29話 希望の落雷、疑念の英雄
タケイワタツノミコトは叫び声を上げ、また熱波を身体中から噴出させた。その超高温により、大雨が蒸発して濃霧となって辺りを包む。鼻の奥が刺すように痛む。焦げと鉄の匂いに、湿った蒸気がからみつく。
ここまで水を呑まれたら、龍眼で熱波の噴き口を探したところで、焼け石に水だ。
針のような熱が肌へ満遍なく突き刺さり、方向の概念そのものが焼き切れていく。
一命を取り留めた学徒が、熱波から回避行動を取っている姿が豪雨の中薄っすらと見える。そのうちの一人が僕の方に向かって来たと思えば、その影は僕の身体を肩に背負うと、迫る熱波を横っ飛びで回避した。
「おいトノサキ!逃げるぞ!」
地面を転がりながら、良く聞き覚えのある声が聞こえた。それはツジだった。
焼け爛れた身体で、ツジはなお僕を拾いに来た。
助かったが、情けなさで喉へ詰まる。偵察兵の僕は、この状況では何ひとつ返せない。
「前線は壊滅だ、こうなってしまっては手に負えん!そもそもヒトフタマルマルまでの足止めという話だろう?!今何時だ?!」
ツジがそう言うので、僕は泣き出したくなるのを堪え、背負われたまま懐中時計を見やる。
「……ヒトヒトゴキュウ。あと一分だ」
そう僕が言うと、ツジは僕を地面に放るように下ろして、勢い良く尻を引っ叩いた。
「よし、あと一分持たせればお前の言っていた援軍が来るんだろう?!俺は熱波にやられて足が思うように動かんからもう背負ってやれん!タケイワタツノミコトの狙いはこちらを向いている、トノサキ、走るぞ!」
ツジは一目散にタケイワタツノミコトに背を向けて走るので、思わずその背中を追った。
ツジの衣服は焼け焦げ、身体には痛ましい火傷が見えた。皮膚が割れ、濡れた包帯の上で雨がはぜるのが痛むのか顔は歪んでいる。
「死んでも助かってもあと一分なら、逃げられるだけ逃げてみようじゃあないか!それで死んだらもう仕様が無い!」
心が折れ、諦めかけていた僕に、ツジは焼け爛れた顔を引き攣らせながら喉を鳴らして笑った。
「……違いない!」
何を弱気になっているのだ。
僕がこの前線に来たのは異能の学徒の生存率を上げるためである。少しでも役に立つためである。これしきの逆境に負けてなるものか。これでは散っていった学徒に申し訳が立たない。
他の者は焼け焦げ、散り散りになったが、せめて声の届くところに居るツジの退避だけでも力になる。僕は決意を固めた。
熱波の出どころは読めない。だが“来る”という反応だけは拾える。僕は再びタケイワタツノミコトを龍眼で見やる。
「ツジ!熱波が来る!」
「どこから出る?!」
「全身だ!後方一帯、逃げろ!」
僕の掛け声と共に、ツジは大戦斧の腹の部分で僕を吹き飛ばした。ツジも横っ飛びで左右に別れて熱波を回避する。
地面に転がる様に着地をすると、また雷が光った。殆ど同時にピシャリと鼓膜を破きそうな音が響く。かなり近くに落ちたようだ。
台風も本格化している。空気は重油のように重く、大粒の雨が身体を叩き、肺に入るたび咳が出る。
「雷、あいつに落ちりゃいいのに!」
「違いない!」
僕とツジは大声で言い合うと、また走り出した。
ツジは振り返りもせず、大戦斧で地面を叩き、土砂と蒸気を跳ね上げる。タケイワタツノミコトは泥とつぶてで視界を遮られ、歩みが僅かに乱れた。
しかし、無情にもタケイワタツノミコトは叫び声を上げ、再び熱波を放った。
「くっ……!」
脚が痙攣して、泥に縫い止められた。踏ん張りが利かず、地面に転がった。
眼前には、降りしきる雨を切り裂くように、タケイワタツノミコトの熱波が迫る。最早直撃は免れない。
僕は死を覚悟した。
喉の奥が酸っぱくなり、視界の端が黒く欠けた。
「トノサキ!」
霧を裂くように迫る熱波を目前に、ツジが叫びながら熱波と僕の間に入り、大戦斧を発現して熱波を防いだ。
しかし、ツジの大戦斧は砕けた。その途端に熱波がツジを呑み込み、焦げた臭いが跳ねる。瞬きの間に、輪郭が白く灼け、色が剥がれ落ちていく。
「ツジぃぃ!!!」
ツジが前方で防いでくれていたのにも関わらず、僕は熱波にやられ外套が殆ど焼け焦げて、自分の身体の赤い真皮が見える。最早痛みは感じなかった。しかし生きている。ツジの命懸けの防御により助けられたのだ。
しかし、ツジの後ろに居た僕がこの有り様なのだ。はっとして視線を前に向けると、着ていた外套なぞなかったかのように、表皮が丸焼けになって赤黒い人の形をした肉が見えた。
それがツジであることは言うまでも無かった。
胃がひっくり返り、喉がきしむ。吐き気はあるのに吐くものが無い。心臓だけが、胸板を破って逃げ出そうと暴れる。
「ツジ!無事か?!生きているのか?!」
僕の問いかけに、ツジは真赤な顔で振り向き、にや、と笑って膝から崩れ落ちた。その姿を見て、僕の膝も折れた。
終わった。僕の戦いはこれまでだ。
今まで必死に保っていた心の糸が、切れた。
もう走れない。
その地獄の光景に呆然としていると、ぼと、と僕の焦げた外套から懐中時計が落ちた。
ふと視線をやると、時計の針はヒトフタマルマルであった。丁度針が重なり合って、作戦終了時間を指している。
逃げ切れなかったのか。
ツジが身を挺して僕の生命の時間を伸ばしてくれたが、最早これまでだ。
重そうな身体を揺らしながら、のし、のしとタケイワタツノミコトが近づいてくる。
身体から熱波の残りをたゆわせながら、ゆっくりと、しかし確実に。ぬめった舌音が、雨音と雷鳴の隙間にいやに鮮明に差し込んでくる。
数秒後、僕は食われるだろう。もしくは、熱波に焼かれるか。
最後に叶うなら、もう一度舞坂前線の異能の学徒と笑い合いたかった。
団子の甘さ。湿った布団の文句。くだらない冗談。
そして──あの背中。
「クニエダ……」
言葉が漏れた。地獄のような楽しい日々を過ごしたあの仲間との思い出が走馬灯のように頭をよぎる。
僕がそう願った瞬間だった。
空気が変質した。冷たい金属を舐めたときのような、舌先の痺れ。耳の奥で細い笛が鳴り、産毛が総立ちになる。
閃光が走った。遅れて轟音。落雷だった。
それが光の槍となってタケイワタツノミコトを貫き、奴は凄まじい叫び声を上げた。
呆然と眺めているとさらに閃光が走り、再びタケイワタツノミコトに直撃する。閃光の濁流が、平野を舐めるように蠢く。
その衝撃で地面が揺れ、肌身にびりと痺れが走る。
偶然……いや、まるで狙ったように雷が落ちている。一体、何が起こっているのだ。
僕ははっとして、せめて雷の直下だけは避けようと、ツジを引きずった。
皮膚が剥け、手のひらに土砂が食い込むが構いはしない。
先程まで厚い雲に覆われて薄暗かったのが嘘のように、落雷により辺りが照らされる。
「……トノサキ……どうなっている……」
ツジが焼かれた喉から絞り出した様に呟いた。
「僕にも分からない……!落雷がタケイワタツノミコトを貫いている。一体何が……」
僕がそう言うと、ツジは一瞬空を見上げたと思えば焼け爛れた顔を歪ませ、くっと喉を鳴らした。
「ああ……ようやく来たんだな」
表皮が爛れた顔を歪ませ、ツジはどこか笑っているようであった。
「ツジ、今はしゃべるな、体力を温存しておけ!」
「……あいつが来たんだよ……遅かったな」
「あいつ……?」
一体なんの事だ。
「感じるだろ、これはあいつの異能だよ……俺は分かるんだ……長いこと一緒に居たからな」
ツジは苦悶にも似た笑みを浮かべるが、その言葉の真意は読み取れない。
「雷が異能だと……?ツジ、何を言っている、しっかりしろ!」
全く状況が読み込めない。そんな僕を見かねたように、ツジは震える腕で上空を指した。
──そこには、人影があった。
その
「あ……」
その動作に、僕は強く見覚えがあった。
舞坂前線での戦いで、上空から的確な指示を出し、時には突貫し、その鉄脚で害物を切り裂き、仲間を助けた彼を。
普遍的な“丙”の異能の反重力脚でありながら、舞坂基地の危機を救ってきたその姿を。
胸骨の裏側がじんじんと痛む。信じたい像と、龍眼が突き付ける冷たい像が、胸中でずれる。
僕は無意識の内に彼の名を叫んでいた。
しかしその声は落雷に掻き消される。
しかし僕の声が届いたが如く、その上空の“影”は雷を纏いながらタケイワタツノミコトに急降下した。
──グオォォォォォオオオオ
肉の裂ける鈍い音と血飛沫、肉の焦げる臭い、そしてタケイワタツノミコトの断末魔が響く。
そして、その土手っ腹に大きな穴を開け、ゆっくりと倒れた。
タケイワタツノミコトに穴を開けたその“影”は、目にも止まらぬ速さで僕とツジの前に立つ。敵を見据えているので見えるのは後ろ姿だ。
「遅くなった」
彼はそう言うと、腕を振り上げる。すると、まるで生き物の様にうねる無数の落雷が天から降り注ぎ、まるで鞭のように執拗にタケイワタツノミコトを叩く。
先程まで暴虐の限りを尽くしていたタケイワタツノミコトが、みるみるうちに炭化する。
彼はタケイワタツノミコトが全く動かなくなるまで落雷を食らわせ、殆ど炭になったその姿を一瞥したあと、僕らに向き合った。
「トノサキ、ツジ。良く耐えてくれた」
クニエダは、何時もと変わらぬ落ち着いた表情で、僕と半分焦げたツジをみやった。雷光に縁どられた横顔は、懐かしさと、どこか異質な冷たさを同時に帯びている。
聞きたいことは山程あった。
今までどこにいた。無事なのか。その力はなんだ。
しかし、そんなことよりも、一番に聞きたい事があった。
それが今、僕の心に動揺をもたらしている。
タケイワタツノミコトの猛攻に死を覚悟して、僕は“龍眼”の異能を常に発動させ、タケイワタツノミコトの一挙手一投足を観測していた。万が一にも隙を見つけ、逃げられる可能性にかけていた。
だからこそ生まれた疑問であり、疑念だった。
“龍眼”というのは、害物の放つ反応を拾う。
──何故その“龍眼”が、眼前のクニエダから害物の反応を示しているのか。
背筋が氷の指で撫でられるような感覚を覚える。
しかしその感覚は、久しぶりに見たクニエダの微笑みによる安堵で消えかけた。
その笑みは確かに彼のものだ──それでも、龍眼は冷酷に、彼から害物の反応を灯し続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます