俺の逆鱗に触れるな

 俺の婚約者であるミュリエル・アプリコットは、自分の魅力をまったく自覚していないらしい。


 帝都にあるアプリコット伯爵家の別邸。

 窓の外に雪がちらつく中、俺はミュリエルが手作りした菓子と紅茶を楽しみながら、彼女の様子を眺めていた。どうやら彼女は最近、俺の婚約者であることに引け目を感じているようなのだが。


 結い上げた銀色の髪が不安げに揺れ、青い瞳は射抜くように俺をジッと見つめてくる。


「わたくし、噂を耳にしましたの」

「噂?」

「えぇ。漆黒の魔術師グラド・バーニアは先日、竜を狩ったそうですわね。皇帝陛下から〈氷獄〉の名を与えられたと」


 あぁ、その話を聞いたのか。

 帝都の人間は、よほど話題に飢えているんだろう。竜を倒したのは数日前だが、あれから毎日その話ばかり聞かれる。


「竜といっても小ぶりな個体だったがな。それに、俺一人の成果でもない。騎士学校の者たちが前衛として竜を抑え込み、俺たち魔術師学校の者たちで協力して仕留めたんだ」

「先陣を切って勇ましく戦ったとか」

「あぁ。尊敬すべきな先輩たちが、我先にと逃げ出してしまったからな。指揮を執る者が他にいなかった」


 高位貴族たちが必要以上に俺を評価する理由も、容易に想像がついた。

 なにせ「今回の竜は取るに足らない雑魚魔物だった」という結論になってしまえば、逃げ出したご子息たちの経歴に傷がつく。それなら、俺を英雄に仕立て上げた方が、まだ体面を保てるというだけの話だ。


 しかし、俺が何をどう説明しても、ミュリエルの表情は優れない。


「あの、第二皇女殿下が……エリサーナ様が言っていたんです」

「ん? 皇女殿下?」

「はい。竜狩りの英雄は、その栄誉に相応しい乙女を娶るべきだと。果たして英雄グラドは誰に求婚するのか……女学校では、そんな話で持ちきりなんです。皇女殿下は自信がおありのようで」


 あぁ、なるほどな。こちらに婚約者がいても、お構いなしというわけだ。

 どうも最近は、俺のことを手に入れようと狙ってくる家が後を絶たないが、ついに皇家も興味を持ったのか。面倒だな。女学校ではきっと、ミュリエルに対して心ない言葉をかける者もいるのだろう。


「まったく……魔術師は対魔物防衛において重要な戦力だ。ご令嬢に箔をつけるためのアクセサリーじゃないんだが」

「その。それを言ってしまえば、わたくしも貴族令嬢なのですけれど」

「愚問だな。アプリコット伯爵領は瘴気が濃く、厄介な魔物も多い。戦力確保の必要性からして、平和ボケした帝都とはワケが違うだろう。それに俺は、自ら望んでミュリエルの婚約者になったんだ」


 いざとなれば、俺はミュリエルを連れてアプリコット伯爵領に帰ってしまうつもりだ。なにせ伯爵からも既に許可は得ているからな。

 この二年間で、帝都で学べる最新の魔術はあらかた把握した。書籍を買い漁って、必要な人脈も築いたから、あとはミュリエルの卒業を待つかどうかだけの話なのだ。


 俺はふぅと息を吐いて、腰のポーチから小箱を一つ取り出した。


「ミュリエル」

「……はい」

「先日仕留めたを加工して、髪飾りを作った。ミュリエルにはこれを、肌身離さず持っていてほしい……この意味は、ちゃんと伝わっているだろうか」


 俺が小箱を差し出すと、ミュリエルは目を丸くしてしばし固まり、震える手でそれを受け取った。

 実はこの国の初代皇帝は、後に皇后になる女性に「竜の逆鱗」を贈って口説き落としたという伝承が残っている。彼がそれに込めた想いは。


――貴女は私の逆鱗だ。傷つけようとする者は、誰であろうと許さない。


 初代皇帝の話が広まって以降、意中の女性へのプロポーズのため、竜に挑む若者が増えた。しかし残念ながら、竜というのはそう簡単に殺せるものではなく、成功者は少ない。

 実を言うと、俺もいずれは竜狩りをしようと考えていたんだがな。向こうから飛び込んできてくれたのは、幸運だったと言っていい。


「本当はもう少し、ロマンチックな雰囲気で渡そうと思っていたんだが。俺はどうにも、そういう機微に疎くてな」

「いえ……わたくしは、そのままのグラドがいいのです。ありがとう。すごく、すごく嬉しい」


 ミュリエルが小箱の蓋を開ければ、そこには手のひらほどの大きさの髪飾りがあった。

 薄青色でほんのり透き通った逆鱗は、綺麗なだけでなく、魔装具素材としても優秀だ。非常に硬く、魔力耐性も高い上に、とても軽量だからな。


 帝都の職人は、皆どこかの貴族の息がかかった者ばかりだから、俺は自分の手でこれを仕上げた。おかげで徹夜をしてしまったが、細部までこだわった一品を仕上げられた。判断としては悪くなかっただろう。


「逆鱗の色は、ミュリエルの瞳の青に近くなるよう下処理をした。それから、髪色に合わせて魔銀の術式回路を彫ったんだ。あぁ、中央の黒曜宝珠は俺の色にしたんだ」

「そんな高価な品を……わたくしに」

「加工は自分でしたから、かかったのは材料費くらいだがな。竜素材の売却益で十分に賄えた。特に竜の肝は鮮度が高かったから、錬金術師が高値をつけてくれてな……ミュリエル。中央の宝珠に魔力を流してみてくれるか」


 すると、ミュリエルが指先でそっと髪飾りに触れる。術式回路は彼女の魔力を吸って、髪飾りの端にボウッと文字が浮かび上がった。


――グラドからミュリエルへ、永遠を誓って。


 あまり多くの言葉は刻めなかったが、どうやら俺の想いはちゃんと伝わったらしい。ミュリエルの表情は、まるで花が咲いたように明るくなっていた。


「ふふふ……ごめんなさい。貴方の気持ちはずっと知っていましたのに、いつの間にか弱気になっておりました」

「構わない。ミュリエルの不安も、これで多少は払拭されただろうか」

「えぇ、もう何の憂いもありませんわ。ねぇ、グラド……わたくしの髪に、この髪飾りをつけていただけますか? 貴方の手で」


 ミュリエルのその言葉に、今度は俺が戸惑う番だった。

 未婚の女性が、自分の髪を異性に触らせる。その意味が分からないほど、俺も鈍くはないつもりだ。ミュリエルは耳まで真っ赤になりながら、恥ずかしさを堪えているようだ。


 編み込まれた後ろ髪にそっと触れると、彼女の肩がピクリと震える。


「……他の誰でもない。俺がこの逆鱗を贈りたいのは君だけだ、ミュリエル」


 気がつけば、窓の外には薄っすらと雪が積もり始めていた。

 ひっそりと現れた使用人が暖炉に薪を焚べて、俺たちを見てニヤリと笑ってから去っていく。おそらくいつものように、裏で噂話に花を咲かせるつもりなんだろう。


 冬の帝都はいつも凍えるようだが、今この時だけは、そんな厳しさを忘れていられる気がした。


  ◆


 ミュリエルと出会ったのは、俺がまだ五歳の頃だった。


 俺の父であるバーニア男爵は、アプリコット伯爵家に仕える騎士をしているが、実は伯爵とは古くからの友人だったらしい。

 自然な流れで、同い年だった俺とミュリエルは引き合わされることになったわけだ。


「わたくしはミュリエル。あなたは?」

「グラド」

「わぁ、きれいな黒い髪ね」


 当時、俺は少々塞ぎ込んでいた。

 なにせ固有魔法として氷結魔法を発現した俺は、それをうまく制御できずに、気を抜くと触れたものを凍らせてしまっていたからな。

 魔法の解除はすぐにできるものの、これまで友人だと思っていた者はみんな離れていって、俺は孤独な時間を過ごしていたのだ。


「この紅茶は、わたくしがいれたのよ」

「……あ」


 その日も、ティーカップを持った瞬間に、俺の魔力は紅茶を凍らせてしまった。

 俺は気まずくなって、彼女の顔を見ることができずに下を向いていた。なにせ、せっかく自分のために淹れてくれた紅茶を、台無しにしてしまったのだ。きっと傷つけてしまったに違いない、と。


 そんな俺の手を、ミュリエルがパッと取った。


「だいじょうぶ」

「あ、あの」

「だいじょうぶ、ですわ」


 そうして、彼女は左手で俺の手を掴み、右手で俺の頭を撫でる。


 もちろん彼女は伯爵家のご令嬢だから、相応に魔力も多かった。目覚めたての未制御な氷結魔法など、大した効果を発揮しなかっただろう。

 しかし、その時の彼女にあったのは、そういった冷静な計算ではなかった。ただひたすらに、落ち込んでいる俺を慰めようとしてくれたのだ。


「おちつきましたか?」

「あの……うん」

「そうだ。グラド、りんごを一つ冷やしていただけませんこと? 今日はあついですから、きっとおいしくなりますわ」


 幼い俺にとって、それは人生を変えるのに十分な出来事だった。その時に、強く願ったのだ。


――ミュリエルの隣に、胸を張って立てる男になりたい。


 父と違って体格に恵まれなかった俺は、早々に騎士の道を諦めて、魔術の勉強を始めた。

 そして、母譲りの強い魔力を活かし、氷結魔法を活用した合成魔術を身につけて、どうにか周囲に認められるようになった。


 初めてアプリコット伯爵と対面したのは、十歳の頃だった。


「グラド。君ほどの才能があれば、帝都では引く手あまただろう。本当にミュリエルとの婚約を望むのかね?」

「はい。俺の望みは他にありません」

「はぁ……君の頑固さは父親譲りだな。分かった、それなら条件を出そう」


 伯爵はこの領に、魔術師の養成所を作りたいのだという。

 なにせ今までは、優秀な魔術師はみんな帝都貴族家に召し上げられ、伯爵領に帰ってこないことが多かったから。魔術師を自前で育てたいらしい。


「十六歳から十八歳の三年間、帝都の魔術師学校で知識と技術を身につけなさい。それをアプリコット領に持ち帰ってきて、今度は君が他者に指導するのだ。できるね?」

「はい。必ず成し遂げてみせます」


 そんな風にして、俺はミュリエルと婚約することになった。今さら皇家が何を言おうと、この意志を曲げるつもりなど、俺には最初からないのだ。


 ◆


 ミュリエルに髪飾りを贈った、次の週末のことだった。


「――グラド、正座」

「あぁ」


 珍しく怒った様子のミュリエルによって、俺は床に正座をさせられていた。床の冷たさはまるで拷問のようだが、今はそんなことを言える雰囲気でもない。

 ミュリエルの手には、先週渡したばかりの「逆鱗の髪飾り」が握られている。


「グラド。説明なさい」

「説明? というと」

「つい昨日のことです。わたくしに触れた第二皇女殿下が、一瞬でカチコチに凍りつきましたわ。わたくしを取り押さえようとした騎士たちも同様に。幸い、半刻ほどで氷結状態は解除されましたが――」


 あぁ、そういうことか。

 逆鱗は優秀な魔装具素材だからな。もちろん俺は、ミュリエルを守るための仕掛けを色々と組み込んでいる。帝都の奴らはどんな手に出てくるか分からないから、準備をしておいたわけだ。


「守護の術式が起動したのは、ミュリエルに悪意や敵意、あるいは明確な害意を持つ者が君に触れたからだ。もちろん、劣情を抱く者が触れても同じ結果になるだろう」

「氷の竜が現れましたが?」

「ミュリエルの安全を守るためだ。周囲に敵がいなくなるまで護衛をする仕掛けになっている」


 組み込んだ術式は多いからな。

 遠距離攻撃が飛んでくれば凍らせて叩き落とすし、毒物が口に入りそうになればそれも凍りつく。落とし穴などの罠も警戒して、浮遊術式も仕込んである。


 本来ならば、そういった高度な魔道具は、一度きりで壊れてしまうことが多いのだが。


「竜の逆鱗は、高い魔力負荷にも耐えられる。ミュリエルの安全を守ってくれるだろう」

「やり過ぎですわ! 貴方はどうしてこう、加減というものを知りませんの! 今回は皇帝陛下がお許しくださったので事なきを得ましたが――」


 あぁ、なるほどな。

 実は先週のミュリエルの話を受けてから、俺は皇帝陛下と密かに面会していたのだ。


――俺の逆鱗に触れるな。手を出すなら、死ぬまで全力で暴れまわるぞ。


 そのように伝えたところ、陛下は俺を手駒にするのを諦めてくれることになった。

 まぁ、陛下の護衛をまとめて凍らせる一幕もあったが、些細な問題だろう。話の分かる方で良かった。


「――聞いておりますの? グラド!」

「もちろんだ。俺の愛しいミュリエル」

「そ、そんな甘い言葉で誤魔化されると思ったら大間違いですわ!」


 ミュリエルは耳まで真っ赤にしている。

 あぁ、なんて可愛らしいのだろう。


 俺が望んだ未来は、もう手の届く距離にある。あとはそれを取りこぼさないよう、大事に守っていこうと思う。

 凍えるような帝都の冬、窓に張りつく雪の結晶を見ながら、俺は静かに自分の決意を確かめていた。

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