな彼らの前に、この「820万円の請求書」を突きつけたらどうなるか。


 想像するだけで、背筋がゾクゾクするほどの高揚感を覚えた。


 数日後、正式な鑑定書が届いた。

 重厚な紙に、角印が押されたそれは、もはや紙切れではない。


 彼女の生活を断ち切るための、鋭利な「ギロチンの刃」だ。


 私はそれを分厚いクリアファイルに収め、当日を待った。


 外では雷鳴が轟いている。

 嵐が来る。

 

 逃げ場のない、地獄のような話し合いの幕が上がる。

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