第13話

 千陽路ちひろ琥珀こはく真珠しんじゅの母親に戻った。

 松岡家本家まつおかけほんけ次期当主の役目は松岡家分家筆頭財田家さいたけ当主である誠志朗せいしろうを始めとする各分家の当主たちや松岡家本家に属する術者たちが担った。

 全ては父である松岡家本家当主、高生慎太郎たかおしんたろうの計らいだった。彼は愛娘まなむすめである千陽路との約束を守ったのだ。

 もちろん、千陽路が松岡家本家次期当主の座を完全に引き下がったわけではない。古い顧客の中には頑として当主、もしくは次期当主の対応を望む者もいて、彼らには慎太郎か千陽路が対応するしかなかった。

 それでも千陽路の負担がはるかに軽減されたことは間違いがなかった。

 今日も千陽路は松岡家本家の離れで愛する我が子と遊んでいた。

 琥珀は母の膝に乗り、真珠は夏芽とおもちゃで遊んでいる。

 双子はすでに三歳の誕生日が過ぎ、赤ん坊と言うより幼児と言って良い年齢になっていた。

「ちーちゃん」

 久しぶりに離れに誠志朗が訪ねて来た。

「久しぶり。元気にしてたか?」

「おじさま」

「おじちゃ……」

 真珠が嬉しそうに誠志朗に走り寄る。

「おー、真珠」

 誠志朗は駆け寄って来た真珠を抱き締めた。

「かわいいなぁ……いい子にしてたか? 真珠」

「しんじゅ、いいこー」

 真珠は片言で言いながら笑う。

「ホント、いい子だ。いい子の真珠にお土産あるぞ。ほら」

 誠志朗の手から魔法のようにキラキラしたティアラが現れた。

「琥珀には電車だぞ。電車、好きだよな?」

 真珠だけを贔屓ひいきするわけではなく、誠志朗は琥珀にも土産を持参していた。

 琥珀は千陽路の膝から動かず、手を伸ばして電車のおもちゃを掴んだ。

「相変わらずの人見知りだなぁ……真珠。おじちゃんと行こうな」

「え? おじさま、真珠をどこに連れて行くの?」

「会議」

 誠志朗はただひと言そう言った。

「会議? 何の?」

「慎太郎と、分家の当主が集まって今後のことをな」

「じゃあ、私も行かないと……」

「そうだな」

「琥珀も連れて行っていい?」

「いいんじゃないか? 真珠も来るんだし」

「赤ん坊を連れて行ってもいいような会議なの?」

「まぁ、松岡家本家の今後の行く末を話すんだから、いいんじゃないか?」

 誠志朗は、何て言ったってちーちゃんの次の当主になるかもしれないからなーと、誠志朗は真珠に話しかけている。

 誠志朗が極めて軽い口調でそう言ったため、千陽路は深く考えずに件の会議に出席することにした。

 しかし。

 松岡家本家の大広間に厳めしい顔をした各分家の当主がずらりと並んでいるのを見て息を飲んだ。

 その大広間の最奥。上座に慎太郎が静かに座っていた。

 その慎太郎の目が千陽路たちを見つけた。

「千陽路」

「松岡家本家次期当主。高生千陽路さまであらせられる」

 誠志朗のよく通る声が大広間に響いた。

「こちらは次期当主さまの御子息、琥珀さまと御令嬢、真珠さまであらせられる」

 大広間に並んだ頭が一斉に下がった。

「千陽路。こちらにおいで」

「はい……」

 父に呼ばれ、千陽路は静かに大広間の人波を抜け、慎太郎のそばに座った。腕には琥珀を抱いたままだった。真珠は誠志朗が抱いている。

「みんな、顔を上げてくれないか」

 慎太郎の声はしんと静まった大広間に凛と響いた。

 集まった分家当主が一斉に頭を上げた。

「今日は集まってくれてありがとう。みんなには松岡家本家の仕事を分担してくれていることについて、まず礼を言わせて欲しい。ありがとう」

 これだけの人間を前にしても、慎太郎の声にはまったく淀みがなかった。

「今、俺はみんなも承知の理由でほとんど松岡家本家の仕事ができていない。次期当主である千陽路も、見ての通り成すべきかけがえのない役割のために、やはり満足に仕事に向き合えずにいる。その穴をみんなが埋めてくれていることは率直にありがたいことだと思っている。どうかこれからも力を貸して欲しい。よろしく頼む」

 ざっと、一斉に頭が下がり、上がる。

 慎太郎以外誰もひと言も口を開かない。

「みな、楽にして聞いて欲しい。松岡家本家の今後のことだ。みなも知っているように、今現在俺は松岡家本家の仕事がほとんどできていない状況だ。みなが分担してそれを担ってくれている。しかし、みなにもそれぞれ他に担わなければならない仕事があることもわかっているつもりだ。みなに過重な負担をかけていることも。それだけに、このままでいいとは思っていない。そこで、松岡家分家筆頭財田家当主と何度か話し合いを持った。今、ここで正式に松岡家本家当主の役割を一時的に松岡家分家筆頭財田家当主に預けようと思う」

 慎太郎の言葉に一瞬、ざわめきが走った。松岡家分家の当主たちが顔を見合わせている。

 慎太郎は手を上げて、それを静めた。

「みなの混乱もわかる。だが、これは松岡家本家当主としての正式な決定事項だ。松岡家分家筆頭財田家当主、財田誠志朗」

 慎太郎の声は朗々と響いた。

「はい。当主さま」

 誠志朗はいつもの彼らしくもなく居住いを正して頭を下げる。

「今をもって、松岡家本家当主の責務を託す。松岡家本家当主代行を命ずる。松岡家分家筆頭として、松岡家本家当主の命を遂行しろ」

「御命、確かに拝命仕りました、当主さま。松岡家分家筆頭財田家当主として微力ながら相努めさせていただきます」

 松岡家分家筆頭財田家当主は深々と頭を下げ、松岡家本家当主の命を拝命した。


 慎太郎は誠志朗と千陽路、それから琥珀と真珠を連れて大広間を後にした。

 四人を連れて、慎太郎は私室へ向かった。

 部屋に入るなり、慎太郎はため息をついた。

「あー……疲れた……」

「お疲れさん、慎太郎」

 誠志朗は真珠を抱いたまま笑った。

「慣れないことはするもんじゃないな、まったく……」

「あの……パパ? いったい何が……」

 混乱した千陽路に慎太郎は笑みを浮かべた。

「ああ、千陽路……誠志朗と一芝居打ったんだよ」

「芝居?」

「そ。まぁ、実際俺は正式に松岡家本家当主代行にはなるんだけどな」

 誠志朗は真珠を腕に抱いたまま言った。

「松岡家本家当主代行……」

「そうなんだ。パパも千陽路も松岡家本家の仕事ができていないだろう? それでこの一年、誠志朗を始めとする松岡家分家の人間たちが肩代わりしていてくれていたけれど、まぁ、千陽路に教えるつもりはないけど、色々と揉め事が起きていたわけだ。それでパパは誠志朗に相談したんだ。だって、誠志朗はパパが松岡家本家当主を継いだ時からのパパの最高の相談相手だからね。誠志朗は自分から松岡家本家当主代行の役割を引き受けると言ってくれたんだ。パパの……松岡家本家当主の正式な代行だ。能力ちからの面でも、誠志朗はパパの指導者だったんだし、どこからも文句は出ない。それを発表するための今回の会議だったんだよ」

「そ。他の分家の当主に一発かましてやれって言ったんだ」

「おい、誠志朗。千陽路にそういう言葉を教えるなよ」

「おっと、失礼」

 誠志朗は率直に詫びの言葉を口にした。

「真珠にも悪い影響があるしな。悪かった」

「とにかく、これでパパも千陽路も松岡家本家の仕事から解放される。パパは紫苑しおんのサポートに専念できるし、千陽路は母親として琥珀と真珠の子育てができるだろう?」

「パパ……おじさま……」

「松岡家本家の責務は確かに重い物だ。だけど、パパが今向き合っている事も、千陽路の子供たちの事も、とても重い責任だ。そうだろう?」

「パパ……私、この一年ずっと琥珀と真珠と一緒にいられたわ。そりゃ、時々は松岡家本家次期当主としてのお仕事はあったけど……でも、ほとんど母親として双子と一緒にいられたのよ」

「うん……確かにそうだね」

 慎太郎は静かにうなずいた。

「でも、誠志朗が松岡家本家当主代行を引き受けてくれたから、これからはほとんどじゃなくって全面的に双子の母親として過ごせるよ」

「でも……おじさま……ホントにこんなに重たい責任、引き受けてくれるの?」

「任せろって!」

 誠志朗は朗らかに言った。

「俺は慎太郎とちーちゃんのサポーターなんだから。それに、公明正大にあの頭の堅いジジイ共に上から目線で命令できるんだぜ? 役得役得」

 誠志朗が、慎太郎と千陽路の精神的な負担を少しでも軽くしようと言っていることがわからない二人ではない。

「すまないな、誠志朗。あんたにはホントに感謝してる」

「ホントにありがとう、おじさま……」

 慎太郎と千陽路は心からの感謝を込めてそう言った。

「気にするなって。それより、俺から一つ、頼みがあるんだけど……いいか?」

「うん。何でも言ってくれ」

「俺、ここに住んでいいか?」

「え? いいのか?」

 誠志朗の申し出に慎太郎は驚きを隠せず訊ねた。

「俺の方が頼んでるんだよ。ここの方が指揮系統しっかりしてるし、術者も多い。それに、こっそりお前さんに相談できるしな」

 誠志朗は彼らしい軽い口調でそう言った。

「大歓迎だよ、誠志朗。あんたがここに住んでくれるなんて、考えてもいなかった」

「おじさまが松岡家本家に引越しして来てくれるの? 一緒に住めるの?」

 事の次第を理解した千陽路の声は弾んでいた。

「当主さまからお許しが出たからな」

「やった! 嬉しい!」

「俺も嬉しいよ。慎太郎とちーちゃん。それに真珠と琥珀にいつでも会えるからな」

「そんな時間、あるのか?」

「財田の家に住んでるよりかずっとあるさ」

「琥珀、真珠。おじさまがこのおうちに来てくれるって。良かったね。いつでも会えるわよ。嬉しいね」

 千陽路は双子にそう話しかけた。

「おじちゃ、うれしい?」

 真珠が誠志朗の腕の中から彼を見上げて訊ねた。

「すっごく嬉しいよ、真珠」

「しんじゅ、うれしい。しんじゅ、おじちゃすき」

「おじちゃんも真珠大好きだよー」

「しんじゅ、じぃじもすき」

 真珠は慎太郎の方に手を伸ばして言った。

「ありがとう、真珠。じぃじも真珠と琥珀が大好きだよ」

 真珠はにこにこ笑っているが、内気な琥珀は恥ずかしそうに身をよじっている。

「琥珀はちょっと恥ずかしがり屋さんなのよね」

「大丈夫だよ。その内自我がはっきりしてくるから……そうしたらもっと自己主張ができるようになるさ」

 慎太郎は優しくそう言った。

「だったらいいんだけど……そろそろ幼稚園だから、ちょっと心配なの」

「千陽路だって小さい頃は内気だったよ。松岡家本家に来た頃はパパから離れなかったんだから」

「そうだったかしら……」

「そうそう。俺に初めて会った時なんかさ、めちゃくちゃ警戒しててさ……しっかり慎太郎の手を握って……だけどクレーンゲームでぬいぐるみ取ってやったらすっごくかわいく笑ってくれて……」

 誠志朗は懐かしそうに呟いた。

「覚えてるわ。デパートの食堂で会ったのよね」

「そうそう。俺、あの笑顔に心臓射抜かれちゃったんだよ。かわいかったよなぁ……」

 その頃から、誠志朗は千陽路に夢中だった。

「内気だったのは今の琥珀にそっくりだな。そう考えたら琥珀もちーちゃんに似たところあるな」

「そうでしょう?」

「うん。そう考えたら、まぁ、琥珀にもかわいいところあるかな?」

「何言ってるのよ、おじさま。琥珀も真珠も私と祐佑のかわいい子供たちなのよ? 私の大切な宝物なの」

「わかってるって。今日だって琥珀にもおもちゃを持って来ただろう?」

「うん、そうね。ありがとう」

「誠志朗ってホントに気が回るなぁ……」

 誠志朗と千陽路のやり取りを聞いていた慎太郎が口を開いた。

「気配りは一番の処世術だぞ。ちょっとしたプレゼントを選ぶときでも、相手が何を貰ったら喜ぶか考えるんだよ」

「俺、そういう気配りが苦手でさ……」

「お前さんは気配りをされる側だからなぁ……何て言ったって松岡家本家当主なんだからさ。だけど、ちゃんと下の者を見てるじゃないか。平等に、公平に。働きに対してきちんと評価して、礼を言う。トップを張る人間はそれでいいんだよ。そういうお前さんだからこそ、俺にしろ他の分家の人間にしろこの家の術者にしろ、お前さんを支えたい。お前さんの力になりたいって思うんだ」

「俺は、みんなの助けがないと松岡家本家当主なんてやれないからな。一人でなんか、とても立っていられない」

 慎太郎は謙虚にそう言った。彼は傲岸不遜とは真逆の人間だった。

「一人で立つ必要なんかないさ。お前さんが立っている場所は確かに遥かな高みだ。だけどお前さんは数多くの手に支えられ、そこに立っていることを自覚している。それで十分だ」

「……ありがとう、誠志朗。あんたにそう言ってもらえると、俺は一人じゃないって思える」

「ああ。お前さんは一人じゃない。お前さんには俺がついてる。それに、他にも大勢の人間がお前さんを支えてる」

「本当にありがたいよ」

 慎太郎は笑みを浮かべた。

「あんたは千陽路にも無償の愛を注いでくれた。もし、それがなかったら……俺だけで千陽路を育てていたら、千陽路はこんなに愛情深い人間に育てられなかったかもしれない。あんたは俺と千陽路の恩人だ。いつも、どんな時も、忘れたことはない。今回のことにしたって、あんたは一も二もなく引き受けてくれた。苦労するのがわかっているのに、引き受けてくれた。俺はあんたを尊敬してるよ、誠志朗」

「何言ってるんだよ、慎太郎。俺とお前さんは友達じゃないか。それも俺にとっちゃたった一人の友達だ。俺に出来ることだったら何だってするよ」

「……パパとおじさまって、ステキね」

 千陽路が感嘆の色を込めてそう口にした。

「ステキ?」

「うん。すごくステキな関係だと思うわ。友情とか言っちゃうとすごく簡単に感じるけど、結局友情としか言えないのよね」

「そうだよ、ちーちゃん。慎太郎は俺のたった一人の友達だ」

 誠志朗は千陽路に笑いかけた。

「友達っていうのはいいもんだ。そいつのためなら何だってしてやりたくなるんだ」

「ステキね」

「ああ。でもさ、俺、ちーちゃんのこともかわいいんだよなぁ……ちーちゃんにも何でもしてやりたくなるんだ」

「いつもそうだった。忙しいのに無理矢理時間を作って、私にも会いに来てくれた。いつもステキなプレゼントを持って会いに来てくれた。私、おじさまが来てくれるのがいつも楽しみだったわ」

「俺もちーちゃんに会えるのが楽しみだったよ」

「おじさまはいつも、私のことをまるでお姫さまみたいに扱ってくれたわ。いつもいつも、私のことを守ってくれた。今も……」

「ちーちゃん。俺はちーちゃんや慎太郎のためだったら何だってするさ。それだけじゃなくって、今は真珠と琥珀もいるしな。俺は、俺の大切なものを守るためだったら何だってする」

 誠志朗は彼らしい人好きのする笑みを浮かべて言った。

「慎太郎にしろちーちゃんにしろ、何一つ気にする気にすることはないんだよ」

「おじさま……ホントに? パパと私のためにとてもムリなことをしているんじゃないのかしら……」

「いーや、ちーちゃん。ムリなんかしてないさ。俺は、俺の意志で俺がやりたいことをやってるんだ」

 誠志朗は朗らかに言い切った。

「松岡家本家のことは俺に任せておけ。慎太郎もちーちゃんも、自分たちがやらなければならないことに専念しろ」

 慎太郎と千陽路の負担にならないように、軽い口調で誠志朗は言った。

 こうして、千陽路は一旦松岡家本家次期当主としての仕事から完全に開放された。もちろん、愛する子供たちが育ったら、彼女は再びその役目を引き受けるだろう。

 しかしそれは、また別の、未来の物語となる。

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最強陰陽師に拾われた千陽路の新妻日記 常盤 陽伽吏 @TokiwaAkari

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