懊悩過愛

 ――このままではだめだと思っていた。

 弱小領たるリンデン男爵領が、今も領地を保てているのはわけがある。

 大した地下資源もなく、それほどの農作物も育たず、得意な産業といえば織物くらい。

 それだって、遠くの神聖国レルガの足元にも及ばない。


 ほかの貴族に狙われつつも、領土を保っているのは、とある禁術の実験場になっているからだった。


 禁術『愛情再分配』。


 愛情を司るマナを特定し、測定し……徴収し、再分配する一連の秘術は、今や禁術として扱われていた。

 リンデン男爵領は、領民全体にその禁術を行使し、結果を見守るためだけに生かされていた。


 いうなれば、綱渡りだった。

 完璧な成功を収めれば不要として周囲の貴族領に取り込まれることは想像に難くない。完全な失敗を犯せば取り潰しになるのだって間違いない。

 実験が続いている間しか、この男爵領はまともに立ち行かない。

  

 だからリンデン男爵令嬢、ベルエッタ=リンデンは、ずっとずっと困っていた。

 何とかしようと足掻いて、無理をして、心を砕いて――結果として、彼女の意識は途絶えてしまったのだと思う。


 *

 

 ベルエッタが目を開けば、そこは暖かい部屋だった。

 しばらく、温調魔法を起動させた覚えはない。

 それどころか、温調魔法に気をまわした覚えもない。


 見回せば、なんだか寝具も、誇りの積もっていた本棚も、綺麗に整えられているような気がした。

 自室の手入れをしたのなんていつのことだろう?


「……あれ、私、どうして寝ていたんだっけ」


 ここまでの快眠はしばらく覚えがなかった気がする。

 頭がすっきりしていることに、違和感を覚えるほど。


 そして、その違和感は実を結ぶ。

 

「まずい……!!」


 寝具から跳び起きて、私は魔術室へと向かおうとして――


「お目覚めですか。お嬢様」


 知っているような声が響いた。


「倒れたばかりなのです、無理をしてはいけませんよ」


 そう伝えてくるのは、執事のレオだった。モノクルに、燕尾服。それから白手袋。ずっと変わることのない彼の姿だった。

 香り高い紅茶を入れているのだろう。鼻の奥に落ち着く香りが流れ込む。

 だけど、それを以てしても、落ち着いてなんていられなかった。

 

「でも、私、やらなきゃ」

 

 履物なんて気にすることができないまま、禁術管理室へ駆けだそうとする。

 ――領民の愛情再分配というのは、思った以上にうまくいかないものだった。

 禁術が禁術たりえたのは、領民の生み出す総愛量より、領民の欲する総愛量の方が多かったからである。

 必定、すべてを徴収して、すべてを分配した瞬間に不満の総量が跳ね上がりうる。「満たされない」が、蔓延しかねない。


 そして、それを補填するために、術者から膨大なマナを奪う仕掛けになっているのだった。

 

 この国では大層めずらしい艶やかな黒髪が、それを制止した。


「禁術のことなら、もう何も心配はございません」


 制止したのはレオであった。


「心配がないわけ、ないでしょう」


 ――愛情のマナというのは、大きくふたつに大別される。

 ひとつ、自己愛のマナ。これは多くの場合、マナのほとんどすべてを占める。

 ふたつ、他者愛のマナ。これは多くの場合、マナの少しだけの割合で存在する。

 そして、再分配の対象となるのは、後者の他者愛のマナだった。

 奪いあげて、こね合わせて、均質にして、別途測量機構が算出して必要量通りに分配する。禁術が行っているのはそういう工程であり、破綻した回路だった。

  

 ベルエッタの一族で禁術適正があったのは数人。

 ただ、使っていくうちに、皆壊れて逝ってしまった。

 足りない分を、術者ののマナを奪い取ることで補填していたのだった。

 

「もう大丈夫です。私が終わらせてしまいましたので」

 

 そこにあったのは、貴族の血統でもなければ使えない禁術を使って見せる彼の姿だった。


「まあ、これを使いたくはなかったのですが仕方がなかったというものでしょう」


 執事はにこりと微笑んでいた。

 

 ――ええ、良いのです。私は貴女のために。貴女の障害になるものは、すべて排除して差し上げますとも。禁術から守っていた私の心を捨てたとしても。


「ええ、ゆっくり、おやすみください。お嬢様」


 

 ※


 

 【Tips】

 執事:レオ=

 内在マナ 200/200 → 157/200

 外在マナ 14106/?? → 0?/??

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