第5話


 ボロボロの体を引きずって、ギルドに戻った。


重い扉を押し開けた瞬間、ギルド内の空気が変わる。

談笑していた冒険者たちが一斉に俺を見た。


血まみれの服、顔中の痣と傷。

誰が見ても敗北者だ。


「……っ」


視線が痛ぇ。

同情と、侮蔑と、好奇心が入り混じった目。


「鬼塚さん!」


受付嬢がカウンターから飛び出してきた。

エメラルドグリーンの制服の裾をひるがえし、俺の元へ駆け寄る。


「大丈夫ですか!? その怪我……!」


「……ああ、なんとか」


「すぐに治療を! こちらへ!」

有無を言わさず腕を取られ、奥の治療室へ連れて行かれた。


白い壁に囲まれた小さな部屋。

簡素なベッドと、薬品の並んだ棚。

消毒液の匂いが鼻をつく。


「座ってください」


言われるがまま、ベッドの端に腰を下ろす。

スプリングが軋んだ。


受付嬢が棚から瓶を取り出す。

透明な液体が、ガラスの中で揺れている。


「回復薬です。傷口に直接塗布します。少し沁みますが我慢してください」


清潔な布に薬を染み込ませ、俺の腕の傷に当てる。


「……っ!」


ジンジンと焼けるような痛み。

傷口から煙みてぇなもんが立ち上る。


「すみません、もう少しの辛抱です」


受付嬢の手つきは慣れたもんだった。

次々と傷を処置していく。


「魔力が0ということもあって、実は心配していたんです」


薬を塗りながら、申し訳なさそうな顔をする。


「まさか本当に一人でゴブリン討伐に向かわれたのですか?」


「……ああ」


「それは……さすがに無茶すぎます」


受付嬢がため息をつく。


「身体強化ができなければ、負けて当然です」


「負けてねぇ」


俺の声は、思ったより低く響いた。


「え?」


「俺は負けてねえ!!」


叫んだ。


治療室の壁に声が反響する。

受付嬢がビクッと肩を震わせた。


開いたままのドアの向こう、ギルド内が水を打ったように静まり返る。


重い沈黙。


受付嬢も俺も、何も言えない。


窓の外から、カラスの鳴き声が聞こえてきた。


「……すまねぇ」


俺が先に口を開いた。


「大声出しちまって」


「いえ……」


受付嬢が小さく首を振る。


「こちらこそ、配慮が足りませんでした」


深々と頭を下げる栗色の髪が、照明の光を受けて揺れた。


「あの、鬼塚さん」


顔を上げた受付嬢が、真剣な眼差しで俺を見つめる。


「パーティを組んでみませんか?」


「パーティ……?」


「はい。確かに一人では厳しいです。でも、信頼できる仲間がいれば——」


「いらねぇ」


即答した。


「でも……」


包帯の下で、傷が疼いた。


「群れるのは、嫌いなんだよ」


受付嬢が困ったような、悲しいような顔をした。


「お気持ちは分かります。でも、これは喧嘩じゃありません。魔物退治なんです」


「……分かってる」


分かってる。

痛いほど分かってる。


ここは俺の世界じゃねぇ。

喧嘩のルールも、強さの基準も、全部違う。


でも、だからって——。


「……考えとく」


それだけ言って、俺は立ち上がった。

膝が少しふらついたが、踏ん張る。


「あの、鬼塚さん」


出ていこうとする俺を、受付嬢が呼び止めた。


「今日の宿と食事、こちらで用意させていただきます」


「……は?」


振り返ると、受付嬢が優しく微笑んでいた。


「ギルドの規定で、負傷した冒険者への支援制度があるんです」


嘘だ。

そんな都合のいい規定なんて、あるわけがない。


これは受付嬢の優しさだ。

俺みたいな無一文の落伍者を、見捨てられなかっただけだ。


「……悪ぃな」


本当は断りたかった。

施しを受けるなんて、プライドが許さねぇ。


でも、現実は厳しい。


金もねぇ、宿もねぇ。

このまま野垂れ死ぬわけにもいかねぇ。


「……借りは、必ず返す」


「いえいえ、そんな」


「いや、絶対返す」


俺の目を見て、受付嬢が小さく頷いた。


「……分かりました。それでは、こちらへどうぞ」


案内されたのは、ギルド併設の小さな食堂だった。


木のテーブルに、温かいパンとスープが並べられる。

湯気が立ち上り、バターの匂いが鼻をくすぐった。


「……いただきます」


正直、飯なんて食う気分じゃなかった。

敗北の味しかしない。


でも、食わなきゃ動けねぇ。

明日も、戦わなきゃならねぇんだから。


硬いパンを噛みちぎる。

口の中でボソボソと崩れていく。味なんて分からない。


スープを流し込む。

熱い液体が喉を通って、胃に落ちていく。


ただ機械的に、栄養を摂取するだけだった。


「……ごちそうさま」


食後、受付嬢が案内してくれた宿は、ギルドから少し離れた場所にあった。


『銀の鈴亭』


小さいが清潔な宿だ。

二階の角部屋を用意してくれていた。


ベッドに倒れ込む。

柔らかいマットレスが、傷だらけの体を包み込む。


「……はぁ」


天井を見上げる。

木目が、ぼんやりと視界に映る。


今日一日のことが、走馬灯みたいに頭を巡った。


『魔力ゼロ』

『身体強化なしでは自殺行為』

『パーティを組んでみませんか?』


受付嬢の言葉が、何度も何度も蘇る。


「……魔法、か」


拳を見つめる。

包帯でぐるぐる巻きにされた、情けない拳。


ゴブリン相手にすら、まともに勝てなかった。

気絶させるのが精一杯で、殺すことすらできなかった。


逃げられた。

何も成し遂げられなかった。


「……このまま、終わるのか?」


天井の木目が、歪んで見える。


いや、終わらせねぇ。

終わるわけにはいかねぇ。


「……パーティ、か」


群れるのは嫌いだ。

一人で戦って、一人で勝つ。それが俺のやり方だった。


でも——。


この世界は違う。

俺一人の力じゃ、ゴブリン一匹すら殺せない。


「……クソが」


悔しさが込み上げてくる。


でも、生きるためには——

強くなるためには——。


「……考えねぇとな」


窓の外は、もう真っ暗だ。

月明かりが、薄く部屋を照らしている。


明日、どうするか。

もう一度ゴブリンに挑むか。


それとも——。


「……明日、考えりゃいい」


瞼が重い。

疲れ切った体が、眠りを求めてる。


目を閉じる。

意識が、ゆっくりと闇に沈んでいった。


明日も、生きなければならない。

それだけは、確かだった。

 

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