第10話 本当の名前 —— 四十歳の地面が割れる音
10-1. 障害者手帳という名の「許し」
引きこもり生活に終止符を打ったきっかけは、市役所で交付してもらった「障害者手帳」だった。
それは、私が「普通に働けない人間」であることを国が認定したという証拠であり、正直、受け入れがたい響きでもあった。けれど、同時に「もう普通を演じなくていいんだ」という、奇妙な解放感をもたらしてくれた。
手帳を手に、最初に通ったのは就労継続支援A型事業所だった。
最初は偏見があった。「まともに働けない人たちの集まり」ではないかと。だが、そこにいたのは、誰よりも人間臭く、傷の数だけ優しい人々だった。
口下手な者、身体に不自由を抱える者。誰もが完璧ではなく、だからこそ誰も見捨てない。
「こんな世界があったのか」
私は初めて、自分が「人間」として扱われる場所を見つけた。けれど、居心地が良くなればなるほど、不安も頭を隠した。
私は一生、ここでこのまま過ごすのか。私の本当の病名は何なのか。私は再び、精神科の門を叩く頻度を増やしていった。
10-2. 今更言うなよ!
その日の診察室は、妙に静かだった。主治医は私のこれまでの激動の記録をじっくりと見つめ、静かに口を開いた。
「あなたの場合、ただの“うつ”ではなかったのかもしれません。双極性障害、そして……そのベースにはADHDがある可能性が極めて高いです」
――ADHD。
「……はぁ? 今更、何を言っているんですか?」
私は絶句した。当時、私はすでに四十歳。ADHDなんて、子供がなる病気だと思っていた。
「先生、それって、私が小中高、そして就職先で『落ち着きがない』『ミスが多い』『変な子だ』と罵られ、執拗にいじめられてきた原因は、全部そこにあるってことですか?」
「その可能性が高いですね。医学の進歩で、ようやく大人のADHDも解明されてきたのです」
その瞬間、私の足元の地面が、凄まじい音を立てて割れた。
「ふざけないでよ!!」
私は思わず診察室の机を叩いていた。
「私の人生、全部このせいだったの? だったら、私のこれまでの三十年間は何だったの? ちょっと、私の人生返してよ!!」
10-3. 割り切れない、遅すぎた解答
涙が止まらなかった。
集中できない、ミスが多い、衝動的、人間関係がすぐ壊れる。
あの凄惨ないじめも、アパレルでの悲劇も、自殺未遂も。
その裏に「生まれつきの脳の違い」があったというのなら、私が自分を責め続けてきたあの夜は、一体何のためのものだったのか。
四十歳。やり直すには、あまりに遅すぎる。もう、間に合わない。
絶望と混乱の中で、私はむさぼるように本を読み、主治医と対話を重ねた。
「意味があったのかはわかりません。けれど、あなたのせいじゃなかった部分は、確実にあるはずです」
医師の言葉を、私はまだ完全には受け入れられない。割り切ることなど、到底できない。
けれど、この「本当の名前」を手に入れたことで、私の戦い方は変わった。
脳の特性という敵の正体がわかったのなら、次はそれをどう手懐けるかだ。
四十年かかった。あまりに遠回りをした。けれど、この残酷な解答こそが、私が「自分という物語」を書き直すための、最初の一行になったのである。
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