33話 タハラの懺悔

「オギウエ……身体の調子はどう?」

「オミカワさん……」


 天幕には、二人の影が映し出されている。

 しかし、二人の表情は分からない。


「何故私は生きているのです?」

「オギウエ……」


 言葉を紡ぎかけたオミカワを、オギウエの声が遮った。


「オミカワさん、私、九州の野戦病院でお願いしたはずです。私を殺してくれと──なんで生きているんですか」


 寝台から身を乗り出し、オミカワに掴みかかるように影が動く。


「こんな姿ではもう生きられないと!生きていたくないと!言いましたよね?!何故、なんで私はまだ生きているのですか?!」


 オギウエの震える声が裏返り、呼吸が荒くなった。そして突然、オギウエの髪の毛の影が細く伸び、ぴっ、と風切り音が天幕を揺らす。オミカワの影が後方へ揺れ、同時に血が天幕に点々と散った。


 この風切り音はオギウエの“怒髪天どはつてん”だと直感した。


「っ?!」


 横のトノサキが飛び出そうとしたが、それは今ではないと直感が働き、肩を掴んで押し留めた。

 しかし、自分の冷静な動きと裏腹に、心臓がどくりと鳴る。天幕の奥のオギウエは、一体どうなっているのだ。


「……オギウエ、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから」


 天幕のオミカワの影は、一瞬ふらりとしたものの、冷静にオギウエに言葉をかけ続ける。


「なぜ、なぜ私はまだ生きて……」


 オミカワに掴みかかっていた影はだらりと腕を垂らし、まるで蛇のように逆立っていた影はしおれ、すすり泣く声が聞こえた。


 オミカワは何も言わず、その影を抱きとめたようだ。


 すぐに声が出なかった。

 あれだけ思慮深く、優しく、聡いオギウエがこんな様子になっているとは。


 しばらく天幕の向こうから泣き声が続いたが、やがて鼻を啜る音に変わっていく。


 俺は気持ちを整え、天幕の影に向かって声をかけた。


「オギウエ、いいか」

「……ツジさん」

「まず一つだけ言わせてくれ。よく帰って来てくれた」


 返答はない。しかし、言葉を続ける。


「タハラ中佐から伺った。九州本土決戦では大戦果だったそうじゃないか。害物を屠り、仲間を守ったと。班長として誇らしいぞ」

「……それに後悔はありません。でも、私はもう駄目です。半分害物になってしまいました」

「何を言っている。オギウエはオギウエだ」


 一瞬の沈黙が医務室に流れる。


「くっ……ふふふ。ツジさんはお優しい。ただ……この姿を見てもそう言えますか?」


 オギウエの言葉と共に、しゃり、と留め具が鳴り、白布が走った。そして、寝台から上半身のみを起こしているオギウエの姿が現れた。


 正直に言えば、たじろいだ。何も言葉が出なかった。


 艶があり美しかった長髪は斑に抜け落ち、額から目の下辺りまで、害物の表皮のように赤黒く変色し、皮膚は盛り上がり、心臓の鼓動と共に脈動している。


 天幕越しにも、湿りを帯びた熱が肌にまとわりつくようで、鼓動の波がこちらの掌まで跳ね返ってくる気がした。


 俺は、ようやくオミカワの言葉の真意を理解した。

 あの美しかったオギウエが、こんな変わり果てた姿になっているとは。

 

 年頃の女性にとって、これほど酷な事は無い。

 上辺だけの言葉で慰めるのは簡単だろう。だが、下手な慰めは逆効果だと悟った。オギウエは自分で現実と向き合わなければならないのだ。


 そんな姿のオギウエが、涙を流しながら真一文字に俺を見つめている。しばらく視線が絡み、部屋の中は小さな息遣いのみが聞こえる。


「もう、いいのです」


 オギウエはずっと啜り泣いていたが、赤黒い皮膚を指先で押さえ、息をひとつ飲んだ。そして、小さく震える口を開いた。


「私は小さい頃から病気がちで……いよいよ余命幾ばくかというときに“異能の学徒”作戦に抜擢ばってきされました。害物の体液を打たれて、鏡を見て驚きました。薬で抜けた髪の毛は生え、肌の血色も良く、なりました。慣れない歩みで転びましたが、その時の痛みさえ幸福でした」


 ひと呼吸置いて、オギウエはまた話し始める。


「舞阪の異能の学徒の皆さんも本当に良くしてくれて、初めて友というものを得ました。害物との戦いだって……怖かったですが、自分の身体が自在に動くというだけで満ち足りたのです」


 オギウエは、ひっ、と喉を締める。


「しかしそれは束の間の夢でした。こんな身体ではそれも叶わない。鏡の向こうの顔が、もう私ではないのです。それならばいっそ、あの時実験になど参加せずに死んだほうがましでした!」


 大粒の涙をぼろぼろと零しながら、手で顔を覆った。


 胸が痛んだ。オギウエの気持ちが分かるとは言わない。しかし俺は、自分の部下がこのような姿になってまで舞阪基地に帰ってきた意味・・を受け止めなければならない。


 俺は寝台の横にしゃがみ込み、思ったままの言葉を伝える。


「オギウエ、辛いだろう。だが、俺はお前が帰って来てくれただけで嬉しい。死ぬなんて言うな」


 俺の言葉に、オギウエが小さく口を開く。


「……この姿で生きるのが、怖いんです」


 班長になってから、何度も仲間を見送った。名を呼び、手を握り、最後に託された言葉を呑み込んで、次の朝にはまた海を見た。


 守れなかった顔が、夜になると枕の裏からのぞいてくる。俺が命じた配置、俺が選んだ道で、死んだ奴もいる。


 だからこそ──生きて戻ってきた者に「死にたい」なんて言葉は、絶対に出せない。オギウエがどんな姿でも、第一班の班員として迎える。


 それが俺の務めだ。



 大泣きしたオギウエは大分落ち着いてきたようで、オミカワに背中を擦られながら鼻を啜っている。


「それでタハラ中佐、俺達がここに呼ばれた理由を説明してください。ほかの学徒より先に、私達にオギウエの姿を見せただけ、ということは無いのでしょう」


 俺が問い掛けると、タハラ中佐は頷いた。


「ああ。これから話すことは機密だ。これを外部に漏らしたと分かったら、俺はただじゃ済まない。だから、最も信頼しているお前たちを呼んだ」


 タハラ中佐は煙草を灰皿に押し付け、椅子に腰掛けた。


「今、オギウエの身体に起こっている現象。これは害物対策省で“害物化”として認知されている。この害物化をした学徒について、研究者の間で扱いが割れている」

「扱いが割れる、とは?」


 タハラ中佐は若干言い淀んだが、すぐに俺の目をじっと眺めた。中佐は、言葉を選ぶように逡巡しゅんじゅんしながら続けた。


「害物化を起こした人間は、より強い異能を発現する。そのため昨今の戦況をかんがみ、戦線強化をとする害物化研究“推進派すいしんは”が台頭しているのだ」


 オギウエはうつむいてタハラ中佐の話を聞いている。自分の置かれた境遇を考えているのだろう。


「つまり、だ。推進派の研究者は、害物化を起こしている学徒の深度をさらに進め、強力な異能使いにする実験をしたがっている」


 タハラ中佐は苦い顔で続け、オギウエは、黙って聞いている。


 ──推進派。聞こえはいいが、オギウエのような学徒を増やそうというのか?


 心の中でふつふつと怒りが湧く。

 タハラ中佐の続く言葉次第では、冷静にはいられない。


「だが、俺を含めた“穏健派おんけんは”は、害物化をしてしまった身体を元の姿に戻し、異能使いの負担を減らす研究を進めている。どちらかの研究が確立すれば、日ノ国はその方向にかじを切るだろう」


 タハラ中佐は俺たちを真っ直ぐに見据えて言った。


「オギウエを穏健派の研究所に移動させたい。推進派をかわすため、“病気療養”という形を取り、一時的に身柄を隠すことに協力してくれ。そして今後、お前達が理解してくれるなら、害物化してしまった学徒を救うことにも力を貸して欲しい」


 そう言って、タハラ中佐は頭を下げた。


 ──俺は心底ほっとした。煮え立った心も、タハラ中佐の言葉で落ち着いた。


 異能を宿した俺達にも分け隔てなく接してくれる、東海地方の統括研究者にして上官、そして良き兄のような存在。そんなタハラ中佐が頭を下げてまで、オギウエの身を案じて俺達にお願いをしてくださった。


 男として、班長として、それに応えないわけにはいかない。


「何だ、驚かせないでください。それは勿論……」

「ちょっといいですか」


 俺の安堵の声を遮り、トノサキが訝しむ表情で割って入る。


「話は分かりました。しかし、軍の多くは“推進派”なのでしょう? この行動が露見ろけんしたらどうなるのです」

「……厳罰は免れん」


 舞阪基地の最初期から在籍する、俺たち三名のみを集めた意味を考えれば妥当だ。返答を聞いても俺の考えは変わらない。


 しかしトノサキは、変わらぬ表情で質問を続けた。


「それであれば、タハラ中佐を含めた穏健派は、なぜそこまでして害物化を起こした学徒を助けようとするのですか?」


 トノサキはほとんど睨みつけるようにタハラ中佐を見る。


「……トノサキ、何が言いたい?」

「中佐の言葉がすべて真実なら両手を上げて賛同します。しかし、それを異能の学徒が唱えるならともかく、軍部の中枢に近い中佐がおっしゃるという点に納得がいきません」


 そこまで言って、トノサキは息を飲んだ。短い沈黙。タハラ中佐の煙草の火がちいさく揺れた。


「……“理”が見えないのです。中佐も推進派で、反抗する学徒を炙り出す作戦だ、と考えた方が納得できます」


 俺には思いつかない反論をして、トノサキは眼鏡を押し上げた。

 タハラ中佐は押し黙る。


 暫くの沈黙の後、胸ポケットから煙草を取り出し、マッチで火をつけた。

 しばらく黙っていた中佐だったが、先程より幾分か短くなった煙草を咥えたまま、静かに話し出した。


「……昔話をしよう。俺には娘が居た。害物侵攻の最初期、まだ“異能の学徒”という名称すら無く、何もかも手探りで、乱暴で、残酷だった頃だ。無茶な人体実験で異能を宿させ、日ノ国のために戦わせた。その娘が、日ノ国で初めて“害物化”を起こした」


 タハラ中佐は、胸ポケットから震える指で一枚の写真を取り出す。そこには、俺と同じ年頃の女性と、今より少し若い軍服のタハラ中佐と笑顔で写っている。

 

「前例が無かったため、研究者達はここぞとばかりに様々な実験を施した。肉を縫い付け、血を抜いて害物の体液を流し込み、肉片を食わせた。実験の度に異能の力は強まった。研究も躍進した。当時の研究者は狂喜乱舞したさ。俺を含めて、な」


 タハラ中佐は目を瞑る。トノサキもオギウエもオミカワも、勿論俺も言葉を発せずにいた。

 数秒して瞼が上がる。目の奥の色は、さっきより暗い。


「数回戦闘に出た後、娘は死んだ。最後は人と分からぬほどの姿に変異していた……そこでようやく俺は気付いたのだ、これがどれだけ狂った研究だったか」


 タハラ中佐は自嘲めいた笑いをこぼした。


「トノサキ、“理”など俺には無い。ただの贖罪しょくざいだ」


 消毒薬とヤニの混じった匂いが、ふっと鼻の奥に戻ってきた。


 写真に視線を落としたまま続ける。


「お前たちに害物の体液を打ち込み、戦わせている奴が、いざ害物の姿になったら元に戻してやりたいと言うのだ。二枚舌だと笑ってくれ」


 突然の告白に、トノサキは勿論、俺たちは言葉を失った。


「この戦いが終わった後、お前たちに普通の暮らしをさせてやりたいのだ。娘のような人間を増やしたくはない……日ノ国が国を挙げて害物化研究へ進むのを、俺は止めたいのだ……そのために力を貸してくれ。この通りだ」


 タハラ中佐は、下士官の俺達に頭を垂れる。

 握った写真に、はた、と一粒の涙が落ちた。


「……頭を上げて下さい、タハラ中佐……お辛い心中を吐露させてしまい、申し訳ございません」


 トノサキは目に涙を溜め、血が出るほど唇を噛み締めていた。

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