第2話 謀略

「────以上が、これまでの経過と今後の予定となります」


 玉座に腰掛けた皇帝は、旅より戻ったシエラの報告を静かに聞き終え、深く頷いた。


「ふむ……ご苦労であった。勇者は、絆を結んだ者に絶大な力を与える――伝承に記されていた通りだな」

「少年少女が世界を救ったとも記されておったが……正直、与太話だと思っておったわ」


 皇后もまた、感慨深げに相槌を打つ。


「シエラよ。よくぞ勇者を篭絡した。帝国の行く末は、そなたの手腕にかかっておる」


「魔王を討ち果たした暁には、望みは何でも叶えてやろう」


 皇帝の言葉に続き、皇后が身を乗り出し、不敵な笑みを浮かべて囁いた。


「そう……例えば、陛下の正室として迎える、とかな?」

「そ、そんな……!? わ、私には恐れ多い事でございます……!」

「ふふ……隠さずともよい。わらわの眼に、隠し事は通じぬ」


 皇后セラフィエルの瞳が、妖しく光る。


「魔王を討った者が陛下の妃となる。何も不自然な話ではなかろう?」

「王を支えられるのは、セラフィエル皇后陛下をおいて他におりません」

「くくく……わらわとしては、正室でも側室でも構わぬのだがな」


 その返答に満足したのか、皇后は指輪を眺めながら高らかに笑う。

 皇帝の公私を支え得るのは自分のみ――その自負があるからこそ、こういった冗談も平然と言ってのける。


「皇后陛下は……悪いお方です」

「此度の件が終われば、ようやく一息つけよう。その時は子を成すも良し、好きに過ごすがよい」

「……勿体なきお言葉にございます」


 皇后はシエラの返答を満足そうに受け止めると、深く玉座に身を沈めた。


「……大任にこの身が選ばれたこと、光栄に存じます。ですが陛下、不敬を承知で一つお伺いしたく」


 シエラは深く頭を垂れたまま、静謐な声で問いかけた。


「勇者を篭絡し、手綱を握るのが目的であれば、甘言や人心掌握に長けた者は他に数多おりますのに、私のような者が適任とご判断された理由を、願えますでしょうか?任務の本質を誤れば、取り返しのつかぬ結果を招きますゆえ」


 冷静沈着に命を処理し、帝国の障害を排除する。

 篭絡や甘言とは、縁遠い女――それが己の認識だった。


「……ふむ。至極もっともな問いだ」


 皇帝は即座に頷く。


わらわから説明しよう」


 皇后が艶やかに微笑み、シエラの顎を優しく掬い上げた。


「知っての通り、勇者の力は強大じゃ。扱いを誤れば――それだけで、『災厄』となる。」


「……甘言に長けた者では、その強大な力に目が眩み、勇者とともに帝国に刃を向ける裏切り者が出ぬとも限らぬからな」


「かといって、ぞんざいに扱えば反発を招き、手に負えなくなる。……勇者には魔王を討ってもらわねばならぬが、この世界に愛着を持ち、居座られるのもまた面倒なことよ」


 皇后の瞳が、獲物を定める蛇のように細められる。


「ゆえに、シエラ。お前である必要があるのじゃ。陛下に絶対の忠誠を誓い、あのような男に一切の感情を揺さぶられることのない、お前がな……」


「近過ぎれば毒され、遠過ぎれば逃がす。勇者という劇薬を、適切な距離で扱えるのはお前だけだ。お前の他に、できる者はいない」


「……陛下。皇后陛下のお言葉、しかと肝に銘じました」


 一切の逡巡なく、シエラは応える。


「私の身も心も、すべてお二方のものです。勇者など、ただの任務に過ぎません……陛下のご意志のままに」


  自身の使命を正しく認識したシエラは、流れるような所作で一礼し、音もなく踵を返した。


「ではな。今後の旅路に、幸多からんことを祈っておるぞ」


 威厳と含みを帯びたその言葉が、退室していくシエラの背に静かに響いた。





 エリュシオン帝国が大陸随一の大国として君臨するに至った最大の要因――それは、現皇帝オーレリウス・フォン・エリュシオンの統治能力に他ならない。

 数多の改革と戦果の中でも、異種族間の長き抗争を終結させ、統一国家を築き上げた功績は、彼の治世を象徴する偉業であった。


 その象徴として、皇帝はエルフの女王セラフィエルを皇后に迎える。

 幼い外見とは裏腹に、彼女は深遠な知識と高度な魔術を備え、その一つである読心術をもって皇帝を陰から支えている。


 帝国には、古くからの仕来りがある。

 皇帝の側近として仕える者は、必ず「価値あるもの」を捧げねばならない。

 貴金属、家宝の武具、領土、あるいは親族――捧げるものは様々であった。


 セラフィエルが皇后となる際に捧げたのは、自らの寿命であった。

 皇帝が没したその時、命を共に差し出す魔法を指輪に宿す――悠久を生きるエルフが立てたこの誓約は、彼女の覚悟と心酔を何より雄弁に物語っている。

 時折、愛おしげに見つめる婚約指輪は、その象徴に他ならなかった。


 一方、メイドであるシエラが捧げたのは、純潔である。


 孤児であった彼女には、財も血筋もなかった。

 皇帝の政策によって引き立てられただけの身であり、本来なら側近の列に名を連ねる資格など持ち得ない存在であった。


 だが、その彼女に目を留め、価値を見出したのは皇后セラフィエルである。

 帝国をより盤石なものとするため、彼女はシエラの美貌と、何より揺るぎない忠誠心を高く評価し「純潔を捧げよ」と命じた。

 皇帝に救われたシエラは、その期待に応え、迷うことなく、喜んで純潔を捧げた。

 忠誠と献身をもって生きる――それは彼女自身が選び取った、生き方そのものであった。


 当初は異例の扱いに下卑た視線もあったが、程なく貴族たちは理解した。

 皇帝が重んじるのは血ではない。

 成果と忠誠――それを理解できぬ者から、席を失っていった。


「では、船の手配をお願いします」

「畏まりました、シエラ様。急ぎ手配し、整い次第ご報告いたします」


 今や、彼女の急な要請にも異を唱える者はいない。

 迅速な判断と実行こそが評価される――それが皇帝の作り上げた帝国の在り方であった。

 出自や種族に関わらず、結果を示した者が引き立てられる。

 シエラの存在そのものが、それを雄弁に示していた。


 恐らく皇后セラフィエルは、そこまでを織り込み済みであったのだ。

 帝国は停滞を脱し、競争と活力を伴う国家へと変貌していった。


 そんな皇帝の前に降りかかったのが、魔王復活の兆しだった。


 才覚ある皇帝ならば乗り越えられる試練と、神々が押し付けたかのような災厄。

 現有戦力では半数以上の兵が失われると予測された皇帝は、国民の被害を極力抑えるため、異世界より勇者を召喚する決断に至ったのである。





 夜も更けた頃、鍛錬を終えたアキラが城へ戻ると、回廊の先に二つの影が並んでいた。

 皇帝とシエラ――肩を並べ、親し気に歩いている。


「よっす、陛下!ごきげんうるわしゅう……。シエラさんと二人で何してたの?」

「むっ、アキラ君か。随分と遅くまで鍛錬に励んでいたようだね。感心感心」


 汗びっしょりなアキラの様子から、皇帝は労いの言葉をかける。

 その傍らで、シエラは瞳を閉じ、静かに控えていた 。


「少し小腹が空いたものでね。シエラに夜食を用意させる所だったのだよ」

「へ~、シエラさん、俺のも用意してもらって良いかな?お腹空いちゃって」

「……構いませんよ」


 アキラの要望に、シエラはいつも通りの抑揚のない調子で返答した 。


「シエラの料理は絶品だからな。毎日それを口にできる君が羨ましいよ」


 皇帝は、ごく自然な仕草でシエラの腰に手を置いた。


「ですよね! 本当に美味しくて……!」

「……っと、でも女性にそうやって触るの、俺の世界だとセクハラなんで。気をつけた方がいいですよ?」


 冗談交じりの口調に、隠しきれない独占欲と嫉妬心を混ぜて、アキラは牽制する。


「ほう……君の世界の男は随分と生きづらいのだな」


 皇帝はアキラの指摘を面白がるように受け流すと、さっとシエラの腰から手を離した 。


 その瞬間――

 シエラの瞳が、ほんのわずかに揺れた。

 無意識のように、彼女は半歩、皇帝の側へと身を寄せる。


 アキラは、それに気付かない。


「……アキラ様、先に汗を流されてはいかがでしょうか。料理はお部屋にお運びいたします」


「シエラさんの言う通りだな。じゃあ、お風呂行かせてもらいますね陛下!」

「うむ。ゆっくり寛ぐといい。君には、期待しているよ」

「任せてください!勇者の力で必ず魔王を倒して見せます!」


(陛下もシエラの料理羨ましがってたし、腰に手を回してたけど……。陛下とはただの主従関係だろ。シエラは俺に身体許してるんだから、俺の方が特別だよな!)


 気分よく歩き出したその背を見送ってから、二人は歩き出す。


「陛下……お手を……」


「気にし過ぎではないかね?」


「陛下の身嗜みを整えるのも、私の務めですので」


 シエラはハンカチを取り出し、皇帝の手を丁寧に拭っていく。


 背後――

 アキラの耳に届いたのは、距離と壁に遮られ、溶けるように、足音と共に消えていく談笑の気配だけだった。

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