第2話 英雄の国


 国境を越えた瞬間、

 空気が変わった。


 重い。

 湿っているわけでも、

 濁っているわけでもない。


 ただ、

 圧がある。


「……すごいわね」


 リゼアが、

 街門を見上げて呟いた。


 白い石で築かれた巨大な城壁。

 その中央に、

 剣を掲げた英雄像が立っている。


 旅人も商人も、

 門をくぐる前に像へ一礼する。


 祈りに近い動作。


「英雄国家アルセイド」


 ミュゼが淡々と説明する。


「建国以来、

 常に英雄を擁してきた国」


「英雄の加護で栄え、

 英雄の名で統治する」


 街に入ると、

 視界の至る所に英雄がいた。


 壁画。

 旗。

 歌。


 子どもたちは木剣を振り回し、

 英雄の真似をして走り回っている。


「英雄様みたいになるんだ!」


 その声は、

 まっすぐで、

 疑いがない。


 胸が、

 少しだけ痛んだ。


 宿に荷を置いた直後、

 騒ぎが起きた。


 広場の中央で、

 魔力暴走事故。


 石畳が歪み、

 噴き出す赤い光。


「英雄様を呼べ!」


 誰かが叫ぶ。


 人々は一斉に後退し、

 自然と空間が空く。


 その中心に――

 若い男が立った。


 鎧は傷だらけ。

 目の下には、

 濃い隈。


 それでも、

 剣を握る手は震えていない。


「下がってください!」


 彼は叫び、

 歪みへ踏み込んだ。


 無理をしている。


 一目で、

 分かった。


 俺は反射的に、

 世界の流れを掴もうとした。


 歪みを整え、

 英雄が動きやすいように――


「アルト、待って」


 ミュゼが、

 低い声で止める。


「……何か、おかしい」


 遅かった。


 俺が触れた瞬間、

 歪みが、

 一気に膨張した。


「っ……!」


 英雄の剣が弾かれ、

 彼は地面に叩きつけられる。


 悲鳴。


 恐怖。


 歪みは、

 さっきよりも荒れていた。


「なぜ……?」


 俺は、

 自分の手を見る。


 調整は、

 正確だったはずだ。


 だが――

 この国では、

 違った。


 リゼアが前に出る。


「下がって!」


 剣で魔力を切り裂き、

 強引に場を収める。


 完全ではない。

 被害も出た。


 それでも、

 歪みは沈静化した。


 英雄は、

 立ち上がれずにいた。


 医務室で、

 彼は小さく笑った。


「すみません……

 まだ、足りなくて」


「何が、ですか」


「英雄としての、

 覚悟です」


 その言葉に、

 俺は息を呑む。


「休んだ方が――」


「できません」


 彼は、

 即答した。


「僕が倒れたら、

 この国は不安になります」


「不安になれば、

 歪みが増える」


「だから、

 立ち続けないと」


 それは、

 使命ではない。


 呪いだ。


 街を歩きながら、

 俺は歪みを感じ続けていた。


 多い。

 濃い。

 絡みつくようだ。


 英雄が集め、

 英雄が押さえ込む歪み。


 それを、

 無意識に皆が期待している。


 夜、宿でミュゼが言った。


「この国、

 歪みを“英雄に預けてる”」


「人が抱えるはずの不安や失敗を、

 一人に集中させてる」


 俺は、

 黙って頷く。


「だから、

 調整が逆効果になった」


「支えた分だけ、

 英雄への負荷が増える」


 窓の外で、

 英雄像が月光を浴びていた。


 崇高で、

 孤独な姿。


 俺は、

 初めて思った。


 ――支えることが、

 本当に救いなのか。


 この国で、

 英雄は必要だ。


 だが同時に、

 この国は、

 英雄がいないと立てない。


 それは、

 健全な世界だろうか。


 問いは、

 答えを持たないまま、

 胸に沈んでいった。


 静かな夜だった。


 だがこの国の歪みは、

 眠ることを知らなかった。

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