第8話 英雄を生まない街


 その街には、

 英雄がいなかった。


 正確には――

 生まれなかった。


 名前は、

 レンヴァ市。


 交易路の中継点で、

 特別な資源も、

 名高い冒険者もいない。


 どこにでもある、

 普通の街だ。


「……歪みが、

 ほとんどない」


 ミュゼが、

 感覚を探る。


「異常なくらい、

 安定してる」


 リゼアが、

 周囲を見回す。


「でも、

 警備が薄いわね」


 街門に立つ兵は、

 二人だけ。


 鎧も古く、

 剣も使い込まれている。


 それでも、

 不安は感じない。


 人の流れが、

 自然だ。


 俺は、

 足元に意識を向ける。


 地脈。

 魔力。

 人の意思。


 すべてが、

 均等に流れている。


「ここ……

 誰かが整えてる?」


 ミュゼが、

 俺を見る。


 首を振った。


「違います」


「“誰か”じゃない」


 市場に入ると、

 商人と客が、

 声を掛け合っている。


 値切り。

 笑い声。

 小さな喧嘩。


 どれも、

 自分で選び、

 自分で背負っている。


「この街、

 英雄を必要としてない」


 リゼアが、

 ぽつりと言った。


 宿で話を聞く。


 魔物が出れば、

 数人で対処する。


 無理なら、

 引く。


 被害が出れば、

 皆で補う。


 誰か一人に、

 期待しない。


「……合理的だわ」


 ミュゼが、

 感心する。


「でも、

 恐ろしくもある」


「誰も、

 守ってくれないって

 覚悟が必要」


 俺は、

 頷いた。


「だからこそ、

 歪まない」


 夜。


 街の外れで、

 魔物の気配。


 大型。

 知能あり。


 通常なら、

 英雄誕生の兆しだ。


 だが――


「鐘は鳴らさない」


 街長が、

 即断する。


「避難路を確保しろ」


「無理はするな」


 人々が、

 迷いなく動く。


 恐怖はある。

 だが、

 依存はない。


 俺は、

 一歩だけ前に出た。


「……少し、

 整えます」


 刻印は、

 描かない。


 流れを、

 邪魔しない。


 人の判断が、

 届くように、

 余計な歪みを抜くだけ。


 リゼアが、

 前に立つ。


「倒しに行かない」


「追い払う」


 ミュゼが、

 魔力の壁を張る。


 限定的。

 街を守る分だけ。


 魔物は、

 混乱する。


 街が、

 “英雄を求めていない”

 ことに。


 数刻後。


 魔物は、

 引いた。


 被害は、

 軽微。


 歓声はない。


 ただ、

 深い安堵が

 街に広がる。


「……これが、

 英雄を生まない形」


 ミュゼが、

 静かに言う。


 俺は、

 胸の奥が

 熱くなるのを感じた。


 均衡庁が、

 否定する世界。


 だが、

 確かにここは

 生きている。


「アルト」


 リゼアが、

 こちらを見る。


「あなたが支えたのは、

 街そのものね」


「はい」


「でも、

 前に出すぎてない?」


 少し、

 考える。


「……境界です」


「越えないよう、

 気をつけます」


 遠くで、

 歪みが動いた。


 均衡庁の反応。


 この街は、

 見逃されない。


 英雄を、

 生まなかった場所。


 それ自体が、

 脅威だから。


 俺は、

 はっきりと理解した。


 この道は、

 正しい。


 そして――

 危険だ。


 それでも。


 支える価値は、

 確かに、

 ここにあった。

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