第3話 調整しない選択
英雄の国を離れて、
さらに北へ進んだ。
山を越え、
森を抜け、
道と呼べるかも怪しい獣道を行く。
「辺境ね」
リゼアが、
地図を見ながら言う。
「英雄も、
騎士団もいない」
「だからこそ、
歪みが残りやすい場所よ」
ミュゼの声は、
いつもより慎重だった。
集落は、
谷間にひっそりと存在していた。
木と土で作られた家。
簡素な柵。
必要最低限の暮らし。
俺は、
足を踏み入れた瞬間に気づく。
歪みが、
確かにある。
だが――
暴れていない。
「……奇妙だな」
無意識に、
そう呟いていた。
「調整する?」
リゼアが、
いつもの調子で聞く。
俺は、
すぐに答えられなかった。
歪みは、
集落の中心に集まっている。
井戸。
集会所。
人が集まる場所。
だが、
抑えつけられてはいない。
呼吸しているようだ。
「様子を見よう」
そう言ったのは、
俺自身だった。
集落の長に話を聞く。
「最近、
地鳴りがすることがある」
「家畜が驚く程度だが、
油断はできん」
「英雄を呼ばないのですか?」
俺の問いに、
長は苦笑した。
「呼べるなら、
呼んどるわ」
「だが、
ここは遠すぎる」
「だから、
自分たちで考える」
夕方、
歪みが強まった。
地面が、
低く唸る。
人々が集まり、
声を掛け合う。
「子どもを中へ!」
「井戸から離れろ!」
俺は、
手を伸ばしかけて――
止めた。
調整すれば、
一瞬で静まる。
だが、
それは正しいのか。
リゼアが、
俺を見る。
何も言わない。
判断を、
俺に委ねている。
集落の男たちが、
杭を打ち、
縄を張る。
ミュゼが、
小さく呟く。
「理にかなってる」
「歪みの中心を、
一点に固定してる」
地鳴りが、
一度、強くなった。
家が軋み、
土埃が舞う。
悲鳴が上がる。
俺の心臓が、
強く跳ねた。
――今なら、
間に合う。
だが。
次の瞬間、
歪みは、
すっと引いた。
完全ではない。
倉庫が一つ、
半壊した。
怪我人も出た。
それでも――
暴走はしなかった。
夜、
焚き火の前で、
長が頭を下げる。
「助かった」
「……いえ」
俺は、
正直に言った。
「何もしていません」
長は、
驚いた顔をしたあと、
笑った。
「それでいい」
「全部を、
誰かに任せると、
考えなくなる」
「考えなくなると、
備えなくなる」
「備えないと、
次はもっと痛い」
その言葉が、
胸に深く沈む。
俺は、
歪みを見ていた。
確かに、
完全に消えてはいない。
だが、
薄く、広くなっている。
人の行動に合わせて、
形を変えていた。
「……調整しない方が、
安定している」
思わず、
口に出た。
「そうね」
ミュゼが、
静かに頷く。
「世界は、
自分で動く力を持ってる」
「支えすぎると、
その力を忘れる」
リゼアが、
剣を膝に置いたまま言う。
「痛みは出る」
「でも、
全部を背負わせるより、
ずっとマシよ」
俺は、
自分の手を見つめた。
支えない選択。
それは、
無責任ではない。
責任を、
返す行為だ。
夜空に、
星が広がる。
この集落に、
英雄はいない。
調整士も、
名乗らない。
それでも人は、
立ち、
考え、
助け合う。
胸の奥に、
はっきりとした感覚が生まれた。
――俺は、
これまで、
奪っていたのかもしれない。
人が世界と向き合う、
その機会を。
この旅で、
俺は初めて選んだ。
調整しない、
という選択を。
そしてそれは、
確かに、
世界を前に進めていた。
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