第12話 指先からこぼれる光 —— 大澤誉志幸と一五一会
12-1. 銀色の翼が舞い降りた夜
岐阜の山あいの実家。窓の外では虫の声が響き、都会の喧騒が嘘のような静寂が広がっている。私はライターとして、日々言葉を削り、泥の中から真実を救い出すような作業を続けていた。しかし、文章で自分を表現すればするほど、かつて愛した「音」への渇望が募っていくのを感じていた。
だが、私の左手には、あの日の「バキッ」という音と共に刻まれた傷跡がある。不自由に固まった薬指と小指。ギターの弦を押さえることなど、土台無理な話だと、私は最初から可能性の扉を閉ざしていた。
「音楽は聴くもの。奏でるのは、選ばれた人たちの特権だ」
そう自分に言い聞かせ、動かない指を隠すようにして生きてきた。
そんなある夜、私は画面の中で一人の男の姿に釘付けになった。大澤誉志幸さん。都会的で、少しアンニュイで、それでいて強烈な個性を放つその歌声。彼がステージで手にしていたのは、ギターでもベースでもない、どこか懐かしく、それでいて新しい「木の形」をした楽器だった。
その楽器を、彼は実に自由に、型に嵌まることなく掻き鳴らしていた。ハスキーな声が空気を震わせ、その独特な四本の弦の響きが、私の心の深部に隠されていた「表現したい」という情熱の火種を直撃した。
「一五一会(いちごいちえ)」
その名前を知った瞬間、私の脳内にある記憶がフラッシュバックした。ヤイリギター。岐阜の地元の名門メーカーが、沖縄のバンド「BEGIN」と共に、誰もが音楽を楽しめるようにと願いを込めて生み出した楽器。
「……これは、私を呼んでいるのかもしれない」
都会のセンスを持ち、ロックの魂を知る大澤さんが、BEGINの生み出したこの「優しき楽器」を選んで歌っている。そこには、技術を超えた「魂の解放」があるように見えた。
12-2. 砕かれた指、震える和音
私は吸い寄せられるように、一五一会を手に入れた。その木肌は温かく、抱きかかえると自分の体温が伝わっていくようだった。
一番の不安は、やはり左手だった。腱を損傷し、細かい動きができないこの指で、何ができるというのか。
だが、一五一会の構造は、そんな私の絶望を嘲笑うかのように優しかった。
BEGINのメンバーが「人差し指一本で弾けるように」と、音楽を挫折した人や、手が不自由な人のために知恵を絞って開発したその構造は、まさに私のために用意された救いの手だった。複雑なコードフォームはいらない。指一本を横に置くだけで、世界は音楽に変わる。
私は恐る恐る、動かない薬指を避け、人差し指で弦を抑えた。そして、右手の指先でそっと弦を弾く。
「……あ……」
澄んだ、一点の曇りもない和音が部屋に響いた。
それは、里山の風が通り抜けるような、それでいてB’zのライブで感じたあの高揚感の「種」のような、確かな音だった。
私は泣いていた。指を砕かれ、人生を砕かれ、もう二度と「奏でる」側には回れないと思っていた私が、今、自分の指で音を紡いでいる。
大澤誉志幸というアーティストが見せてくれた自由なスタイルと、BEGINがこの楽器に込めた「音楽は誰にでも平等に開かれている」という慈愛。その二つが、私の固まっていた心を溶かしてくれた。
複雑なソロも、速弾きもいらない。ただ、今の自分の心境を一本の指に託し、弦を震わせる。
ADHDで支離滅裂だった私の思考が、双極性障害で乱高下していた私の感情が、一五一会のシンプルな音色の中で、初めて一つの「旋律」として統合されていくのを感じた。
この不自由な指だからこそ、出せる音がある。
この憎しみを知っている私だからこそ、奏でられる間(ま)がある。
BEGINが作り上げ、大澤さんが歌い上げた、一五一会という名の「自由」。それを私は、この岐阜の片隅で、確かに受け取った。
私の左手は、もはや「敗北の証」ではない。一五一会と共に歩む、再生のための「相棒」へと変わったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます