11話 誤報

 海沿いの風がゆるやかに吹き抜けていた。


 舞阪基地は、海岸線に沿って作られた木造の兵舎が並び、潮風に晒された屋根板は白くせている。

 敷地の端には訓練場と簡素な通信塔、詰所つめしょの裏には干した軍服や湯を沸かすドラム缶風呂が見える。


 潮の香りと油のにおいが入り混じる中、舞阪前線基地の一角にある木造の詰所は、昼下がりの静けさに包まれていた。

 

 害物が現れぬ日など、ここでは月に数日もない。だからこそ、この穏やかな空気はどこか信じがたいもののようにも感じられた。


 遠くで訓練用の鐘が鳴り、誰かが笑う声が聞こえる。それだけで、まるで別の世界にいるような錯覚を覚える。


 私は机に広げた他前線基地の報告書をめくりながら、今月に入ってから自分が征伐した害物の報告書を作っていた。征伐数が多いと、紙束が山のように積み上がる。

 加えて、こういった作業が苦手なツジが、提出ぎりぎりになって手伝ってくれと毎回駆け込んで来るのだ。それを思うと、少々頭が痛くなってくる。


 ふと、窓際にかけてあった鉄脚てっきゃくを眺めた。戦場に出ない日は、あれがただの金属の塊に見える。しかし、その刻まれた細かな傷やへこみが、今まで共に戦場を駆けた証だ。なんとなしに傷の数を数えかけて、やめた。


 そんなことをしていると、外から陽気な声が響いた。


「おーい、クニ!真面目にやってるか!」


 声の主はツジだった。

 入り口の戸を勢いよく開け放ち、片手に紙包みをかかげている。

 堀の深い顔に白い歯を覗かせ、額はうっすら汗ばんでいる。


「どうした。訓練は?」

「終わった。帰りに港の方に寄ったら、おばちゃんが団子を焼いていてな。“ツジちゃん今日も立派だねぇ”って、これを貰ったんだ」


 そう言って笑うツジは肩で息をしている。団子を貰ったので冷める前にと、一目散に持ってきてくれたのだろう。基地の周りの町で、ツジはすっかり顔なじみだ。


 もっとも、最初からそうだったわけではない。害物の体液を入れられた私たちは、町の人々から指をさされ、腫れ物のように扱われた。

 それでもツジは「近所のよしみ」だと言って、空いた時間に港へ顔を出し、網の手入れや荷の運びを手伝い始めた。いつしかそれはツジ一人ではなく、手の空いた学徒も黙って交じるようになっていった。

 気味悪がる声が消えたわけではないが、そうしているうちに、この辺りでは名前で呼ばれるようになっていた。

 

 特にツジは年配の婦人方には滅法めっぽう人気がある。

 頼まれごともよくされており、戦地では頼りになる戦友だが、基地の近所では完全に「良い青年」そのものだった。


 ──まったくもって、どこへ行っても人気な奴だ。

 その人誑ひとたらしぶりに、少々の羨ましさと嫉妬を交えて答える。


「なんだ、またおばちゃんに好かれてきたのか」

「まあな。あの辺に俺が行くと団子の売り上げが立たなくなるって近所のおっちゃんに言われた」

「そのおっちゃんからも、たびたび魚を貰ってくるだろう」


 ツジがまあな、と高笑いする。

 その声に反応するように、部屋の奥で資料を束ねていたオミカワとオギウエが顔を上げた。


「……それ、団子?」

「まあ、いい香りがすると思ったら!」


 彼女達は椅子を引いてこちらに歩いて来た。

 ツジの団子を見て、オミカワの浅く被った軍帽の下、つり目気味の瞳がわずかに輝いた。その横顔に冷たい海風が差し込み、束ねた髪がふわりと揺れる。

 オギウエも同様に、目を輝かせている。


「おう、みたらしだ。腹減ってんだろ?一本やるよ」

「……いいの?」

「当たり前だ。軍の残り物のような飯では腹一杯にはならんだろう」


 ツジが包みを開くと、湯気の立つ団子の香りが部屋に広がった。

 甘い醤油の香ばしい匂いに、オミカワは喉を鳴らしてうっとりとした表情で団子を見つめている。

 だが、私の視線に気づくと、はっとして表情を引き締める。


「い、いや……私はいらない。甘い物は好きじゃないから。オギウエ、私の分も食べて良いよ」

「ほう、そうかそうかぁ」


 ツジがにやりと笑う。


「クニが居ない時は大喜びでむしゃむしゃ食ってたのに、クニの前だと食い意地出すのは恥ずかしいってか?相変わらず乙女なこって」

「ちょ、ちょっとツジ!違うから!クニエダ、違うんだからね!」


 何が違うのかはよく分からないが、オミカワはツジと私を交互に見ながら真っ赤になって叫ぶ。


「あら、あらあらあら!そういう事なのですか?!オミカワさん、ちょっとその話を詳しく伺いたいのですが!」

「ちがっ、オギウエ、違うっ!」


 オギウエも団子を目の前にした時以上に目を輝かせ、オミカワに詰め寄った。

 そのやりとりを見て、ツジが腹を抱えて笑っている。

 私は苦笑いしながら、窓の外に視線を向ける。穏やかな日常だ。だが、いつまでも続くものではない。

 このように皆で笑い合える時間など、あとどれほど残されているのか──ふと、そんなことを思った。


 そのときだった。甲高いサイレンが基地全体に響き渡った。


──警報!警報!西南の海上に害物の影、全員待機せよ。


 一瞬で笑い声が途切れた。私は立ち上がり、すぐさま鉄脚を掴む。

 ツジは団子を机の上に放り出し、オミカワは反射的に眼帯に手をかけた。オギウエも口を結んで拡声器に目を向ける。


「来たか……」

「今日の出撃はクニエダ班私たちだったな……サクラダは調子が悪そうだったから遠距離攻撃をしてこない害物だといいが……」

 オミカワが小さく呟く。ツジは苦々しい顔で外をにらんだ。


 その直後、また無線が鳴った。


──先ほどの警報、誤報である。再確認の結果、害物影は漁船の残骸によるものだった。繰り返す、先ほどの警報は誤報だ……


 警報が止むと、基地に再び波音が戻ってきた。

 

 詰所の全員が、同時に息をついた。


 鉄脚を握る手から、力が抜ける。正面のオギウエも、祈るように結んでいた両手を解いた。

 あれほど緊張していた空気が、少しずつ溶けていく。


「……まったく、人騒がせだ。こりゃトノサキの龍眼では無く軍部の哨戒船しょうかいせんからの報告だな。精度が低いんだから偵察はトノサキに一任すりゃいいのに」


 ツジがため息をつく。


「そう言うな、ツジ。今後トノサキの龍眼をくぐる、目視でしか確認できない害物が来ないとも限らんだろう」

「ま、それを言われりゃそうか」


 私とツジがそんな話をしている後ろで、オギウエは本当にほっとしたように大きく息を吐いた。


「誤報で良かったです……本当に」


 オミカワはそれに頷き、机に乗っている団子をじっと見つめた。


 そして、ためらいもなくぱくりと口に入れる。


「……おいしい」

「甘いの嫌いじゃなかったのか?」

「うるさい。食える時に食わなきゃって思っただけだ」


 ツジの小言にオミカワは顔を赤らめながら、串に残った団子も勢いよく頬張った。


「……そんな事よりオミカワさん、さっきの話の続きしましょうよ。私、同じ年頃の子とそういう話をするのが夢だったんです!」

「え、ちょ、ちょっと……!」


 オミカワの肩を掴むと、オギウエは非常に楽しそうに一番奥の机まで引っ張っていった。もちろん片手には団子を握ることを忘れていない。


 ツジが笑いながらその様子を見守る。


「くくく。オミカワもオギウエにはたじたじだな。男所帯だったからああいうやりとりも出来なかっただろうし、仲良くやっているようで何よりだ」

「そうだな」


 私は机に肘をつき、ふと視線を落とすと、空になった団子の串が転がっている。


「……こんな日が、ずっと続けばいいのにな」


 ツジがぼそりと呟いた。


「……そうだな」


 私も答える。


 窓の外、灰色の海の向こうに日が沈みかけていた。

 戦のない静けさの中、団子の甘い香りだけが、確かにそこに残っていた。

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