32話 オギウエ、舞阪へ戻る

第三章 北海道奪還作戦編


 一九四三年 八月九日 舞阪基地


 九州の戦いから一カ月。

 傷は塞がっても、焦げた匂いは鼻の奥に残ったままだ。

 ──それでも、休憩所だけは「いつも通り」の顔をしている。


 休憩所のほつれた暖簾を風が揺らし、畳に置かれた木箱のラジオがまた同じ軍楽を吐き出した。


 ラジオから流れるのは、銅鑼、ファンファーレ、そして例の耳タコの決まり文句だろう。


「あ、ツジ班長!また流れてきましたよ!害物対策省のラジオ!」


 クニエダ不在で手が足りず、俺の班に配属された新人が、ラジオに耳がくっつくほど近付いている。


「……また始まった」


 背中でオミカワも呟いた。彼女は軍靴を脱いだ足先を畳に投げ出し、今朝征伐した害物の報告書に目を落としたまま、ラジオへは視線をやらない。


 俺は机に広げた新型害物の資料に目を落としながら頷いておいた。


 しかし、その音は嫌でも耳に入ってくる。


──皆さま、これより害物対策省広報部よりお伝えいたします。


 去る七月七日、九州本土に来襲せし巨大害物タケイワタツノミコトは、日ノ国軍部、および異能の学徒、そして“異能特別任務班”の奮闘によりついに征伐されました。


 とりわけ、今回の戦いにおいて比類なき働きを示したのは、特務班兼、舞阪前線基地所属 クニエダ学徒であります。


 クニエダ学徒は、従来より卓越せる反重力脚をもって数々の害物を撃退して参りましたが、さらに今回、特務班にて抽出された雷操の異能を身に宿し、猛攻を受けながらも怯まず、遂にはタケイワタツノミコトを雷撃によって討ち果たしたのであります。


 九州防衛線の完全保持。


 国土は守られ、民衆は安寧を得ました。


 大本営はここに、クニエダ学徒を「雷の守護者」と称え、特別害物征伐章ならびに国民栄誉礼を授与することを決定いたしました。


 国民諸君。

 クニエダ学徒の勇戦に学び、この尊き日ノ国を守るため、それぞれの持ち場において尽忠報国の精神をもって励むよう──


 ラジオから聞こえる声は、しきりに「雷の守護者」の事を繰り返す。


 “雷の守護者、クニエダ学徒”。


 もう何度耳にしただろうか。今日だけでも三度目だ。流石にうっとうしくなってくる。


「ツジ班長、“雷の守護者”クニエダさんってここに居たんですよね!どんな人なんです?」


 新人学徒、ミカミが目を輝かせて振り向いた。俺は笑って頷く。


「いい奴さ。舞阪に同時に着任して同じ釜の飯を食った仲だ。ここにいた時の征伐数は、俺の方がちょっとばかし上だったがな」

「へぇ、やっぱりすげえなあ……会ってみてぇなぁ」


 すごいさ、とだけ返し、煙を吐く。その言葉の先は喉で止めた。ミカミは俺の言葉なんて聞こえちゃいない。


 ラジオからは、飽きもせずにクニエダの九州の戦果だの、その後の戦果の数字だのを、丁寧に読み上げている。


 俺の耳には別の音が蘇る。

 濃い霧と、肌を裂く熱、焼けた肉のにおい。


 休憩所のかまどにかけられたやかんの口がちりちり鳴る。誰かが粗悪な葉を丸めた煙草に火をつけ、紫煙が薄く漂った。俺は九州前線で負った火傷の包帯を、つい指でつまんで、すぐ離す。


 治癒の異能でおおよそ治りはしたものの、使いすぎると俺の異能が暴走する。だから一部の傷はそのままだ。


 じくりと痛む皮膚の下で、タケイワタツノミコトの熱波がまだ巡っている気がする。


 新人学徒は正面に陣取り、目を輝かせながらラジオを食い入るように聞いている。そんなに見つめても映像は出ないであろうにと考えると、その背中にふと可愛げが生まれる。


 自分の胸の中では、誇らしさが胸の奥でひときわ強く弾け、すぐその隣で、嫌な苦味が沈んでいる。俺は煙草に火を移し、肺の底まで吸い込む。


 今回の九州決戦ではかなりの人数の学徒が散った。俺が生き残ったのは運も良かった。


 クニ、大金星だったな。よく、生きて戻った。助けられた、ありがとう。そう声を掛けたい奴は、“特務班”という上層組織の仕事で全国を飛び回りながら忙しくやっているらしい。


 俺の大戦斧は今日も害物を引き裂いた。舞阪基地では一番の戦果だ。誰もそれを知らないわけじゃない。     


 タケイワタツノミコトの征伐でも生き残れたし、勲章も貰えるという話だ。光栄だ。他に何を望む。


 心の中では全て納得している。


 だが──ラジオは一人の名を何度も叫び、その名は光沢を増してゆく。


 残りは「諸君ら」か「同志各員」か、あるいは「その他」で一括りだ。


 正直に言えば、それが面白くない。


 死線を越えた俺達は一体何だったのか。これではクニエダという猛烈な“雷”が放つ光によって生まれた“影”ではないか。


 トノサキを庇って前に出たとき、俺の大戦斧は簡単に砕けた。あれだけ自信のあった自分の異能は、強大な害物の攻撃を防ぐことも出来なかった。


 ラジオは一人の英雄の名を繰り返すだけで、燃え残りの名は呼ばぬ。いや、あえて呼ばないのだろう。そういう仕組みだ。分かってはいる。腹を立てることでもない。


 だが、今まで感じたことのない、言いようのない感情がぐるぐると腹の中を巡る。胸の裏側がざわめくのを止められない。


 俺だって。

 俺だってあんな強力な異能があれば、タケイワタツノミコトなど容易く征伐できるはずだ。

 クニと並び立って、特務班で活躍出来る。ラジオにだって名前が出るだろう。


 どうすれば手に入る?クニはどうやってイナリ特務官に見初められた?


 ──新しい力さえあれば、俺だって。


「……トノサキはどうしてるかな」


 ふいにオミカワは顔だけ上げ、視線を俺に向ける。それにはっとして、思考が休憩所にもどった。


「ツジはなにか聞いてる?命令違反で収容されてそれっきり。トノサキのやったこと、上層部も分かってるはずなのにこの対応。馬鹿らしい。本当には呆れる」


 俺は頷く。


 トノサキは前線で戦う俺達を支援するため、上からの命令を無視して直接指揮を執った。お陰で助けられたが、当の本人は命令違反で収容されている。無論生き残った異能の学徒で反論したが、決定が覆ることはなかった。


「この決定に納得はしていないが……あいつの戦果を考えれば厳しいものにはならないだろう」


 そう言った後、まだ舞阪に帰ってきていない奴がいるのを思い出す。


「そういえば、オギウエの近況はどうなんだ?何か聞いてるか?」


 オギウエは、九州で異能の暴走が見られたため一時療養に入っていると聞いてそれきりだ。オミカワは前線で一緒だったと記憶しているので話題に出してみる。


「ああ……今は……言えない」


 オミカワは手元の報告書の端をくしゃりと折り曲げながら目だけを伏せる。その返答は予想を外れてそっけないものだった。二人は舞阪基地で二人だけの女学徒であったので仲も良かっただろうに。


 ──もしや九州の前線で何かあったのだろうか。しかし、オミカワが言わぬなら、聞けはしない。


「ツジ班長!ラジオで国債買えって言ってますよ」


 ミカミがラジオから振り返り、無邪気に冗談めかして笑ったが、俺の顔を見てすぐ真顔に戻る。


 しまった、怖い顔でもしていたか?

 俺は笑い、大げさに肩を竦めて見せた。


「買えるもんなら買ってやるさ。ただ、まずは飯を腹一杯食わせろ、とは言ってやりたいな」


 ミカミは安心したように笑みをこぼし、休憩所に笑いが小さく散る。空気がわずかに軽くなった。


 灰皿に煙草を押しつぶす。指先の熱が、火傷の跡をじくりと叩いた。


 羨ましいのか、と自分に問う。そうだ、羨ましい。

 悔しいのかと問う。無論、悔しい。

 誇らしいのかと問う。当然、誇らしい。


 三つの心情が同時に走り、互いの裾を踏んづけて転ぶ。心の中は整わない。整える気もない。


「クニエダ、戻るのかな」


 オミカワが手元の報告書の端を折りながらぽつりと言う。

 その声には俺と違い、純粋な心配からきているものだった。

 俺は少し間を置いて答えた。


「戻るさ、必ず。あいつはそういう奴だろう?」


 新人は何を言っているのか、という顔をする。俺はそれ以上説明しない。


「そういえばツジ班長、次の襲撃が来たらどう回します?」


 ミカミが帳面を開く。クニエダが居ない舞阪基地は二班編成では無くなり、前線防衛の全てを俺が指揮する事になった。

 立ち上がり、軍帽を取って払うと、埃が少し舞った。


「いつも通りだ。前に出るやつは俺、後方はオミカワなのは決定で──あ、おいおい、茶を捨てるな。温くて渋いのが俺は好みだ」


 俺は話を中断し、机の上のいつ入れたか分からない急須のお茶を捨てようとした新人を止めると、休憩所内にまた笑いが散った。


 外では風は湿気をはらみ、どことなく夕立の気配がする。


 ふと遠くで雷が鳴る。


「クニエダさんか?縁起がいい」

「違いない」


 班員がそんなやりとりをした。


 俺は暖簾を押しやり、外気を吸い込んだ。湿った匂いの向こうに、九州の焦げた空気の残り香を、ほんの一瞬だけ嗅いだ気がした。


 クニ。俺はお前の背中に追いつく。横に立ってみせる。


 ラジオは背中でまだ喋っている。


「雷の守護者」


 煙草を吸おうと擦ったマッチの火は、火を付ける前にぬるく重たい風に消えた。

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