28話 絶望の雨粒
僕は前線へ走った。息をする度、雨の湿りが肺に絡む。
ようやく肉眼で学徒の姿が拾える距離に近づくと、焦げた肉の匂いが雨混じりの風に乗って鼻を刺す。
タケイワタツノミコトは前線で堪えている異能の学徒を焼き払わんと、ギョロリと目玉を動かしている。
この戦いが始まってから初めてタケイワタツノミコトを間近で見たが、遠くで観測していた時に抱いた“愚鈍でのっそりしている”という印象は欠片もない。
動きは鈍重だが、その一挙手一投足に殺意が込められていた。
ゴトウダが焼け落ちてから四人になった学徒は、なおもタケイワタツノミコトの移動に合わせ攻撃を続けている。元々は倍以上の人数での編成だったにもかかわらず、今は半数の力で足止めを強いられている。その表情には疲労と焦りが刻まれていた。
ツジも普段なら大戦斧を発現させ続けているのに、今は攻撃の要所でしか発現させていない。異能の維持すら困難なほど疲弊しているのだろう。
そんな満身創痍の学徒がどこを攻撃しても、タケイワタツノミコトは倒れる気配がない。そして気を抜けば熱波に焼かれる──その緊張がこの場を支配していた。
その様子に僕の脚が止まる。
怖い。死ぬかも知れない。ここまで生き延びたのに、という卑小な悔しさが喉にまとわりついた。
そんな弱気が頭をよぎった瞬間、龍眼にタケイワタツノミコトの“光るもや”が一箇所に動き始めた。
この場で、僕しか見えない、熱波の予兆だ。
──動け、この臆病者。覚悟を決めろ!
僕は心で自分を叱咤し、恐怖で止まっていた脚を拳で殴りつける。じわりと痛みを感じるが、前線の学徒の苦しみはこんなものではない。僕は再び駆け出しながら前線の学徒へ叫んだ。
「熱波が来るぞ!左前脚の関節付近からだ、回避行動!」
学徒からの疲労の鋭い視線が一瞬だけ向けられ、直撃位置にいた学徒は即座に散開した。
その刹那、タケイワタツノミコトから熱波が噴出された。
「うわっ!」
掠っただけでも髪が焦げる。小規模ながら直撃すれば肌が焼ける熱だ。小雨を取り込んだだけでこれほどとは、改めてその脅威を思い知らされる。直撃すれば間違いなく死ぬだろう。
しかし、これ程怖いのに、仲間達は必死にタケイワタツノミコトと直接対峙して戦ってくれている。
後方を守り、足を止め、必死になって征伐せんと戦ってくれているのだ。それを思うと、目頭が熱くなった。
恐怖に喉が鳴る。
だが、逃げるな。
──今度は僕の番だ。
「トノサキ?!何故この前線に居る!」
ツジが息を切らしながら叫ぶ。
「援護だ!ヒトフタマルマルまでこの前線を耐えれば“援軍”が来る!──上は“何か”を隠してる。僕たちが折れたら終わりだ!」
正確には援護が来るなどという報は無い。噂があるだけである。しかし、皆を鼓舞しようと嘘が口からついて出た。
ヒトフタマルマルまで生き残る。その為に嘘でも何でも、士気を上げ、希望を持たせたかった。
先ほどの報告に一瞬の間もなく前線の学徒は頷き、再び攻撃に移る。流石はここまで生き残った者たちだ、理解が早い。
僕は再び龍眼で得た情報を叫ぶ。
「僕の見立てによれば、この雨量なら熱波は一度吹き出てから猶予がある!だがヒトフタマルマルに近づけば雨脚は強まり、間隔はさらに縮むだろう!その都度知らせる、生き残るぞ!」
指示を背に、学徒たちは攻撃を続ける。それが返事のようで、この状況ながら嬉しくなった。
熱波が来そうになれば発射口を指示し、回避後すぐさま攻撃を加える。数秒遅れる念波の指示では無く、僕の予測を直接その場で伝えられるだけで、皆の動きに余裕が生まれた。
「そらぁ!」
ツジの大戦斧が唸り、遂にタケイワタツノミコトは膝から前のめりに倒れ込む。
「頼もしい偵察員も駆けつけてくれて熱波は見切った!ヒトフタマルマルを待たずとも、ここが好機!いざ──!!」
「応!」
絶好の機会と見たか、“弩級腕”のクマダが軍帽ととんびコートを脱ぎ捨て吠える。
それに応じ、前線の四人も異能を限界まで解放し猛攻を仕掛けた。
クマダの弩級腕が殴り、カキクラの激蹄が蹴り、ハマベの念動力が絞り、ツジの大戦斧が斬り裂く。各前線基地の班長格が揃い踏みの連撃に、タケイワタツノミコトの硬い表皮にも亀裂が走る。
「いける、いけるぞ!」
「熱波が躱せりゃこっちのもんよ!」
「その調子で頼むぜ、龍眼の学徒!」
最後の力を振り絞るが如く凄まじい攻勢。熱波は僕の指示で軽く躱している。
ついにタケイワタツノミコトは叫び声を上げ、前脚を曲げて地面に突っ伏した。
征伐できる。
そう思った。僕は確信に近い感覚を抱きつつ、万一の反撃に備えてタケイワタツノミコトの一挙手一投足を見逃さぬよう龍眼を巡らせる。
この霧雨では、次の熱波までまだ間がある。
あるはずだった。
半ば勝利を確信した刹那、肌にたつたつと何かが当たった。
「え?」
疑問を口にした瞬間、茹だるような暑さの中、温い一雫が頬を伝う。水、いや雨粒だ。
そう認識した途端、大粒の雨が身体を一気に叩きつけた。前方では、雨脚が前線に押し寄せる。はっとして外套の内ポケットの懐中時計を親指で拭い見る。
ヒトヒトゴハチ。作戦完了まで残り二分。
始めの雨粒から懐中時計を見終わるまで、一秒にも満たない時間だっただろう。それにも関わらず、世界は土砂降りに塗り替わる。台風が、前線を飲み込んだ。
「っ?!大雨!退避しろ、熱波が来る!!」
僕の叫びと、大雨の壁がタケイワタツノミコトに届いたのはほぼ同時だった。
叫んだ瞬間、タケイワタツノミコトから猛烈な熱波が吹き出す。
壁のような風圧に身体は吹き飛ばされ、頭皮を焼く焦げ臭が鼻を衝く。
混乱する意識を抑え、前方を確認する。攻撃を加えていた前線の四人は防御姿勢を取り、ひとまず熱波を凌いだかに見えた。
だが、タケイワタツノミコトの皮膚の熱波放射口には、いまだに大量の雨が流れ込んでいる。
「っ!また熱波が……」
次の瞬間、僕の言葉を待たず、二発目の熱波が走った。
両腕を交差させ防御を試みるも、外套は焼け焦げ、肉へと熱が伝わる。肉の焼ける匂いと痛みで意識が飛びかける。
だが僕は倒れられない。今、九州を背負い最前線で戦う四人より先に倒れるわけにはいかない。最早気力のみで揺れる足をなんとか地面に縫い留め、唇を噛み締め前線を見据える。
そして──その光景に息を呑む。
前線の四人のうち、立ったまま真っ黒に炭化した学徒、一名。辛うじて二発目を耐えた学徒、三名。
熱波を耐えた学徒も、赤黒い真皮が露出している。もはや遠目では誰がどうなっているのか判別できる状態ではなかった。
先程までタケイワタツノミコトを征伐目前まで追い詰めていた寄りすぐりの学徒が、一瞬でこの有り様とは。
炭化した肉体に降り注ぐ雨粒が白い蒸気となり天へ昇るさまは、まさに地獄の光景だった。
熱波で焼かれた喉の奥でひ、と声ならざる声が鳴る。
……夢ならば醒めてくれ
心の中で何度も叫ぶが、目の前の状況が変わることは無かった。
タケイワタツノミコトが、再びゆっくりと立ち上がった。
土砂降りが身体を叩く。
死への恐怖か、絶望の重さか。自分でも理由は分からないが、身体が石のように固まり動かない。
一瞬の閃光。間を置かず雷鳴が鳴り、雷はすぐ近くに落ちた。まるで空までが敵に見えた。
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