第6話 団長が語る地獄と、可愛さ

「地獄を見せてやる」


 その言葉の意味を、俺は五分後に理解した。


 訓練場を出て、団長の後ろをついていく。てっきり、訓練所で稽古を受けて、叩きのめされると思っていた。だけど、廊下を曲がり、階段を上がり、立派な扉の前で立ち止まる。


 第二騎士団長室。


 扉に刻まれた紋章だけで、部屋の格が分かる。


 ……中もきっと、格が高いのだろう。


 そう思っていた。


 扉が開いた瞬間、俺の脳内で、何かが崩れ落ちた。


 紙。

 紙。

 紙。


 床に、机に、ソファに、窓際に、椅子の上に。


 書類の山が、勝手に地形を作っている。


「……」


 声が出なかった。


 アデルハイト団長は、その部屋に平然と入っていく。


「待っていろ」


 団長は奥の部屋に入り、鎧を脱ぎ捨て、事務仕事をするための姿になって戻ってきた。ブラウスを盛り上げる胸元がより強調されているように思える。


 だが、そんなことよりも書類の山を器用に避けながら机へ向かった。


 机の上は、机としての機能をほとんど失っていた。紙の大陸の、かろうじて見える天辺に、団長は腰掛けるように座った。


「どうした。固まっているぞ」

「い、いえ……」


 どう説明すればいい。


 俺は訓練場で見た。白銀の鎧。真紅の髪。鋭い赤い瞳。殺気。


 あの完璧な団長が。この……紙の王国で暮らしている? 団長は俺の視線を追って、軽く鼻を鳴らした。


「これが地獄だ」

「地獄……?」

「そうだ」


 団長は背もたれに身を預け、腕を組む。


 そして、まっすぐ俺を見た。


「毎年、私の見た目に邪な視線を向ける者。憧れの視線を向ける者。敵意を抱く者……様々だが」


 赤い瞳が、揺れない。


「貴様は、そのどれとも違っていた」


 ……いや、邪な視線は、危うかったです。危うかったけど、耐えただけなんです。


「それが私には都合がいい」


 団長は机の上の書類を、指先で軽く叩いた。紙がさらさらと崩れ落ちた。


「これが私の地獄だ。貴様には補助として働いてもらう」

「えっ? あ、はい……!」


 俺は反射で返事をした。返事をしたが……補助? この書類を? 俺が? 普通は第二騎士の中から選ばれるんじゃないのか?


「私は片付けが苦手だ。事務仕事も苦手だ。剣の腕前には自信がある。元帥家の血筋として侯爵家の令嬢という肩書が、私を団長へ押し上げた。ただ、それを快く思わぬ騎士が多くてな。信用できる者がいない。貴様の目は不思議なほど真っ直ぐに私を見つめていた」


 いや、それは試されていると思ったからで、いや実際に試されていたわけだけど。


 肩書の重さは理解できる。でも、この部屋を見ると、別の意味で重い。


「挨拶の時は凛々しく振る舞う。そうしなければ、見習いどもが私を舐めるからな。だがこれが私の本来の姿だ。幻滅しただろうか?」


 この人は自分の恥を隠そうとはしていない。


 見た目の良さ。団長としての地位。だけど、書類仕事や部屋の片付けができない姿。


「私に憧れを抱いている者は幻滅する。どうだ君は?」


 なるほど、俺は試されていたことであっていた。


 なら、答えは決まっている。


「幻滅しておりません」

「ほう」

「少しだけ、可愛いと思いました」

「かわっ!? 可愛いだと!」


 俺が正直に思ったことを口にする。


「貴様! 私を愚弄しているのか!?」

「いえ、思ったことをそのままお伝えしました」

「なっ!?」


 俺は息を吸って、ゆっくり吐いた。


 ……やるか。俺は、こういうのには慣れている。


 リナの部屋も、いつもこうだった。


 彼女は優秀で、天才で、完璧で。でも生活能力だけは、俺が補っていた。


 服を畳む。書類を揃える。提出物の期限を覚える。机を片付ける。忘れ物を拾う。


 彼女のことを、そういう意味でも支えているつもりだった。


 そう思っていた。今は違う。今は俺が、自分のためにやる。俺は、袖をまくった。


「団長。まず、床を見えるようにします」

「床?」

「はい。床が見えないと、歩けませんから」


 団長が一瞬だけ目を丸くした。それから、口元だけで笑う。


「……ほう、やってみせろ」


 俺は立ち上がり、書類の山を分類し始めた。


 机の上の山は「未処理」

 床に散っているものは「提出期限あり」

 封が切られていないものは「未開封」

 封蝋があるものは「重要」

 同じ紋章のものは「同系統」

 手触りが違う厚紙は「報告書」

 薄い紙束は「申請書」


 俺の指が勝手に動く。


 考えるより早い。こういうのは、体が覚えている。


 まずはいらない物といる物を分類して、分けたことで片付けがしやすくなる。


 団長は椅子に座ったまま、俺の手元をじっと見ていた。


「……お前、手際がいいな」

「昔からです」

「誰に仕込まれた?」


 ……リナ、と言いかけて止めた。


 言えば、胸の奥がきしむからだ。


「生活の中で、必要だっただけです」


 団長はふん、と鼻を鳴らす。


「必要は才能だ。必要とされる者は強い」


 褒められているのか、教えられているのか分からない。でも、悪い気はしなかった。



 机が、机になった。

 床が、床になった。

 椅子が、椅子になった。

 ソファが、ソファになった。


 そして、窓際に積まれていた書類の山は、壁際に整然と並ぶ棚へ移された。


 俺は最後に、部屋の中央で深く息を吐いた。


 ……終わった。団長は、信じられないものを見るように部屋を見回していた。


「……これが私の地獄か……」

「普通の部屋ですよ」

「普通……いや、綺麗すぎるだろ!?」


 団長は、なぜか感動していた。


 やるからに徹底的に、だから僕は生活魔法である「クリーン」を多用して、インク汚れもついでに落とした。


 ゴミも多かったので、そちらはまとめてゴミ袋でゴミ捨て場に持って行った。


「……快適だ!」


 見た目はグラマラス美女なのに、口調は幼い。


 笑いそうになって、咳払いで誤魔化した。


「次は何をするのだ?」

「ここからは書類の処理です。残念ながら、それは団長にしかできません。仕事をしてください」

「うっ!」


 俺は団長が仕事をしやすいように用意した分類棚を指差す。


「優先順位を付けています。順番に処理をお願いします。まずは、これです。これはどうしますか?」

「うう、全てやってくれないのか?」

「当たり前です。決定権はあなたにしかありません。仕事です。労力を使ってください。この書類の選別もお願いします」


 そこからは早急に判断がいる期限付きの物を団長に判子を押してもらう。


 押してもらった物は、まとめてその部署に持っていく。


「ううう、鬼だ! ホートは、優秀なのだから、判断してくれてもいいじゃないか!?」

「ダメです。これは団長が選別する仕事です。手伝いはしますから」

「ううううう、ありがとう」


 俺はペンを取り、紙を一枚引き抜く。


 期限、内容、重要度、関係部署。


 書類は嘘をつかない。


 必要なのは読み取って、並べて、片付けるだけだ。


 ただ、明らかにアデルハイト団長がするべきではない書類をいくつか見つけた。


 団長は途中から、机に肘をついて俺の手元を見ていた。


 赤い瞳が、やけに近い。俺は視線を逸らしそうになって、堪えた。……邪な視線は向けない。


 というか、僕の中で邪な気持ちは失せていた。


 団長に仕事をさせる。

 全てを俺がやらない。


 姉の教えである負担をかける。意味は違うかもしれないが、団長を頼ることだろうと自分に言い聞かせて、共に仕事を行う。


「……お前」


 団長がぽつりと言った。


「私の専属になってくれ!」

「俺、見習いです。しかも、今日が初日で判断できません。それに研修期間中は専属にはなれません」

「ううう、分かっているが」


 騎士団は全部で四つあり、近衛騎士団、第一騎士団、第二騎士団、第三騎士団。


 とりあえずは三か月ごとに全ての団を巡ることになる。


 研修を終えた一年後に、どの団に入るのか決める。もちろん、向こうからのスカウトがあれば階級や待遇も変わるので、重宝される団に入りたいと思うのが見習いの理想だ。


「だが、見習いは将来の騎士だ。将来、お前がどこへ行くかは分からない。だから今、使えるうちに使うぞ!」


 ひどい言い方だが、ダメな一面を見てしまったからか、可愛く思える。


 この人、たぶん本当に悪気がない。


 俺がずっと世話をしてきた天才と、どこか似ている。


 リナのことを思い出すと胸が少しだけ、痛んだ。


 俺は、深呼吸をして、話題を変える。


「……団長。紅茶、飲みますか?」

「飲むぞ!」


 即答。団長は机の端に置かれたカップを指差した。


「いつも淹れてくれる者がいない。だから私は水を飲んでいた」


 豪快な人だ。俺は立ち上がり、部屋の片隅にある小さな給湯台へ向かった。


 ここも書類で埋まっていたが、今は綺麗になってお茶を入れられる。


 茶葉の缶がある。だが、蓋が開けっぱなしで香りが飛んでいた。


 仕方なく俺はまず蓋をもう一度閉めて、振ってから、次に茶葉を少し指先でつまんだ嗅いだ。……悪くない。まだいける。


 湯を沸かす。

 カップを温める。

 茶葉を入れる。

 蒸らす。

 香りが立つ。

 時間を測る。

 注ぐ。


 最後に、表面が静かに落ち着くまで待ってから、そっと差し出した。


「どうぞ」


 団長はカップを受け取り、香りを確かめるように鼻先を寄せた。


 一口……二口。団長の眉が、わずかに動いた。


「……うまい」

「ありがとうございます」

「凄い! ホートは凄いのだな!」


 団長は子供のようにハシャグ、その度に大きな胸が弾む。


 ……この人は本当にかわいいところがあるな。


 危ない。俺は頭を振った。邪な視線は、ダメだ。


 ……俺は、王国一の美女を探している。

 

 誰かれ構わず手を出すことではない。


 この人が候補に入るのは、当然ではあるが、当然だからこそ気を抜くことはできない。


 俺が選ぶ側になるんだ。


 団長はカップを机に置き、真面目な顔で言った。


「ホート」

「はい」

「お前は、今日から三ヶ月間、私の専属だからな! 明日もここに来い。訓練の前に、仕事を片付けるぞ」

「わかりました」


 団長は満足そうに頷いた。


「よし。では今日の地獄は終わりだ」


 終わり? 書類はまだまだ残っていた。


 どうやらこの人に優しさはいらないようだ。


 丁度、人に厳しくすることを覚えようと思っていた。


「まだ終わりではありません。ここにある束は終わらせてください」

「ホートは鬼か?!」

「いいえ、普通です」


 そのあとは、涙目の団長を補助しながらなんとか溜まりに溜まった書類を片付けさせた。

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