16話 イナリ特務官

「クニエダ」


 私を見据えたタハラ中佐は、勢いよく寝台脇に駆け寄ってきた。


「お前、反重力脚はんじゅうりょくきゃくに“まく”が発現したのか?」


 タハラ中佐は私の両肩に手を掛け、顔を覗き込むように言った。


「はい。サクラダやツジの異能と同じ薄紅色うすべにいろの膜が発現しました。あれが出た瞬間、異能の力がぐんと高まったように感じたのですが、あれは一体何なのでしょう」


 私の報告にタハラ中佐は舌打ちをすると、私の両肩から手を離し椅子にどさりと座った。


「お前は反重力脚と親和性しんわせいが高かったからいつかはと思っていたが──今は早すぎる。クニエダ、よく聞け。今からおそらく害物対策省のお偉方が来るだろう。何か持ちかけられても、長生きしたければ断われ」


 タハラ中佐は非常に焦った様子で早口にまくし立てる。しかし、その話が何を意図してのものなのか皆目見当が付かない。


「タハラ中佐、話が読めません。害物対策省が来るとは一体どういう事です。私の脚に発現した膜と何か関係があるのですか?」

「今は説明している時間はない!とにかく、まだ調子が良くないだとか異能が制御出来ないとか何でもいい、取りつくろって──」


 タハラ中佐は言葉を続けようと口を動かすが、それは医務室の扉が開いた音にさえぎられた。


「やあ諸君。調子はどうだい」


 その方向を向くと、私はぎょっとした。タハラ中佐も、トノサキも同様の様子である。


 ぴんと糊の付いた、綺麗な軍服をまとった人物がそこに立っていた。肩には飾りが付き、襟には日ノ国の最上位相当の位を表す五本線が入っている。 


 切れ長の瞳から見える視線が部屋を見渡すと、凍り付いたかのような緊張感が走った。


 その方・・・と私は直接会ったことは無かったが、その顔と来歴は幾度となく目にしてきた。


「イナリ特務官……何故ここにいるのです」


 タハラ中佐は椅子から立ち上がり、唇を震わせながら言う。


 害物対策省のイナリ特務官。

 日ノ国の対害物における統括とうかつが、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。


「新たに“膜”の発現者はつげんしゃが現れたのだ。会いたいじゃないか、ええ?タハラよ」


 イナリ特務官は狐のように細い目でタハラ中佐を見つめ、人懐こさと鋭さを同時に感じさせる笑顔を浮かべると、つかつかと私の寝台の隣に歩み寄り、タハラ中佐が座っていた椅子に上品に腰掛けた。


 タハラ中佐はごく小さく舌打ちをし、直立の姿勢を取った。

 トノサキは突如現れた上官に蛇に睨まれた蛙のように硬直し、仰天ぎょうてんしている様子だった。無論、私も同様である。


 国の独立機関で害物情報を扱う“害物対策省”所属、そしてタハラ中佐の直属の上官である。

 害物と異能持ちの人間が最初に正面からぶつかった本土決戦の生き残りの一人であり、日ノ国最初期の異能発現者でもある。


 異能の学徒からも、日ノ国にとっても名実ともに英雄に等しい存在だ。


「東海の前線基地の異能の学徒の監督は私のはずです。貴方が直接ここに足を運ぶのは順序が違いませんか。先ずは私に話を通してからにしていただきたい」


 タハラ中佐がそう言うと、イナリ特務官は笑顔を崩さずに答えた。


「ただ害物から国をまもる戦友を見舞いに来たんだ。書類は後でいいだろう?」


 イナリ特務官は寝台横に立っていたトノサキをふいに見つめ、座ったばかりの椅子から勢い良く立ち上がりツカツカと歩を進めてトノサキの目の前に立った。


「君、トノサキ君だね?龍眼りゅうがんの異能の」


 急に名を呼ばれたトノサキは、先程までもしゃっきりと立っていたが、さらに背筋を伸ばして反りくり返りそうになりながら返事をした。


「はっ、はい!そうであります!」


 トノサキの切れの良い返事に、イナリ特務官は笑みを見せた。


「物凄い精度だと言うじゃないか。カナモト少佐から話は聞いているよ。舞阪の要だな」

「あっ……は、はい!前線基地勤めの末端の異能の学徒に頂くにはあまりに光栄な言葉であります!」


 他の異能と違い攻撃手段が無いトノサキは、日頃からその事を思い悩んでいた。それもあるのだろう、その一言に涙を浮かべている。イナリ特務官はそれを見て、穏やかに笑った。


「それで悪いんだがトノサキ君、ちょっとクニエダ君と二人で話したいのだ。タハラ中佐と席を外してくれないか」


 その言葉を聞いた途端、トノサキの視線が、私とタハラの間を往復した。だが、害物対策省の上官からの命令に従わぬはずはない。トノサキは勢いよく立ち上がるとイナリ特務官と私に敬礼を向ける。


「分かりました、それでは自分はこれで失礼します!クニエダ班長、お大事になさって下さい」


 そう言うと、トノサキは機敏に医務室から出て行った。イナリ特務官が居るからと言って、わざとらしい程の行儀の良さである。この気持ちの良い敬礼を、少しでもカナモト少佐に向けることが出来れば今よりは円滑な関係が築けるだろうに。


 タハラ中佐はイナリ特務官を軽くにらんだ後、私に向かって胸ポケットから吸いかけの煙草を枕元に置いた。


「……餞別せんべつだ。よく考えろよ」


 そう小さく呟くように言って、タハラ中佐も医務室を後にした。


 部屋に一瞬の静寂が流れる。イナリ特務官は改めて椅子に座ると、私を見据える。


「さてとクニエダ君、先の戦闘の報告を聞いたよ。君は異能の練達の域に達しているようだ。自己保有型の異能である反重力脚に“膜”の発現をさせることが出来るのだろう。今回が初めてか?」

「はい、反重力脚に膜を纏う事象は今回が初めてです」


 私の回答に、イナリ特務官はにんまりと口角を上げる。


「膜を纏ったことで、異能に何か変化はあったか?」

「今までより反重力脚の異能が力強く発現しているように感じました。大王烏賊のような大型の害物を一撃で仕留めるなど今までは出来ませんでしたから。これは一体なんなのです?」

「素晴らしい」


 有り体ありていに現在の状況を説明すると、イナリ特務官の顔が明るくなった。


「“膜”というのは害物の力の根幹こんかんだ。それが発現したとは、いやはや全く持って素晴らしい。それに反重力脚のような自己保有型の異能を宿した者が膜を発現するのは稀だ」


 イナリ特務官は私を見つめながら答える。


「国としては、その発現方法の解明を進めているのだ。“膜”を他の者にも同じように発現させることが出来れば、天秤は大きく日ノ国に傾く」


 イナリ特務官は笑みを消さず、椅子をきしませて身を乗り出す。そして、私の耳元で囁いた。


「そして……膜を纏った異能使いはもう前線・・には勿体ない。今日私が舞阪基地ここに来たのは他でもない、君にお願いしたい事があるんだ」


 害物対策省の統括が末端の異能の学徒へする“お願い”とは一体なんなのか。疑問とは裏腹に、立場上すぐさま頷ずかざるを得ない。


「勿論、私に出来る事であれば」

「ありがとう。急だが、所属の変更をお願いしたい。“異能特殊任務班いのうとくしゅにんむはん”という言葉、耳にした事はあるかい?」


 私はイナリ特務官の口から出た言葉に大いに驚いた。本当に実在したとは。


異能特殊任務班いのうとくしゅにんむはん


 それは異能の学徒の間でまことしやかに語られる眉唾まゆつばものの噂だった。


 強力な異能を宿した者、多大な戦果を挙げた者、特別な技能を持つ者──そうした者たちが国と連携しながらも独立した部隊に誘致ゆうちされ、通常の征伐では対処できない強力な害物をほふる特別任務を担うという。


 夢物語のような噂にすぎない話。

 しかし今、イナリ特務官の口から確かに出た。


「もし承諾してくれれば、本日付けで君の所属は異能特殊任務班だ。ただし所属は秘匿され、舞阪基地と兼任となる。それに……」


 イナリ特務官はゆるりと笑みを深めた。


「君の妹、害物病なのだろう?今はタハラの紹介で治療しているそうだが、所詮一般の医療だ。君が特務班に入るなら、研究最先端の治療施設へ移してやろう」


 害物病──妹を蝕む原因不明の病。皮膚が赤くただれ、やがて全身に広がるその症状は、害物出現と同時期に現れた。


 これは上官命令だ。普段なら即答せねばならない。

しかし、私は胸の奥で激しく揺れた。


 胸奥でタハラ中佐の「害物対策省に気をつけろ」という忠告が鋭くうずく。


 それでも。妹の、薄い呼吸。布団越しに聞いた、喉の鳴る音。それが浮かんだ瞬間、もう断れなかった。


「……勿論です。私の力が役立つのなら。妹へのご配慮、感謝致します」


 その言葉が、自分のものではない気がした。私の返答に、イナリ特務官は愉快ゆかいそうに目を細めた。


「潔いな。もう少し迷ってくれると面白かったのだが、まあいい。それはそれとして、君の異能には先立って解明すべき事象がある」


 言うが早いか、イナリ特務官は音もなく立ち上がり、目にも止まらぬ速さで私の首筋に触れた。

 一瞬遅れて、鋭い痛みがはしる。


「なっ──!」


 驚いて見上げると、彼の手には中身の空の注射器。針先から薄紅色の液体が滴り落ちていた。見覚えのある色。


 異能を授ける害物の体液の色──。


「イナリ特務官、一体何を……」


 言葉はそこまでだった。視界がぼやけ、耳鳴りが世界を遠ざける。


 意識は闇へと滑り落ち、私は自分が倒れたのかどうかすら分からなくなった。

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