第3話 無知な嘲笑と、静かな怒り
部屋の惨状をすべてカメラに収めた私は、震える手でドアに仮の施錠をし、母屋のリビングへと向かった。
リビングでは、テレビのバラエティ番組が能天気な笑い声を上げている。
ソファには真紀子が寝そべり、その横で、先ほどまで押入れに隠れていた翔太がゲーム機をピコピコと操作していた。
「あ、出てきた。もう気は済んだ?」
真紀子がスナック菓子を齧りながら、こちらを見もせずに言う。
翔太は私の姿を見ると、少しだけバツが悪そうに視線を逸らしたが、謝罪の言葉はない。
親が親なら、子も子だ。
「……翔太くん。君がやったのね?」
私が静かに問いかけると、翔太はふてぶてしく口を尖らせた。
「だって、鍵かかってるから。開けたらレアアイテムあるかと思って」
「バールを使って、ドアごと壊して?」
「うん。映画みたいでカッコいいじゃん。でも中身、ただの人形だし。つまんねーの」
悪びれる様子は皆無。
「つまらない」。その一言のために、私の大切なコレクションは破壊されたのだ。
怒りで視界が赤く染まりそうになるのを、私は奥歯を噛み締めて必死に堪えた。
ここで感情的に怒鳴り散らしても、この親子には響かない。
「ほら玲奈、子供相手にそんな怖い顔しないの。翔太も反省してるんだからさ」
どこが反省しているというのか。
真紀子は面倒くさそうに財布を取り出し、そこから千円札を数枚引き抜いた。
「で、いくら? あの古臭い人形。フリマアプリとかで見ても、中古の人形なんて二、三千円くらいでしょ? 迷惑料込みで一万円あげるから、これで新しいの買いなよ」
ペラリ、とテーブルの上に置かれる一万円札。
私はその紙幣を見つめ、次いで真紀子の顔を見た。
本気だ。
この女は本気で、あの人形たちが「数千円のオモチャ」だと思っている。
(……一万円?)
私の口元が、自嘲気味に歪む。
笑わせないでほしい。
今回破壊された中でも、特に被害が甚大だった『ジュモー・トリステ』。
あれは十九世紀末のフランスで制作された、現存数の少ない希少品だ。
私が数年前に海外のオークションで競り落とした価格は、約三百八十万円。
円安が進み、アンティーク市場が高騰している現在なら、優に四百万は超えるだろう。
さらに、並んで飾ってあった『ブリュ・ジュン』。
あれも二百五十万円は下らない。
被害総額はどう低く見積もっても、八百万円に達する。
八百万円。
ふと、窓の外に停まっている真紀子の車が目に入った。
淡いピンク色の軽自動車。
(真紀子……あなたが乗ってきたあの新車の軽。あれをオプション全乗せで買っても、まだお釣りが来るのよ。あの子、一体だけでね)
この事実を今ここで叩きつけたら、彼女はどんな顔をするだろうか。
だが、今言っても無駄だ。
証拠となる鑑定書や市場価格のデータを揃え、逃げ場をなくしてからでないと、彼女は絶対にシラを切る。
「……いらないわ、こんなはした金」
私はテーブルの一万円札を、指先で弾き返した。
「はぁ? 一万円じゃ足りないっての? 強欲だなぁ。じゃあいくら欲しいわけ?」
「金額の話は、後日改めてしましょう」
私は努めて冷静に、事務的な口調で告げる。
「祖母の四十九日が終わった後、親族が集まる機会があるわよね。その時に、旦那さんと、旦那さんのご両親も呼んでちょうだい」
「え? なんで義両親まで呼ぶのよ。関係ないじゃん」
「関係あるわ。未成年の子供がしたことの責任は、親権者にある。そして、これだけのことをした以上、あなた一人で判断できる問題じゃないからよ」
真紀子は「うわ、めんどくさ」と露骨に嫌な顔をした。
「大袈裟ねぇ……。たかが人形が壊れたくらいで、親族会議? 旦那にチクるつもり? いいよ、呼べばいいじゃん。みんな玲奈の心が狭いって呆れるだけだと思うけど」
「そうね。誰が呆れられるか、楽しみにしておくわ」
私は踵(きびす)を返した。
背後から「ほんと、陰湿なんだから」という捨て台詞と、ゲームの電子音が聞こえてくる。
存分に笑っていればいい。
その無知な笑顔が凍りつく日は、そう遠くない。
私は自室に戻ると、すぐにタブレットを開き、懇意にしているアンティークドール専門鑑定士にメールを打ち始めた。
件名は『緊急・破損による損害査定依頼』。
添付ファイルには、無残な姿になった「彼女たち」の写真を添えて。
戦いのゴングは、静かに鳴らされた。
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