第11話

 夏芽なつめは他の家人のようには扱われなかった。まるで当主の家族の一員のように食事を共にすることを許された。彼女は恐れ多いと固辞しようとしたが、祐佑ゆうすけにきっぱりと慎太郎しんたろうさまのご意志に背くことは許されないと諭され、恐縮しながら食卓を囲むことになった。

 千陽路ちひろと祐佑はそれぞれ琥珀こはく真珠しんじゅを抱き、夏芽を連れて奥座敷の襖を開いた。

 奥座敷で夏芽は初めて会う人物を目にした。

 その人物は当主である慎太郎より少し年齢が上で、派手な身なりの男だった。

 千陽路が嬉しそうに声を上げる。

「おじさま、来てくれたのね」

「よっ! ちーちゃん。久しぶり。琥珀と真珠。元気してるか?」

「うん、すごく元気で、すごくいい子よ。夏芽さん。分家筆頭の財田家さいたけ当主誠志朗せいしろうさんよ。パパのお友達」

「分家筆頭財田家当主さま……」

 夏芽は息を飲んだ。

 彼も、赤尾家あかおけからすれば雲の上の存在だ。

「お嬢さんが琥珀と真珠の乳母うばか。話は聞いてる。財田誠志朗だ。よろしくな」

「赤尾夏芽でございます。よろしくお願いいたします」

 夏芽は深々と頭を下げた。

「ああ。琥珀と真珠と、それから千陽路をよろしく頼む」

 誠志朗は人好きのする笑みを浮かべて言った。

「さぁ、食事にしようか」

 慎太郎は一同を見渡してそう宣言した。

 手の込んだ膳が用意され、夏芽は緊張を隠せず食事を相伴した。

「落ち着けよ、お嬢さん」

 誠志朗は彼の前にだけ添えられた日本酒を飲みながらそう言った。

「これからずっと、慎太郎たちとメシ食うことになるんだろう? いちいち緊張してたら持たないぜ?」

「は、はい……」

 緊張を隠せない夏芽の返答に誠志朗は笑いだした。

「おいおい。俺程度の男に話しかけられたくらいでびくついてるんじゃ、当主さまに話しかけられたらひっくり返るんじゃないか?」

「誠志朗。夏芽さんをからかうんじゃない」

「からかってなんかいないさ」

 誠志朗は悪びれずもせずに言った。

「だって、ホントのことじゃん」

「いつまでもガキみたいなんだからな、あんたは」

 慎太郎は箸を止めて夏芽を見た。

「夏芽さん。誠志朗の言うことは気にしないで欲しい。こいつは昔からこういうところがあるんだ。でもホントはすごく気が良くて、お人好しなんだよ。そして、自分がまるでそうじゃないように振舞うんだよ」

「そうそう。さすが、よくわかってらっしゃる」

 慎太郎の言葉を誠志朗が混ぜっ返した。

「……こういう奴なんだよ……」

 慎太郎は苦笑した。

「だけど、本当に千陽路と、それから琥珀や真珠をすごく大事に思ってくれているんだ。多分、心配して離れにも顔を出すんじゃないかと思う。邪魔だと思うけど、温かく見守ってやってくれないかな」

「そんな……財田家当主さまが琥珀さまと真珠さまのお顔を見にいらっしゃることを邪魔などとは思いません」

「横柄だし、かさばるし……多分、琥珀と真珠見たらでろでろに溶けるだろうけど、まぁ、悪い人間じゃあないんだ。大目に見てやってくれないか」

「そりゃあ、ちーちゃんの子供なんて、かわいがるに決まってんじゃんか。お嬢さん。ちょくちょく顔出させてもらうから、よろしくな」

「はい、もちろんです」

「おじさま、そんなお時間あるの?」

 千陽路がもっともな疑問を呈した。

「無くても作る。かわいいかわいいちーちゃんと、そのかわいい子供たちに会うんだったら、寝る間を削ってでも会いに来る」

「おじさまったら……」

「それにしても、琥珀と真珠は大人しいなぁ……」

 奥座敷の一角で座布団に寝かされた双子の方を見やって、誠志朗は言った。

「泣きもしないじゃないか」

「うん……もしかすると、二人とも能力ちからを持っているのかもしれない……」

「……マジか……」

 誠志朗は酢を飲んだような顔をした。

「うん……多分……」

「千陽路」

 黙ってやりとりを聞いていた慎太郎が口を開いた。

「はい、パパ」

「琥珀と真珠が能力を持っていようと持っていまいと、二人が大切な子供たちであることに違いはないよ。そうだろう?」

「……うん……」

「千陽路が思うように、琥珀と真珠が能力を持って生まれたとしよう。我々にはその能力を使うすべを教える責任がある」

「そうね、パパ」

「どちらにしたって、双子はまだ小さい。愛を持って皆で育てて行こう。千陽路と祐佑だけで抱え込むことはない。夏芽さんもいるし、パパも誠志朗もいる」

「……そうね、パパ……うん、そうね……」

 千陽路は何度もうなずいた。

 自分は一人ではない。

 千陽路はこの松岡家本家に来て以来一人だったことは一度もない。

 父、慎太郎が。誠志朗が。乳母だった弥栄子やえこが。そして祐佑が。千陽路を一人にはしなかった。

 千陽路は暖かい何かが心に満たされていくのを感じた。

 慎太郎は彼特有の柔らかな笑みを浮かべ、愛娘まなむすめを見て言う。

「さぁ、食事をしよう。とにかく、人間何があっても食べないとね」

「うん、パパ。パパの言う通りね」

 千陽路はうなずき、料理に箸を伸ばす。

「夏芽さん。どうぞ召し上がれ。パパの言う通り、とにかく食べないと……」

「はい」

 夏芽もうなずいて箸を取った。

「それにしても……」

 誠志朗は酒の満たされた盃を干して、口を開く。

「お前さんはそういう星回りに生まれついたんだなぁ……」

「どういうことだ?」

「最強の陰陽師おんみょうじに生まれついて……結婚もせずに最高の後継者に恵まれて。その子供も強い能力を持っている……松岡家本家も安泰だな」

「俺は、何も琥珀と真珠を千陽路の後継にしようとは思っていないぞ」

 慎太郎は真正面から誠志朗を見た。

「流れだよ、慎太郎。お前さんはそういう流れに乗ってるんだ」

「誠志朗……まだ何もかもが仮定の話だ。俺たちは全力で琥珀と真珠を育てる。能力があろうとなかろうと、二人は俺たちの大切な赤ん坊だ。違うか?」

「確かにそうだな。かわいいかわいいちーちゃんのかわいい子供たちだ。俺もやれるだけのことはやるよ」

 誠志朗は再び盃を干した。


 食事が終わると誠志朗は千陽路たちに付いて離れまでやって来た。

「へぇ……随分と様子が変わったもんだな」

 離れの内装を見渡して、誠志朗は呟いた。

「おじさま。お茶淹れましょうか?」

「いや。いいよ」

 誠志朗はそう応じてリビングに置かれたバウンサーに寝かされた琥珀と真珠の側に陣取った。

「ん-……かわいい……」

 誠志朗はそう言いながら双子の頬をちょんちょんとつつく。

「一週間見ない間に随分しっかりしたなぁ……ちーちゃん。抱っこしていいか?」

「ええ。もちろん」」

 誠志朗は慣れた手つきでまず真珠を抱き上げた。

「おじさま。慣れてるのね……」

「まぁな。真珠はちーちゃんにそっくりだな。すっごくかわいい」

 誠志朗の腕の中で真珠はあーあーと言いながらもぞもぞと動いている。

「よしよし、いい子だなぁ……」

 誠志朗は片手で真珠を抱き、右手の人差し指を赤ん坊の前に差し出す。

「ほら、にぎにぎしな」

 真珠が誠志朗の指を握る。

「握手、握手……力強いなぁ……いい子いい子……」

 慎太郎の言葉ではないが、誠志朗はでろでろに溶けていると言って良かった。

「おじさま」

「何だ? ちーちゃん」

「琥珀も抱っこしてあげて?」

「琥珀かぁ……」

「どうしたの?」

「……祐佑に似てるんだよなぁ……」

「何言ってるのよ、おじさま」

 千陽路は呆れて口を開いた。

「私と祐佑の子よ? どっちにも似てるに決まってるじゃない」

「だってさぁ……真珠はちーちゃんにそっくりじゃん。で、琥珀は祐佑似でさ」

「二人とも私のかわいい子供たちなの差別しないで」

「差別はしないけどさ」

「真珠をかわいがってくれるのは嬉しいわ。だけど、同じくらい琥珀のこともかわいがってあげてちょうだい」

「……」

「おじさま!」

 千陽路は腰に手を当てて誠志朗を見下ろす。

「そんなことばっかり言ってたら、もう琥珀と真珠には会わせないわよ?」

 どうやら、しばらく会わないうちに千陽路はすっかり母になっているようだと気付いた誠志朗は全面降伏した。

「わかった。わかったよ、ちーちゃん。負けました。俺の負けです。全面的に」

「わかってくれた?」

 千陽路は笑みを浮かべた。

「わかった。わかりましたよ、もう。ちーちゃんもすっかり母親だなぁ……」

「そうでしょう? じゃあ、琥珀も抱っこしてあげて?」

「わかりましたよ、もう……」

 誠志朗は腕の中の真珠をちひろに手渡し、琥珀を抱き上げる。

「琥珀か……琥珀ねぇ……」

「おじさまっ!」

 あの小さかった千陽路に叱りつけられて、誠志朗は首をすくめた。

「はい、はい。琥珀……うん、琥珀……どこかちーちゃんに似てないかな?」

 誠志朗は腕の中の琥珀をためつすがめつ眺める。

「かわいいでしょう?」

「かわいい……ねぇ……」

「おじさま……」

 千陽路の声が低くなる。

「かわいい、でしょう?」

「はい。かわいいです。あー、かわいい」

 誠志朗は気のない声で言った。

「祐佑にそっくりだ……」

「そうかしら?」

「ああ……まぁ、いいさ。琥珀もちーちゃんの子供には違いないんだし……」

 誠志朗はぶつぶつと呟く。

「そうよ、おじさま。琥珀も真珠も私と祐佑のかわいい子供たちなの」

 誇らしそうに千陽路は口にした。

「おじさまもこれから二人を育てていくことを手助けしてね?」

「ああ」

 誠志朗は請け負った。

「俺に出来ることだったら何でもするよ」

「ありがとう、おじさま」

「取りあえず、今後の予定としてはどうなるんだ」

「予定?」

「ああ。千陽路はしばらくは育休だろう? 乳飲み子抱えて陰陽師なんかムリだろうからさ。祐佑、お前はどうするんだ?」

 誠志朗は腕に琥珀を抱いたまま、傍らの祐佑に問いかけた。

「私は、一足先に仕事に戻らせていただきます」

「そうか。竹階紫苑たけしなしおんのサポートだったな。まぁ、頑張れよ」

「はい」

「ちーちゃんはしばらくは育休でいいんだろう?」

「でも……一年も産休取っちゃったし……」

「何言ってるんだよ、ちーちゃん。乳飲み子抱えて真言しんごん唱えるってか? ムリだって」

 誠志朗は言った。

「ちーちゃんの代役だったら俺とか松岡家本家の術者で務めるからさ。ちーちゃんはゆっくり子育てしろよ」

「でも、夏芽さんもいてくれるし……」

「子供には母親が必要だって」

「もちろん、私は母親よ。でも、それと同時に松岡家本家次期当主なの。私には責任がある」

 千陽路はそう宣言した。

「ちーちゃん……」

「夏芽さんにはご迷惑をおかけしてしまうけれど、力を貸してください」

 千陽路は夏芽に向かって頭を下げた。彼女は父、慎太郎の影響下にあり、傲岸不遜な態度とは無縁だった。

 夏芽は慌てて頭を下げる。

「いえ……そんなとんでもない。そもそも私は琥珀さまと真珠さまをお育てする千陽路さまのお助けをするためにこちらに参りましたから」

「ありがとう。私も松岡家本家次期当主としての仕事がない時は、精一杯子供たちの世話をします。私が及ばないところで夏芽さんの力を貸してください」

「ちーちゃん……」

 誠志朗は力なく声を上げた。

「何もそんな、いばらの道を選ばなくってもいいじゃないか……」

「おじさまが言いたいこともわかるわ。でも、私は松岡家本家次期当主なの。パパの後を継いで、この国を守っていかないといけないの。安穏な生活をしたかったら、最初からこの道を選んだりしていないわ」

「ちーちゃん……」

「もちろん、おじさまの力も貸して欲しい。財田家当主としても。それから、私の理解者としても」

「そりゃあさ、ちーちゃんのためなら何だってするさ。財田家当主としてでも、ちーちゃんの一番の理解者としても。俺はちーちゃんがこの松岡家本家に来た日からずーっと、ちーちゃんのファンなんだから」

「ありがとう、おじさま」

 千陽路は笑みを浮かべた。

「ずっとここにいたいけど、さすがにもう行かなきゃならないな。何かあったら、絶対に俺に言うんだぞ? いいな?」

「うん、約束する」

 誠志朗は名残惜しそうに千陽路を見やってから離れを去って行った。

「あの……千陽路さま……」

「どうしました? 夏芽さん」

「財田家当主さまって、何だかとても迫力のある方ですね……」

 夏芽のこの言葉に千陽路は笑った。

「そうですね。おじさまは財田家当主でもあるけど、誠心会せいしんかい総長でもありますから」

「誠心会?」

「ええ。関東屈指の広域暴力団です。おじさまはその総長でもあるんです」

「暴力団……総長……」

 夏芽は息を飲んだ。

「安心してください、夏芽さん。おじさまは怖い人じゃあありませんから。事情があって財田家当主と誠心会総長を兼任していますけど、本当にすごく優しいんです」

「そうなんですか……」

「ええ。昔から私のことをとてもかわいがってくれていて、いつも私のことを考えてくれています」

「千陽路さまのことを、そんなに……」

「ええ。ちょっと暴走気味なところもありますけどね」

 そう言って千陽路は笑った。

「それでも、私にとっては大好きなおじさまです」

「千陽路さまにとって、とても大切な方なのですね……」

「はい。パパや祐佑と同じくらい大切な人です。夏芽さんもどうかおじさまと仲良くしてくださいね」

「はい、千陽路さま」

 夏芽はうなずいた。

「祐佑。あなたもよ。おじさまと仲良くしてね?」

「千陽路さま……」

「祐佑がおじさまと反りが合わないのは知ってるけど、大好きな二人がケンカしてるの、私イヤなの。お願いだから、おじさまと仲良くしてちょうだい」

「私と誠志朗さんはケンカをしているわけではありませんよ?」

「でも、いつも揉めてるじゃない」

「それは……いつも誠志朗さんが私に下らないことで難癖を……」

 祐佑はそう弁解を口にした。

「そうね。大体はおじさまが祐佑にケンカを売ってるように見えるわね」

 千陽路は笑ってそう言った。

「おじさま、時々子供みたいだもの」

「ええ。そうですね……」

「だから、祐佑には大人になって欲しいの。大体、祐佑の方が年齢が上なんだし……」

「千陽路さま……」

「ね? お願い、祐佑。おじさま、と仲良くして? 祐佑とおじさまがケンカするかもって思ったら、私落ち着いてお仕事できないもの」

「……かしこまりました。お約束します」

「ありがとう、祐佑。約束ね」

 ついに祐佑の口からその言葉を引き出し、千陽路は柔らかく笑ってそう言った。

 結局のところ、松岡家本家で一番強いのは、当主である慎太郎ではなく千陽路なのかも知れなかった。

 誰も千陽路に勝てる者はいないのだから。

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