第5話 漫画研究部の静かな日常

放課後の漫画研究部の部室は、相変わらず静かだった。

エアコンの音と、ペン先が紙を擦る微かな音だけが流れている。


部室の奥、窓際の席に天城は座っていた。


紙を前に、無駄のない線で、迷いなくコマが埋まっていく。


その斜め向かい。

同じく黙々とペンを動かしているのが、黒川ユズだ。


肩までの髪を無造作に束ね、表情はいつも通り淡々。

天城ほどの速度はないが、線は安定していて、崩れない。


しばらく、言葉のない時間が続いた。


やがて、黒川がペンを止める。


「……天城」


呼びかけは小さく、部室の静けさを壊さない。


「はい」


天城は手を止めずに返事をする。


「次の部誌、担当変わったんだって?」


「はい」


「ラブコメ」


一瞬だけ、天城のペンが止まった。


「正確には“ラブコメ担当”という役割が割り当てられました」


「割り当てられた、ね」


黒川は軽く息を吐く。


「自分で選んだんじゃないんだ」


「はい。部全体のバランスを考慮した結果です」


論文を読むような口調だった。


黒川は天城の原稿にちらりと視線を向ける。


「……意外」


「何がですか」


「もっと理論寄りのジャンルをやると思ってた」


「ラブコメにも、構造はあります」


天城は即答する。


「感情変化、イベント発生率、読者の期待値――分析対象としても合理的なものです」


「ふうん」


黒川はそれ以上は言わず、自分の原稿に視線を戻す。


数秒。


「……で」


黒川が、何気ない調子で続けた。


「参考資料、足りてる?」


「現時点では問題ありません」


「そう」


また、沈黙。


だが黒川は、もう一度だけ天城を見る。


「最近」


ペンを持ったまま、視線だけ向けて。


「線、少し柔らかい」


天城の指が、わずかに止まった。


「……そうですか」


「うん」


黒川はそれ以上深掘りしない。


先ほどまで向き合っていた原稿をじっと見つめる天城を見た黒川は、少しだけ優しい声色で言う。


「悪い意味じゃない」


「変化は、必ずしも悪ではありません」


天城はそう言って、また描き始める。


黒川は小さく笑った。


「相変わらず、理屈だね」


「理屈は、嘘をつきません」


「理屈“は”……か」


その言葉に、天城は返事をしなかった。


ただ、コマの中のキャラクターの表情を、ほんの少しだけ描き直す。


黒川は、それを見て、何も言わない。


言わないまま、またペンを動かした。


部室には、再び静かな時間が戻る。


――けれど。


天城ヒナの原稿に描かれた人物の距離は、

以前より、ほんの少しだけ近かった。

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