第6話. 躁の入り口 —— 欲望が暴れだす時


6-1. エンドレス・ワルツ


病名がついたからといって、人生が劇的に好転するわけではなかった。むしろ、病名という「免罪符」を得た私の二十代は、転職という名の底なしの迷走へと飲み込まれていった。

暴力的な上司がいたアパレルを命からがら辞めた後、私は次々と職を変えた。その数、実に七回。

「今度こそ、いい環境なはずだ」と期待しては、「いや、きっとまた誰かに目をつけられる」と怯える。期待と恐怖のシーソーの上で、私は常にバランスを崩し、転落し続けていた。

少しでも不穏な気配を感じると、心は一気に「死」へと傾く。それを防ぐために環境をリセットし、また新しい職場で失敗し、自己嫌悪の泥を塗り重ねる。

私は、自分の居場所を見失ったまま、社会の隙間を彷徨い続ける幽霊のような存在だった。

そんな転職生活の中、二社目の勤務先である薬局で働いていた、ある蒸し暑い昼休みのことだ。

休憩室の古びたテレビから、これまでに聴いたことのない、激しくも美しい旋律が流れてきた。



6-2. 稲妻のごとく、B’zに覚醒する


「……会いたい……砂漠の……」

それは、B’zの『ZERO』だった。

松本さんのギターの音が、頭蓋骨を突き抜けて直接脳の深部を揺さぶった。稲葉さんの、魂の表皮を削り出すようなボーカルが、凍りついていた私の心に一気にガソリンを注ぎ、点火した。

「なんだ、これ……」

力強くて、圧倒的で、それなのにどこか孤独な叫び。

その瞬間、私の暗かった視界に色が戻った。いや、鮮やかすぎるほどの色彩が爆発し、世界の解像度が異常なまでに高まった。

そこからの私は、何かに取り憑かれたようだった。

CDを全種類買い揃え、過去のライブDVDをむさぼるように見る。

ファンクラブに入会した翌月には、私はもう、全国を飛び回る「遠征」の計画を立てていた。

沖縄の青い海、東京の摩天楼、北海道の広い空。

仕事なんてどうでもよかった。ライブ会場という、大音響と熱狂に包まれた「非日常」に身を投じている時だけ、私は自分の病も、過去のいじめも、動かない指の痛みも忘れられた。

けれど、その熱狂の裏側で、私のもう一つの顔――「躁」が、制御不能な力で目を覚ましていたのだ。



6-3. 浪費のシーソー


お金の感覚が、完全に、そして致命的に麻痺していった。

チケット代、遠征費、ホテル代、そして現地で出会った仲間内での派手な飲み会。

それだけでは飽き足らず、仕事帰りには、自分でもなぜ必要なのか説明できないブランドバッグや、一着数万円もする高価な服を衝動買いした。

「今、これを買わなきゃ死ぬ。これを手に入れれば、私は特別になれる」

本気でそう思っていた。財布の中にお金がなくても、魔法のカードを使えばいい。

リボ払いという名の「未来からの前借り」が積み重なり、気づけば請求額は給料の三倍を超えていた。

けれど、当時の私は止まれなかった。頭の中は常に高速回転するギアのようで、アイデアが溢れ、自分は何でもできる、誰よりも輝いていると錯覚していた。

「〇〇さん、最近すごく元気だね! 雰囲気が変わったよ」

同僚の言葉を、私は額面通りに受け取った。

(そうだよ、これが本当の私なんだ。病気なんて、この音楽の熱が焼き尽くしてくれたんだ!)

だが、主治医の言葉は残酷だった。

「それは典型的な『軽躁状態』です。楽しい、万能だと思っている時ほど、あなたは崖っぷちに立っています。そのエネルギーは自分の命を前借りしているだけですよ」

病気なの? こんなに楽しいのに? 生きている実感が、これまでの人生で一番あるのに?

反発する心とは裏腹に、部屋は買ってきたまま一度も袖を通していない服の袋で埋まり、ポストにはカード会社からの督促状が冷たい雪のように積もっていった。

そして、高まりきったテンションの糸が、ある日ぷつりと切れた瞬間。

重力は再び私を奈落へと引きずり戻す。

躁とうつ。

それは、振り幅の大きな、あまりにも残酷なシーソー。

喜びに震えた翌朝、泥のように重い、死の予感の中に目覚める。

私はそのシーソーの上で、もはや自分の足で立つことができなくなっていた。

そして、この「躁」の熱狂が連れてきた一人の男性との出会いが、私の人生をさらなる高みへ、そして最悪の墜落へと導くことになる。

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