第8話

「……路、まだ寝てるのか?」

「はい……お疲れになったのでしょう」

 密やかに交わされる声が眠っていた千陽路ちひろの耳に届いた。

「……パパ?」

「千陽路。起きたのか……騒がしくして悪かったな」

「ううん……赤ちゃん、見てきてくれた?」

「見た見た。琥珀こはく真珠しんじゅ。二人ともかわいかった」

 応えたのは誠志朗せいしろうだった。

「琥珀と真珠?」

「あ、うん、そうなんだ。慎太郎しんたろうがそう名前を付けたんだよ。な?」

「ああ、そうなんだ。どうかな?」

「琥珀と真珠……きれいな名前……」

祐佑ゆうすけも、この名前でいいか?」

「はい、もちろんでございます」

「そうか……良かった」

「ありがとう、パパ。とってもステキな名前だと思う。ねぇ? 祐佑もそう思わない?」

「ええ。響きも良いですし、慎太郎さまにお願いして本当に良かったと思います」

「そうかぁ……良かった」

 慎太郎はホッと息をついた。

「人、一人の人生かかってるようなものじゃないか。プレッシャー半端ないって言うか……パパ一生懸命考えたんだよ。最初、誠志朗に相談したんだけどさ、振瑠斗ふるーととか日亜乃ぴあのとかさ……キラキラネームばっかりなんだよなぁ」

「悪いかよ」

 誠志朗は口を尖らせる。

「悪いって言うかさ……大人になった時にどうなんだって思うじゃないか。まぁ、それで文句言ったらお前さんの孫なんだから自分で考えろって言われて……それで、琥珀と真珠って思いついたんだよ」

「ありがとう、パパ。ホントに素敵な名前だと思う」

 千陽路は嬉しそうにそう言った。

「千陽路、祐佑。この前話したこと、覚えてるか?」

 慎太郎は改めて口を開いた。

「パパのお話?」

「うん。琥珀と真珠を連れて、親子四人で松岡家本家まつおかけほんけに帰っておいでって話だよ」

「覚えております、慎太郎さま」

 祐佑が応じた。

「そのことについて千陽路さまとも話し合いました。お返事が遅くなり申し訳ございません。このお話をぜひお受けしたいと思っております」

「そうか」

 慎太郎は破顔した。

「良かった……もう離れのリフォームは済んでるんだ。荷物さえ運び込んだらそこで暮らせる。お前たち、松濤しょうとうの家に帰りたいか?」

「どういうこと?」

「いや……赤ん坊連れて引越しって大変じゃないか。もし良かったら、業者に頼んで荷物運んでもらおうかなって考えてるんだ」

「……そうね。確かに赤ちゃん連れての引越しって大変そう……」

「そうだろう? 千陽路と祐佑さえ良ければ、こっちで勝手に引越しの段取り組むよ。どうかな?」

「そうね……どうしようか? 祐佑……」

「よろしいのではないでしょうか? 確かに赤ん坊を連れての引越しは大変でしょうし」

「よし、じゃあこっちに任せてくれ」

 慎太郎は笑みを浮かべた。 

「それからさ、何て言ったって、双子じゃないか。千陽路一人で育てるのって、やっぱり大変だろう? 考えたんだけどさ、千陽路に弥栄子やえこさんがいてくれたみたいに、琥珀と真珠にも千陽路を助けてくれる乳母うばみたいな人がいてくれたらいいんじゃないかなぁ」

 杉澤すぎさわ弥栄子。

 女手のなかった松岡家本家に、千陽路の乳母として来てくれた女性だった。

「そうね……うん」

 千陽路は考えてうなずいた。

「パパが言うみたいに一人で双子を育てるのって、やっぱり難しいと思う……誰か助けてくれる人がいたら嬉しいな」

「祐佑。産休明けの初仕事だ。琥珀と真珠にぴったりな人を探してくれ」

「かしこまりました、慎太郎さま」

「自分で言い出したことだけど、祐佑がいないって、凄く不便なんだよなぁ……」

 慎太郎はしみじみとそう言った。

「いなくなってさ、改めて祐佑の有能さが身に染みるよ」

「恐れ入ります、慎太郎さま。そのお言葉を糧に精進させていただきます」

 祐佑の、この相変わらずの腰の低さに慎太郎は苦笑を浮かべた。

「久しぶりに会ったけど、相も変わらず、堅っ苦しい男よだなぁ、祐佑って」

 言ったのは誠志朗で。

「誠志朗……あんた、相変わらず余計なことばっかり言うなぁ……」

「ホントのことじゃん」

「あんたって……」

 誠志朗がうそぶいたので、慎太郎はため息を落とした。

「すまないな、祐佑。誠志朗には後でひと言言っておくよ」

「とんでもない、慎太郎さま。私は何も気にしておりませんので」

「……まったく……唯一の幼馴染なんだから、ちょっとは仲良くしろよ、誠志朗」

「俺のせいだって言うのか?」

「あんたがケンカ売ってるようにしか見えないぞ」

「売ってねぇって」

「あんたは未だに千陽路と祐佑が結婚したことに納得していないんだろうけど、かわいい子供も産まれたんだぞ? いい加減諦めろって。赤ん坊、かわいかっただろ?」

「確かに。琥珀と真珠はかわいかった」

 誠志朗はうなずいた。

「他のガキどもなんか、比べ物にもならないくらい、かわいかった。他のガキなんか、サルみたいだったじゃないか」

「いちいち棘があるんだよなぁ、あんたって……」

 慎太郎はため息を落とした。

「ホントに人の好き嫌いがはっきりしてるって言うか……」

「俺、金持ちの坊々育ちだから」

「いくつだ、あんたは」

「三十八歳」

 しれっと誠志朗は言った。

「三十八歳にもなって、子供みたいなこと言うなよ。いい年齢としのおっさんじゃないか」

「いいんだよ、俺は、このままで。これが俺のアイデンティティだからな」

「アイデンティティねぇ……」

「そういうこと」

 誠志朗と言う人間は、千陽路や慎太郎にはとことん甘いが、他の、特にかわいい千陽路の夫となった祐佑には点が辛い。

 そのやり取りを見ていた千陽路が涙目で口を開く。

「おじさま……おじさまはやっぱり私が祐佑と結婚したの、許してくれていないの?」

 かわいいかわいい千陽路に泣かれて、誠志朗は大いに慌てた。

「違う。違うよ、ちーちゃん。悪かった。謝るよ、ゴメン」

「おじさま……」

「ホントにゴメン。産後で精神的に不安定なのに、おかしなこと言っちゃって悪かった。な? ゴメン。謝るよ。この通りだ」

 誠志朗は千陽路に手を合わせてみせた。

「おじさま……ホントに?」

「ああ」

 誠志朗は請け負った。

「良かった……」

 千陽路はホッとしたように笑みを浮かべた。

「良かったな、千陽路。俺たちそろそろ帰るよ」

「えー。もう帰るのか?」

「いつまでも俺たちがいたら千陽路が疲れるだろう?」

「パパ……」

「ゆっくり身体を休めるんだよ。祐佑。千陽路と子供たちをよろしくな」

「お任せください、慎太郎さま」

 祐佑が深く頭を下げた。

「うん、頼んだ。じゃあな」

「ゆっくり休めよ、ちーちゃん。ホントにお疲れさん」

 慎太郎と誠志朗が病室から姿を消し、部屋には千陽路と祐佑が残された。

 千陽路はふぅっとため息をついてベッドに身を預けた。

「千陽路さま、大丈夫ですか?」

「うん……ちょっと疲れちゃった。おじさまったら、どうしていつもああなのかしら?」

「誠志朗さんは千陽路さまを本当に大切に思っておいでなので、恐らく、私のような者が千陽路さまの夫であることに納得できないのでしょう」

「もうっ!」

 千陽路は憤慨した。

「祐佑は私の大事な旦那さまなのに……」

「千陽路さま。誠志朗さんは千陽路さまが本当に幼い頃から大切にされてこられました。彼の気持ちもわかります」

「わからないでよ、祐佑」

 千陽路は強く言った。

「千陽路さま……」

「祐佑は私の大事な旦那さまよ。私の一番大好きな人なの。そんなこと、言わないで」

「……申し訳ありません、千陽路さま」

「祐佑は私のこと大事じゃないの?」

「もちろん、他の誰よりも大切に思っております」

「だったら、お願い、もっと自信を持って」

「千陽路さま……」

「祐佑、パパになったのよ? 祐佑は琥珀と真珠のパパなの。おじさまに何か言われても、堂々としていて」

「かしこまりました、千陽路さま」

「約束よ? 祐佑」

「はい、千陽路さま。お約束いたします」

 祐佑の言葉に千陽路は笑みを浮かべる。

 そしてしばらくすると、病室に豪華な食事が運ばれてきた。

「お産で体力を使ったから、回復するための特別メニューですよ。ご主人の分もありますから一緒に召し上がってくださいね」

「わぁ……おいしそう」

 白身魚のポワレ。バーニャカウダ。クラムチャウダーに焼きたてのパン。デザートにティラミスが添えられていた。

「さぁ、召し上がれ」

「ありがとうございます。いただきます」

「いただきます」

「食べながら聞いてくださいね。琥珀くんも真珠ちゃんも、少し早産ではありましたけど、特に問題はありませんでした。お母さんも一週間ほど入院して、赤ちゃんと一緒に退院できますよ」

「そうなんですね、良かった……」

「食べ終わったら授乳をお願いしますね。初乳は新生児にとってとても大切なんですよ」

「はい」

「では、ごゆっくり」

 スタッフが笑顔を残して病室を出て行き、千陽路は祐佑と二人残された。

「聞いた? 祐佑。一緒に退院できるって。良かった」

 千陽路は嬉しそうにそう言った。

「本当に、良かったですね。千陽路さまも本当にお疲れさまでした」

「祐佑がずっと一緒にいてくれたから、本当に心強かったわ。パパとおじさまもずっと祈ってくれていたし」

「ええ。そうですね」

「松岡家本家に戻るのも久しぶり……私、離れって入ったことないんだけど、どんなところなの?」

「そうですね……代々松岡家本家に当主を引退された前当主の方が静かに過ごされていた場所でございます」

「そうなんだ……ねぇ、パパの先代の当主って……」

すいさまとおっしゃられる方です。慎太郎さまが松岡家本家当主を継がれる前にお亡くなりになられました」

「パパのお祖母ばあさまよね?」

「ええ」

「……ねぇ、パパのお母さんって……」

「そうですね……翠さまのお嬢さまで、玲子れいこさまとおっしゃいます。慎太郎さまが松岡家本家に入られた折に縁を切られておいでです。もう何年もお会いになってはいらっしゃいません」

「そうなんだ……パパ、淋しいでしょうね」

「いえ……慎太郎さまには千陽路さまがいらっしゃいます。お淋しいことなどございませんよ」

「でも……」

「大丈夫です、千陽路さま。慎太郎さまのご生家はどなたも慎太郎さまのような能力ちからをお持ちではありません」

「そういう問題じゃなくって……」

 祐佑のこのどこかピントのずれた言葉に千陽路は困惑した。

「実のお母さんでしょう? そんなに簡単に割切れるものじゃないと思うんだけど……」

「そうでしょうか? 松岡家本家の術者の大多数も家族とは縁を切って任務に励んでおります」

「そうなんだ……でも、やっぱりみんなも淋しいと思う……」

「千陽路さま。松岡家本家の任務は親子の情などが介在するような甘いものではありません」

 祐佑の声音は冷たかった。

「ましてや慎太郎さまはそのトップに立たれる松岡家本家当主でいらっしゃいます」

「祐佑……」

「千陽路さまが松岡家本家次期当主の座にいらっしゃるのも、慎太郎さまのご息女であるという理由ではございません。千陽路さまがその責を担うに足るお能力をお持ちであるからです」

「……祐佑は……私が松岡家本家次期当主じゃなくっても結婚してくれた?」

「もちろんです」

 祐佑は即答した。

「ですが……」

「ですが……何?」

「正直なことを申し上げると、千陽路さまがこのような重責を担われることは、私の本意ではございません」

「え?」

「松岡家本家当主の責務は重いものです。千陽路さまにはもっと優しい、柔らかなお仕事を選んでいただきたかった」

「祐佑……」

「このことは、慎太郎さまも以前同じようにおっしゃっておられましたね?」

 そう。

 確かに父、慎太郎は以前から千陽路にはもっと優しい仕事に就いて欲しいと口にしていた。

 千陽路はこくりとうなずいた。

「ですが、千陽路さまが松岡家本家次期当主を選ばれた以上、私は全力でお支えいたします」

「祐佑……」

「松岡家本家当主側近筆頭として。千陽路さまの夫として。そして、双子の父親として。私は全力で千陽路さまをお支えいたします」

 祐佑は静かにそう宣言した。

「祐佑……」

「千陽路さま。私は千陽路さまを愛しております。千陽路さまのすべてを。それに、これからは千陽路さまと私の子供たちがいます。二人で力を合わせてあの子たちを育てて行きましょう」

「うん……祐佑……力を貸してね」

「貸すのではありませんよ。あの子たちは千陽路さまと私の子供です。私にも千陽路さまと当分の責任があります」

「祐佑……私、嬉しい……祐佑がそんな風に言ってくれて……うん……二人で力を合わせて子供たちを育てていこうね」

「はい、千陽路さま」

 千陽路と祐佑は柔らかな笑みを浮かべて見つめあった。

「ねぇ、祐佑。祐佑はどんな人が乳母に相応しいと思う?」

「そうですね……考えていたのですが、弥栄子さんのようにご高齢の方ではなく、千陽路さまと年齢が近い方が良いのではないかと思っております」

「私と年齢が近い?」

「ええ。千陽路さまにとって良い相談相手になれるような……保育士の資格などを持っているといいかもしれませんね」

「保育士……」

「はい。これから松岡家分家の中に相応しい者がいないか精査いたします」

「いるかな?」

「それは正直わかりません。ですが、どうかご安心なさっていてください」

「うん」

 千陽路は夫への全幅の信頼を持ってうなずいた。

 そこへ、病院のスタッフがやって来た。

「高生さん。お食事は済まれましたか?」

「はい。とてもおいしかったです」

「そうですか、それは良かったです。では、赤ちゃんをお連れしますね」

「嬉しい」

 千陽路は手を叩いて喜んだ。

 スタッフが笑みを残して一旦部屋を下がり、琥珀と真珠を連れて戻って来た。

「琥珀! 真珠!」

 水色とピンクの産着を着た双子を見て、千陽路は声をあげた。

「ああ……何てかわいいの……ねぇ、祐佑。かわいいわね」

「はい、とても」

「はい、お母さん。琥珀くんですよ」

 千陽路はスタッフから琥珀を抱き寄せた。

「琥珀……」

「お父さん。真珠ちゃんを抱っこしてみますか?」

「ええ」

 祐佑の手に真珠が手渡される。

「軽いですが……重いですね……」

 祐佑はぎこちなく真珠を抱きながらそう言った。

生命いのちの重さですよ、お父さん」

 スタッフが優しくそう言った。

 千陽路は琥珀に。そして真珠に初めての授乳をし、すっかり母の顔をしていた。

 しばらくの間双子は病室で過ごした後、新生児室に戻された。

 病室に泊まり込む祐佑のためにサブベッドが用意され、親子四人は初めて同じ屋根の下で眠ることになったのだった。

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