第2話

 もう、彼是十年以上前の話だ。私がネイリストとして独立する前に、駅の近くの古いビルに入っていたネイルサロンに勤めていた頃、プロポーズされかけた男が北町だった。一緒にいたのは僅か一年くらいだったが、とても良い奴だった。

 私の呪いを解くのではなく、上書きしようとしてくれた。そんな男だった。



 ♡♡♡

 

「今度、孫娘の結婚式なのよ」


 七十代のお客様なんて珍しいと思っていたのが顔に出ていたのか、はたまたお喋りなだけなのか、おばあさんはニコニコしながらそう言った。


「それはおめでとうございます、結婚式のご参加のためにいらしたんですね」

「そうなのよ、自分でやっても綺麗にできないから、うちの嫁に家の近くでやってもらえるところを探してもらったの」

「ありがとうございます」


 私は雑談があまり得意ではないから、こうやって自分でたくさん喋ってくれる客は相槌を打つだけでいいので有難い。それからも孫娘が可愛いこと、嫁の愚痴、自分の今困っていることなど、作業中おばあさんはノンストップで喋り続けた。そして、ふと


「あなたはご結婚されているの?」


と、私への質問に話題が変わってしまった。


「いえ、いい方がいたら考えるんですが、今は仕事が一番ですから」

「あら、勿体ないわねぇ。最近の若い人は皆そうなのかしら。私のパソコンの先生も同じこと言うのよ、北町先生。あなたご存じ?」

「え?」

「あらやだ、このお店の隣にお教室あるでしょ、そこの北町先生に私パソコン習ってるの。本当はスマホ教室やってほしいのだけど、スマホはやってないんですって」


 そこからは、今通っているパソコン教室の話が続いて、私の話題は無事終わってくれたので安堵した。確かに、コロナが終わってすぐ、うちの店の横にパソコン教室が移転してきたっけ。元々、もっと駅に近い大通りのビルに入っていたが、

 

「コロナで家賃が払えなくなったんじゃない、都落ちね」


なんて、同僚が意地悪く笑いながら言っていたのを思い出した。都落ちって、そもそもそのビルに入ってた私たちの店は何なのよと思ったが、絡まれると面倒だと愛想笑いを返した覚えがある。

 

 このビルは喫煙所なんて大層なものはないが、各階にちょっとしたベランダがあるから、テナントの人間はそこで煙草を吸ってもいいというのが暗黙のルールであった。うちの店員か、もう一店舗入居してる何やってるかわからない事務所のおじさんしか見かけなかったが、最近見知らぬ顔の男がいるので、たぶんそのパソコン教室の人間なのだろう。


「これで完成です。いかがですか?」

「まあ綺麗ね、ありがとう。これで孫娘も喜んでくれるわ」

「お孫さんにおめでとうございますとお伝えください」


 お見送りでおばあさんと一緒に店の外へ出た時に、例の最近ベランダで見かける男が、ちょうど通りかかった。


「あら北町先生」

「あれ、今日レッスンじゃなかったですよね」

「今日はお隣に用事があったのよ」


 北町先生、と呼ばれた男とふと目があってしまい、軽く会釈をされたのでこちらも返した。


「それでは、ありがとうございました。結婚式、楽しんできてくださいね」

「ありがとう。あなたも良い人、見つけなさいね!」


 最後にデカイ声でお節介を焼かれ、思わず笑顔が引き攣ったがお辞儀をして誤魔化した。

 おばあさんが去って、こちらも店内に戻ろうかと思ったが、もう昼休憩に差し掛かった時間だったので、一服してからそのままコンビニに行こうとベランダに出た。


「あ」

「さっきはどうも」


 先客がいると思ったら、先ほどの男であった。


「あの人お喋り好きですよねぇ」

「……そうですね」


 気遣いなのか、わざわざ声をかけられたのに対して短く返答した。先程の件もここにいたなら聞こえていたに違いないと思うとばつが悪かった。


「うちの教室でもパソコン操作してるよりお喋りの方が長い日もありますよ」

「まあ、不機嫌よりご機嫌な方がいいんじゃないですか?」


 北町は私の返しに一瞬、きょとんとした顔になり、すぐに吹き出した。


「おねーさんて、他のおねーさんと違って客の悪口言わないんですね」


 どうやら、同僚はこの男に客の話をしているらしい。確かに、先程の声のかけ方とか、おばあさんへの対応とか、親しみやすさというか、気安さがこの男にはあって、人の心の隙間に入るのが上手そうだ。


「知らない人に聞いてもらわないとやってられないような客は滅多にいないですね」

「それはおねーさんが自分の機嫌とるの上手いか、我慢強いかのどっちかじゃない?」

「……竹川です」


 おねーさん、という呼び名が何となく嫌なのと、話題を変えるために名乗った。男はニヤリと笑って


「改めまして、北町です」


と言った。

 それから、北町とベランダで会うたび他愛ない話をするようになった。いや、正しくいうと北町の話を聞くことになった。


 元々関西の出身で、一度このパソコン教室を退職したが、コロナで転職先が潰れて出戻ったこと。本当は地元で働きたかったが、出戻りの条件として関東で働くことになったこと。独身だが、地元に母親を一人残してきているので、機会があれば異動させて欲しいと会社に言ってはいるがなかなか叶わないこと。


 どんどん北町の個人情報が増えてきて、だんだんベランダで会うだけでなく、出勤が被ればお昼ご飯を共にし、彼の家でも会うようになり、身体の関係も持った。けれど、お付き合いをしようとか、私たちの関係は何なのかとか、どちらからも言い出すことはなかった。


「たまには竹川さんの話もしてよ」


 暫くして、北町にそう言われた時、内心ドキリとした。自分の身の上話は、この関係を終わらすほどには重いような気がして、はぐらかした。


「私の話は面白くないからさ」

「面白そうやから聞きたいんじゃないってことも、まだ伝わってない感じ?」


 いつになく真面目な様子の北町に、これ以上深入りするならいつかは話さないといけないし、終わるなら早い方がお互いにとって良いか、なんて言い訳をして伝えた。


 今は母と、高校生の妹、美樹と三人で暮らしていること。父はすでに亡くなっていること。亡くなった父は暴力的で母を身心ともに支配していたこと。その所為で母は依存心の高い人で、私を父の代わりのように思っていること。今の生活は父の死亡保険の残りと私の稼ぎで二人を養っていること。


 なるべく淡々と事実だけを伝えようと心掛けたが、最後は声が震えてしまった。怖かったのだ、これで関係を終わりにされてしまうかと思うと。


「あー……竹川さんと初めて話した時にさ、自分の機嫌とるの上手いか、我慢強いかのどっちかって言ったん覚えてる?」

「……そうだったっけ」


 わざと覚えていない振りをしたのは、この後に別れを切り出すつもりならば、その方が彼にとって気が楽かと思ったからだった。


「我慢とか、そういう次元の話じゃなかったんやな」

「どういう意味?」


 北町は、少し黙って考えてから


「俺、やっと異動の希望が通った。だから、地元に帰れることになった」


と言った。

 私は、喉奥から絞り出して「おめでとう」と返した。別れの言葉が続くのだと思った。


「前も言うたけど、おかんを一人にしたくない。うち、母子家庭やったから。やから、竹川さんのお母さんが不安なんも、少しはわかるつもり。一緒に来てほしい、って気軽に誘ったらあかんことは、理解してる。けど、竹川さんに、一緒に来てほしい」

「……それも、どういう意味で、受け取ったらいいの」


 先程問うた時とは打って変わって、嬉しそうな自分の声に気恥ずかしくなったが、それよりも照れ臭そうな彼は


「プロポーズが上手くいくかどうかの、下調べ?」


なんて、言いながらはにかんだ。

 

 最高に幸せな気持ちだった。家に帰って、浮き足だったまま、美樹に結婚して家を出ないといけないかもしれないと告げた。美樹は自分のことのように喜んでくれた。


「おねーちゃんには今まで我慢ばっかりさせてきたから、やっと、やっとおねーちゃんを幸せにしてくれる人ができて嬉しい」


と、泣きながらお祝いの言葉をくれた。

 母も、喜んでくれると思っていた。勿論、多少不安がるとは思っていた。けれど仕送りなどで生活が変わらないようにするつもりだったし、美樹も来年大学生になるから任せて、と言ってくれている。

 きっと、最後は祝福してくれるだろうと、思っていたのに。


「おねーちゃんが出ていくなら、美樹を殺して私も死ぬから」


 どんなに説得しても、私が泣いても怒っても。母から返ってくるのはそれだけだった。

 恐らく、母は私が出ていっても、自分が死ぬことも、況してや美樹を殺すことなんてしないだろう。けれど、もしそんなことが起きてしまった時のことを思うと、恐ろしくて。

 私は、北町の手を取ることはできなかった。


「本当にごめんなさい」

「謝らんといて、余計に情けなくなるから」


 彼が地元に帰る日、見送りに行った。付き合おうと言わなかったから、別れようとも言わなかったが、間違いなく北町とのお別れの日だった。


「あなたの幸せを陰ながら祈ってます」


 こんなこと言う資格もないけれどと、自嘲気味に言えば、北町は悪戯っぽい顔で


「竹川さんが俺を祝ってくれるなら、俺は竹川さんを呪ったるわ」


と言って、呆気に取られた私を力強く抱き締めた。


「これから、どんなことがあっても、誰に何を言われても、絶対に最後は何もかも上手くいく。強力な呪いやから、誰にも解けへんで」


 幸せになってや。


 それが北町が私に、最後にかけてくれた呪いだった。

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