17話 重複異能
一九四三年、六月二十日。
舞阪基地所属・クニエダの重複異能実験を開始。
膜の発現もあり、新規異能への適応率は高いが害物化の危険も高い。拘束解除は行わず、実験を行う。
──以下、回想。
混濁する意識の底で、私は強い光に晒されていることだけを理解した。
閉じた瞼の裏が白く滲み、温かみはない。薬品の匂いが鼻を突く。さらに、一定間隔でぐわん、ぐわんと脳が揺れる感覚がある。
ここは何処だ……?
うすぼんやりする脳を回転させる。
前の記憶と言えば、イナリ特務官と舞阪基地の医務室で会話をした所までの記憶しかない。そこで首に刺激を感じたと思った瞬間、意識が遠のいたのは覚えている。
そして現在、再び寝台に寝かされていた。まるで自分の意識下に無いかの様な重さの四肢を動かそうと試みるが、革ベルトで両手足を拘束されており、動かす度に革の擦れる様な音が微かに耳に届く。
しかし意識が戻ったためか、段々に五感が戻って来た。
そう思った瞬間、頬に強い衝撃が走った。一瞬何が起こったのかと思ったが、これは平手打ちだ。先程から感じていた脳の揺れの原因はこれだ。
そう理解した瞬間、また衝撃が来た。鋭く自分の頬の肉を弾く平手の音が鮮明に感じられ、次に痛みがじわりと両頬に伝わる。
「ぐ、お」
声を上げようとも舌が回らず、自身の喉からはくぐもった
「やっと意識が戻ったか。おいイナリ!こいつ意識が戻ったぞ!」
私の呻き声を聞いてか平手打ちが止み、何者かの声が耳に伝わる。イナリという単語も聞き取れた。
その後、何者かの足音が私に近付き、両肩を揺する。しかし、どうしても瞼が開かない。声を出そうにも呻き声が漏れるばかりだ。
しばらく肩が揺すられていたのだが、急にそれが止まったかと思えば、全身に刺すような冷たい刺激を感じた。それと同時に完全に意識が覚醒する。
私がようやく目を見開くと、いくつもの電球がついた投光器が私に向けられており、あまりの眩しさに再び目を細める。
「おい、起きたか?返事をしろよ、特務官の前だぞ。無礼な奴め」
同じ学徒だろうか。軍帽ととんびコートを羽織った体躯の良い男が私の寝台の枕元に立っていた。私は返答を試みるが、まだ上手く声が出ない。
私の全身は水に濡れていた。先程感じた刺激は、どうやら本当に水を浴びせられていたようだ。
「クニエダ君、起きたかい」
動く範囲で声のする方に顔を向けると、そこにはイナリ特務官の姿があった。
「悪いね、そんな恰好にしてしまって。声は出せるかい?」
意識は戻ったが、声はまだ戻らない。呻き声にも似た声を絞り出して答える。
「まだ声は出ないか。もっとも、返答を貰ってもどうしようも無いのだがね。色々と伝えなければならないことがあるから、悪いがそのまま聞いてくれ」
イナリ特務官はわざとらしく肩を落とした。
「まず、ここは我々の拠点だ。異能によって隠されているから害物や人間には通常探知されることも無い。その異能を使うのがこのカンザキだ。手先が器用な男でね、
イナリ特務官に肩を叩かれたのは、私に平手を喰らわせていた男であった。胸板は厚く、服の上からで体躯の良さが分かる。
「カンザキだ。“
カンザキと呼ばれた男は
「カンザキ、クニエダ君はまだ喋れないんだから大目に見てやれ。悪いねクニエダ君、彼はこういうところがあるのだ」
イナリ特務官は
「次に、異能特別任務班の事について説明しようか。長いから“
イナリ特務官は二本指を立てて顔に近づけた。
「一つは、前線基地所属の異能の学徒では対応が難しいような害物の出現時の征伐。四年前に出現した“
四年前、太平洋の中心に現れた“害物の島”。知らないはずがない。それは、私たちが前線で命を張る理由そのものだった。
害物を生み出すそこには、
「そこから
なんだと……?
私の驚きなど無視するように、イナリ特務官は芝居がかった物言いで続ける。
「前線にそんな害物が現れたら異能の学徒ではどうしようもない。だから我々特班が先行して処理しているんだ。そして、あまりに強い害物には神を冠した名が付けられる。くく、皮肉だろう?」
さも簡単に、楽しげにイナリ特務官は言うが、私は愕然とした。今まで我々が命を賭して戦っていた害物は、既に特班により間引かれたものだったとは。
「驚いたかい?だが特段気にすることは無い。そんな害物を相手に出来る強力な異能を持つ物が“特務班”なのだから。異能の学徒だって命を張って本土防衛に努めているという事は良く分かっているよ」
イナリ特務官は私の肩に手を置きながら語りかけてくる。
「二つ目の任務は異能の研究。むしろこちらに力を入れていると言っても過言ではない。異能研究は各国で横ばいの状況にある。日ノ国も実験に罪人や、助からない病人を使って実験を重ねているが、まだ途上だ」
異能の実験に、罪人、病人を使うだと?いとも簡単に恐ろしい言葉を口にするイナリ特務官に、胃の底が冷えた。イナリ特務官は細い目を少し開き、視線を私に向ける。
「そして昨年五月、米国で新たに研究が進んだ。異能を一人の人間に重複して載せる事に成功したのだよ。
イナリ特務官は喉を鳴らして笑い、カンザキもそれに釣られたように口角を上げた。
以前ツジが言っていた噂話は本当だったのか。
「しかし明確な発現方法は
イナリ特務官は一息つくかのように、胸ポケットから葉巻を取り出してゆっくり火を付けて煙をくゆらせた。
「しかし、我々も後れを取るわけにはいかないのだ。だからクニエダ君に協力してほしい」
イナリ特務官が目配せすると、カンザキは薄ら笑い、私の体を覆っていた布を慣れた手つき引き剥がした。
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