第七章 移動店舗という発想
遠征の準備は、思った以上に大変だった。
「物資は何を持っていく?」
リーナが尋ねた。
「食料、水、医薬品。それから——」
創太は考え込んだ。
「この店の商品を、向こうの人たちに見せたい」
「見せる? なぜ?」
「俺たちが何者か、何ができるか。それを知ってもらうためだ。言葉で説明するより、実物を見せた方が早い」
カイルが頷いた。
「なるほど。いわゆる『デモンストレーション』か」
「そうだ。それに——」
創太は地図を広げた。
「この遠征が成功すれば、次の展開が見えてくる」
「次の展開?」
「ああ。他の集落との連携だ。俺たちの物資と知識を共有し、向こうの情報と資源を得る。そういう関係が作れれば——」
創太は地図上の複数の点を指した。
「ネットワークができる」
カイルの目が光った。
「補給線、か」
「そうだ。コンビニチェーンと同じだ。複数の拠点を結んで、物資と情報を効率的に流通させる」
「……面白いな」
カイルは地図を見つめた。
「お前の発想は、いつも俺の予想を超える」
「大げさだな。普通のビジネスの考え方だ」
「俺には、普通に見えないがな」
カイルは笑った。
「ともかく、遠征の準備を進めよう。何が必要だ?」
「まず、運搬手段だ。人力で二十キロ分の物資を運ぶのは無理がある」
「馬車があればいいが——この集落には、馬がいない」
「馬以外の手段は?」
リーナが口を開いた。
「荷車を引くなら、牛でもいい。この辺りには、野生の水牛がいる。捕まえて慣らせば、使えるかもしれない」
「どれくらい時間がかかる?」
「慣らすのに、一週間から二週間……」
「長いな」
創太は唸った。
「向こうの集落は、そんなに待てないだろう」
「じゃあ——」
リーナは少し考えた後、言った。
「人海戦術しかないな。複数人でリレー形式で運ぶ」
「リレー?」
「中間地点に物資を置いて、そこから先は別のチームが運ぶ。体力の消耗を分散できる」
「なるほど」
創太は頷いた。
「それでいこう。チームを編成して、ルートを決めてくれ」
「わかった」
三日後、遠征チームが出発した。
創太、リーナ、カイル、そして護衛の獣人戦士五名。計八名の編成だ。
背負い荷と手押し車に、食料と医薬品を積んでいる。
「気をつけてな」
見送りに来たゴルドが声をかけた。
「留守は任せておけ」
「頼む」
創太は手を振って、歩き始めた。
草原を抜け、丘陵を越え、森の縁を歩く。
道なき道を、コンパスと地図を頼りに進んでいく。
「店長、大丈夫か?」
リーナが心配そうに尋ねた。
「何が?」
「体力だ。あんた、デスクワークばかりだっただろう」
「失礼な。俺だって、品出しで体は動かしてた」
「品出しと山歩きは違う」
「……まあ、そうだな」
創太は苦笑した。
確かに、足が疲れてきている。現実世界では、コンビニと自宅の往復以外に、ほとんど運動らしい運動をしていなかった。
「ペースを落とすか?」
「いや、大丈夫だ。このくらいは——」
その時、カイルが手を挙げた。
「待て。誰かいる」
全員が足を止めた。
カイルは翼を広げ、上空に飛び上がった。偵察だ。
数秒後、彼は降りてきた。
「前方に、人影がある。三人だ」
「敵か?」
「わからない。様子を見に行こう」
チームは警戒しながら前進した。
やがて、人影が見えてきた。
女性だった。若い人間の女性が、倒れた二人を介護している。
「大丈夫か!」
創太は駆け寄った。
女性が顔を上げた。疲労困憊の表情。しかし、その目には強い意志が宿っていた。
「あなたたちは……?」
「俺たちは、近くの集落から来た。あんたたちは?」
「私たちは……難民です。魔王軍に村を追われて……」
倒れている二人を見る。老人と子供だ。どちらも顔色が悪い。
「熱がある。高熱だ」
創太は二人の額に触れた。
「脱水もしている。すぐに水を」
リーナが水筒を差し出した。
女性は震える手でそれを受け取り、老人と子供の唇を濡らした。
「ありがとう……ありがとうございます……」
涙が、彼女の頬を伝った。
女性の名前は、エルナ・メディシスといった。
「私は……元・宮廷医師です」
彼女は疲れ切った声で説明した。
「王都の医療院で働いていました。でも、王都が陥落して……逃げるしかなかった」
「宮廷医師……?」
創太は目を見開いた。
「つまり、あんたは医者なのか?」
「はい。でも、薬も器具も、何も持っていません。この二人を助けることもできない……」
エルナは悔しそうに唇を噛んだ。
「私は医者なのに……何もできない……」
「そんなことはない」
創太は荷物から、救急キットを取り出した。
「これを見てくれ」
エルナはキットを開いた。
中には、解熱剤、鎮痛剤、抗生物質、消毒液、包帯、その他の医療用品が詰まっていた。
エルナの目が、驚きで見開かれた。
「これは……何ですか? この薬は……見たことがない……」
「俺の世界の医薬品だ。効果は保証する」
「使っていいんですか?」
「ああ。あんたは医者なんだろう。判断は任せる」
エルナは震える手でキットを受け取った。
そして、的確な動作で老人と子供の治療を始めた。
「この薬は……解熱作用がある……? 信じられない、こんなに効くなんて……」
「……」
創太は、その様子を見守った。
エルナの手つきは、素人目にも熟練していた。彼女が本当に医師であることは、一目でわかった。
「店長」
カイルが耳元で囁いた。
「彼女、使えるんじゃないか?」
「……ああ」
創太は頷いた。
医師。この集落に最も必要な人材だ。
しかし、今はそのことを口に出すべきではない。まずは、彼女と二人を安全な場所に運ばなければ。
「エルナさん」
創太は声をかけた。
「二人の容態が安定したら、俺たちの集落に来ないか? 食料も、医薬品も、ここよりはマシな環境がある」
エルナは顔を上げた。
「……本当ですか?」
「ああ。約束する」
エルナの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとうございます。私たちを……助けてくれて……」
「礼はいらない」
創太は手を差し伸べた。
「困った時はお互い様だ。それが——」
いつもの台詞を言いかけて、止めた。
「それが、人間ってもんだろう」
エルナは、その手を握り返した。
結局、遠征の目的地——北東の集落——に向かうのは、翌日に持ち越された。
エルナと二人を安全な場所に運び、野営の準備をする必要があったからだ。
「明日、改めて出発しよう」
創太はチームに告げた。
「今夜はここで休む」
「了解」
リーナたちが野営の設営を始めた。
創太は、エルナと話をした。
「宮廷医師だったんだな。どんな仕事をしていた?」
「主に、貴族や王族の治療を……。でも、戦争が始まってからは、負傷兵の治療もしました」
エルナの目が、遠くを見つめた。
「何人も……何人も死にました。薬が足りなくて、器具が足りなくて、私の力が足りなくて……」
「……」
「あの時、私にこの薬があれば……助けられた命があったかもしれない……」
エルナの声が震えた。
「医者として、こんなに無力を感じたことはありません……」
創太は黙って聞いていた。
やがて、静かに言った。
「……俺の世界でも、同じことはある」
「え?」
「医療は、完璧じゃない。どんなに技術が進んでも、救えない命はある。でも——」
創太はエルナを見つめた。
「だからといって、諦めるわけにはいかない。一人でも多く救う。それが、医者の仕事だろう」
エルナは目を見開いた。
「……あなたは、医療のことも知っているんですか?」
「少しだけな。俺の店には、医薬品のコーナーがあった。売り場担当として、最低限の知識は持ってる」
「売り場……?」
「長くなる話だ。後で全部説明する」
創太は立ち上がった。
「今は休め。明日、長い道のりが待っている」
エルナは頷いた。
「……ありがとうございます、店長さん」
「創太でいい」
「創太さん……」
エルナは微笑んだ。
疲労の中にも、どこか安堵した表情だった。
「よろしくお願いします」
「ああ」
創太は彼女を見送り、焚き火の前に座った。
星空を見上げる。
医師が仲間に加わった。これは、大きな進歩だ。
でも、まだ道半ばだ。北東の集落は、今も困っている。
「明日か」
創太は呟いた。
「やることは、まだまだある」
焚き火の炎が、静かに揺れていた。
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