一ノ後・別れと出会いと遭遇
「助けてもらって、すまなかったっ、」
先輩はそう述べて、俺の腕の中で苦しげに咳き込んだ。
ずっと肋を庇ってる様子からして、折れたか、ヒビか。
「いえ、大丈夫です。それより、どこに向かえば──」
「大通りだっ、あの怪物を迎撃する、隊員から処置も受けられるはずだ」
先輩は言葉を発するたび、咳をする。
無機物になったあいつを操作して、大通りへ向かう。始めから身体の一部くらいに、馴染んでいたけど、話すとかマルチタスクはまだ利かない。
「ああ、......ありがとう、」
方向を変えたのを見て、先輩が目を瞑る。
「お、俺、
咄嗟に口走っていた。
先輩を少しでも休ませるべきなのに。ハイなのかもしれない。
「──平戸くんか、ふふ。本当に、君は飛び降りた彼なのかな。雰囲気がまるで違うよ」
先輩には俺が可笑しかったみたいで、笑われてしまう。
後方の戦場から、怪物の進行方向を行く俺たちのところまで、戦闘機の爆音が響いている。それが一瞬、近づいてきた。
「すみません。自分でも、まだ色々混乱していて──、でも、もう大丈夫です」
叫ぶように伝える。
「──ぅか。──、──った」
先輩は微笑んだ。
声が聞こえにくかったせいで、表情がつよく記憶に残った。
***
ほどなく、大量の車両が待ち構えた大きな交差点に行き着いた。
中心に降り立ち、どこへ向かうべきか見渡す。
俺たちを見ながら通信を取っている、いかにも軍人らしいガタイの男が見えた。年も相応に高そうで、指揮権的なものを持ってるんじゃないか。
とりあえず、そこの集合へ駆け寄る。
一定の距離まで行くと、男は俺の腕に抱かれている人を見て、背後へ声をかけた。
後ろから、担架が運ばれてくる。
隊員たちと突き当たって、指示に従って先輩を預けた。
「君、どこの所属だ」
奥から来た男は、深く低い声で訊ねてきた。
軍人らしく側頭部を僅かに刈り上げた髪型が印象的だ。
「所属、は。えと、明日からそちらに......」
「
声だけで威圧感がエグい。
背筋を釣られたみたいに、身体がピンとなる。
「新人です。新人の平戸風理です!」
姿勢に伴って、声まで張ってしまった。
「......なるほど、最近見つかって融合まで
ややこしい言葉の羅列を、楢原と名乗った男は平然と続けた。
相当、頭も良いんだろうことは、口調やトーンに滲み出ている。
オルハライトと人の融合兵器の適合者が、俺の友人の翔。
使用適正者が俺だった。
戸張と言うのは、多分、あの先輩の名前だろう。
結局、聞きそびれていたのを思い出す。
「ともかく、早急に情報を共有したい。戸張の怪我の原因はなんだ」
「は、はい!」
張り切って返事をしたけど、それは俺にも分からなかった。
ただ、あの怪物に踏み潰される直前、何かを凝視していた。
助けた後も、すぐに振り返り、怯えていた様子は異常だった。
「......人が居た、みたいです」
「
「違います」
上官の言葉を遮ってしまったと気づいて、一瞬心臓がすくむ。
だけど、楢原さんはただ、俺の発言を待っていた。
「凄く、怯えていました。戸張さん」
楢原さんは眉を顰めた。理解できないのは、俺も一緒だ。
「不可解だな。状況が掴みがたい。他に伝えるべき情報はあるか?」
「......ありません」
記憶を探るが、その言葉が途中で零れ落ちる。
それくらい、あの時の先輩の様子は、はたから見て意味が分からなかった。
「君には悪いが、平戸くん」
突然、楢原さんから名前を呼ばれる。
「は、はい」
また身が引き締まった。
ピリピリした空気感、戦場にいる誰もが真剣で、俺もなんとなく意識が鋭利になっていた。やれと言われたら、素人なりにもやってみたい。
「──君は避難してくれ」
***
思えば、当たり前のことだ。
いくらなんでも、実力の知れない人間に作戦への参加は認められないだろう。
足並みを見出しかねないし、それが高校生となれば尚更だ。
とりあえず、周囲に逃げ遅れた人が居ないか、気を払いながら避難所へ向かった。
翔と通っていた中学校の体育館だ。
多分、同級生もいっぱいいる。
俺はあんまり、交友関係も広くなかったけど。
今回のことで、どれだけの被害が出ているのかは分からないけど、亡くなって翔が悲しむような人が無事だったら良いと思う。
「......ん?」
──人がいた。
俺を見てた。てか、人の形をした闇って感じ。
背丈は中一の男の子くらい。
後頭部にかけて、そぼろみたいな短い触覚が伸びてる。
二歩先に近づくまで、気づかなかった。
しかも、急に暗い。ここだけ。
海洋生物の黒くぬらぬらした身体と、濃紺がそのまま。
俺を見てた。
「あああああああああ!!!」
針を飛ばす。
飛ばさせられていた。
針は虚空を貫いていた。
あの闇は居ない。
噴き出した汗と、熱中症みたいな脳に募った異物感。
見ているだけで、祟られている感じがした。
人の深いところを抉り出さないと分からないような、根源的な反応だ。
逃亡、硬直、敵対、疑問、発狂、自衛、否定、──。
その脅迫的な選択が、胸に残ってる。
でも、それはおかしい。
あれがどこに行ったのか、俺は見てない。
なのに、妙に落ち着いてる。
いや、でも、分かる。
あれはここに居ない。
周囲の明かりが戻ったから、じゃない。
世界にある全ての規則を踏み躙っているような、あの強烈な感情の塊は、側に居たら嫌でも感じる。
肌感覚だ。
俺があの人を預けた交差点に向かって、その感覚の嫌悪感は伸びている。
──あれは、今すぐに殺らなきゃダメだ。
ビルから落ちて加速した時より速く、俺は飛んだ。
***
大通りに飛び出した瞬間から、嫌悪は最高潮だった。
いま吐けば、多分。
最高に気持ちが良い。
降り立って、ある一点が見たくないと思った。
そっちを見ると、あれが人の胸を貫いていた。
汗が噴き出る。
一月の冷気すら蒸発させるほど、身体が熱い。
大量に、人が倒れている。
──『%!$¥#*”*>@#”』!!!!
頭蓋骨が割れるほどの轟音が襲った。
共に、俺は吹き飛ばされた。
熱風と閃光に襲われ、無音の世界を転げ、ガードレールか何かに激突した。
目を開くと、戦闘機が墜落していた。
多分、あれに特攻した。
俺が遭遇した瞬間、攻撃したみたいに、そうすることを強制されたんだと思う。
視界から消えたあれを探す。
見たくない方を見ると、あれが、ゆらゆら歩いていた。
その先に、見覚えのある隊服と、刀を持ったあの人がいた。
なんとか立とうとする姿を見て、飛び出す。
同時に、あれに対して覚えていた反応が急激に高まった。
間違いなく、あれは今、攻撃を振るおうとしてる。
弧を描く死の軌跡に飛び込んで、先輩を連れ去る。
後ろから迫っていた鞭のような触手の風を切る音と共に、頬の皮が切れた。
「死にますよ!」
「──!」
コンマ数秒の疎通に、また殺意が割って入ってくる。
俺は次の針を飛ばして、糸をたぐって逃げる。
俺に抱えられていた先輩が、胸を掴んでくる。
「逃げろ!!」
でも、それに応じてる場合じゃない。
とにかく、針を飛ばし続けて、交差点を周回する。
死が追いかけてくるから。
あれは触手を振り回して、俺たちを襲う。
「──前!」
先輩の声を聞いて、ぞくりとした。
心臓が、生をたぐる。
俺は無意識に高度を下げていて、頭上を触手が過ぎて行った。
「死にますよ!!」
「だから、逃げろと──」
死線というのが、物理的に俺たちを囲んでいる。
手繰るように、それをくぐっていく。
「あなたに言っているんです!」
「何を言ってるんだ。私は、あれと闘わなければ、それが務め......なのだからっ、」
「無駄死にですよ!!」
俺が叫ぶと、先輩は辺りを見た。
墜落した戦闘機が上げた炎に焼ける、臥した人たち。
あれに直接殺された遺体もある。
重たそうな装備を貫かれて、血が垂れ流しになっている。
先輩が歯を食いしばった。
「じゃあ、君が図った自殺はどうなんだ!?」
その問いは、容易に見抜かれる俺の核心だ。
だけど、この人が突いてくるとは思っていなかった。
この人を何らか想っていたようで、見くびってたのかもしれない。
「......っ、大事な友達だったんですよ」
イライラもモヤモヤも、区別なく俺を取り巻いてる。
「そんな君の友達が、何百人という命を救う器になったんだ。私の刀もそうだ。数え切れないほど、それ以前の生身の私一人では救えない人たちを──」
「それは飲み込むために、手繰った結果だろ!?」
言い合いの末に、俺は体勢を崩す。
「くそっ......、こんな言い合いしてる場合じゃっ──、」
死が急速に迫って、喉が詰まった。
首を逸らして、なお、額をあれの触手に打たれ、俺たちは墜落した。
こんな言い合いをこんな危機の中ですること、その馬鹿らしさも自覚していた。
「......俺は」
俺は、何かを果たすために消えたあいつを認めない。
それを成すのは俺なのに、信じて逝ったあいつを認めない。
人を救ったという結果が俺を変えるんだとして、それが真実だとして。
その欺瞞がいつか絶える恐怖に、俺は耐えられない。
「いつか気づくんだろ、あなたも! あなたの刀になったその人の、その命の意味をどんなに切り拓いても。それは、あなたが成さざるを得なくなっただけの
あれが迫っていても、この叫びは抑えられない。
だって、この叫びこそが
俺の叫びに、よろめきながら刀を構えたあの人は笑う。
同時に、あの人を触手が襲った。
「──っ!」
一瞬、死んでしまったと思った。
あの人は、あれの攻撃を切り裂いた。体液が飛び散り、先の肉片が落ちる。
「喪失を誤魔化すために人を救う私は、そんなに惨めか」
「......惨めでも、私は。私が救った誰かが、笑ってくれることが嬉しいんだよ」
あの人は体液を刀から払い、構え直す。
「だって、君がここにいるのだって、その因果の周縁だろう?」
あの人は俺を一瞥して、あれに向かって走り出した。
俺の腕の中で安堵していた、あの人の笑顔がよぎる。
俺が助けた人の笑顔は、凄く冷たくなって、死に飛び込んでいった。
「んらああああ!」
猛攻を切り伏せて進んでいく。
その歩みは一瞬にして止まり、押し返されるように余裕が無くなっていく。
──あれの攻撃が到達する寸前、俺はあの人を手繰り寄せた。
空ぶった攻撃が、建物に突き刺さって、看板が落ちた。
あの笑顔が消えることが恐ろしくて、俺はまた、この人を助けていた。
「──ふふ、また助けられたね。君は本当に、気が変わりやすいみたいだ」
危機感があるのか、ないのか。先輩は笑う。
途端に、恐怖が帰ってきた。
あの深海生物の異様性が、むしろ増しているようでもあった。
おそらく、先輩の負わせた手傷が、そうさせている。
「「っ!!」」
脳に響く、音のような電波のような、それは増していく。
痛みが、頭蓋骨にアイスピックを突き刺されるような鋭さを得ていく。
「「あああああああアアアアアアア!!」」
今すぐに、あいつを殺したい。そうしないと、正気が保てそうにない。
やれ、やれやれやれ!!
俺の中の全部が叫んでる。
──気づくと、二人であれに飛び込んでいた。
〜〜〜
「「死ぬ」」
お互いの叫びが聞こえてくる。
私は、君の残した糸の軌跡に乗る。
曲芸師のように冴えたバランス感覚が、それらの細い月光を足場にしていく。
俺は足場を途切れさせないように、そして、あいつの攻撃が分散するように、飛び回る。
互いの声が聞こえる。
あれの動きが鈍くなっている。
戦闘機の爆発による火で、いくぶんか、消耗しているんだろう。
「先輩が飛び込む」「私が斬り込む」
俺は私と繋がっていた。
意識の混線で、頭痛が続いている。
先輩が飛び込んだ、死の香りの空隙を、あれが押し潰そうとする。
君は糸を飛ばして、それを防いだ。
隙間を突き抜ける。
胴体を一閃した。
上下に分かれた肉体は、ゆっくりとズレ、落ちる。
だが、触手はなお、暴れている。
「まだ生きてる」「死んでない」
先輩を糸で引き上げる。
それを知っていたように、先輩は宙に放られて、三日月みたいに空気を滑った。
私は落下に身を委ねる。君は、僅かな生の空間へ私をくぐらせる。
既にアスファルトに倒れ、仰向けになった上体を、刀が貫いた。
肉体を貫通した刀によって、アスファルトにヒビが走る。
いくらか痙攣して、あれは息絶えた。
──あれがそれになった。
私と俺は戦火に照らされるお互いを見て、笑って、腰から地面に崩れた。
〜〜〜
あの巨体が、まだ歩いている。
そんな地響きが、心地良いゆりかごに思えるほど、俺の緊張は解けていた。
「はは、ははは、なんすか。それ、ヤバいっすね」
仰向けになって起き上がれないまま、先輩に訊ねる。
「ああ、はは。あー、恐ろしかった。はは、なんだ、これは」
先輩も、声を上げて笑う。
先輩の方は少し、涙も混じってた。
「怪我、大丈夫なんですか?」
「はは、あれの前で、そんなこと気になると思うかい?」
「はは。いや、無理ですね」
多分、腕がトんでも気にならないだろう。
「元々の問題だった、あっちのおっきいの。まだ居ますけど。どうします?」
「ウチの狙撃手が、ここで撃つ。開けた場所でないと、あの巨体が倒れられないからな」
確かにこれ以上、街を破壊されたら、まいってしまう。
「そうだ。君に飛ばせてもらっていて、思い出したんだ」
「何をですか?」
先輩も俺も、少し落ち着いたトーンに直っていた。
「この刀、君と同じで、私の友人がオルハライトに融合したものだが。私も無性に、何もかもを斬るようになったんだ。そういう欲望に襲われると言うべきかな」
「思うに、友人を失ったショックと、空を飛びたいという欲求が混在した結果、君は飛び降りたくなったんじゃないだろうか」
先輩の言葉で思い出す。
俺はあの後も、気が晴れるまで随分長く、飛んでいた。
「いや、何も、君が思い悩んでいることを嘘だと言いたいわけじゃない。ただ、そうだな、なんと表現すればいいか分からないが......」
先輩の歯切れが悪くなった。
「す、すまない。上手い言葉が浮かばないんだ。こういう時に締まらないな、全く」
先輩はそう言って、はにかんだ。
だけど、もうとっくに、俺には上手い言葉になってくれてる気がした。
「......大丈夫です。それより、失礼なこと散々言ってすみません、先輩」
「そうか。......あぁ、君は後輩になるんだったな。まさか、その前夜にこんな災害に出くわすとはな。言動はお互い様としておこう、今は、この安堵に浸っていたい」
その通りだ、と思って、俺は目を閉じた。
そういえば、こんな事例が他にもあるのか、気になるところではある。
「こういうの頻繁ですか? 学校では、こんな災害、習いませんでした」
「あはは、そうだったらまいるね。こんなの初めてだよ。でも、ここ数年、人類には初めてが続いてるから、もっと凄いこともあるかもね」
ちなみに、地響きはまだ続いているし、近づいても来ている。
やけに呑気なのは、お互い、それ以上の恐怖と対峙したせいだろう。
「もう勘弁してほしいですね。少なくとも、今日は休みたいです」
「ふふ、同感だ」
応援だろうか、掛け声か号令のようなものが聞こえてくる。
「そろそろ立とうか?」
「そうですね」
先輩は負傷も嘘のように、サッと立ち上がった。
「さ、手を貸そう。今日はご苦労だったね」
先輩に手を伸ばされるのは、多分、二度目だった。
今度は、ちゃんと握る。
「立つ前に、一つ良いですか?」
「なんだ?」
凛とした顔立ちが、笑みと火の灯りで、少し幼く見える。
「先輩の名前を伺いたいです」
先輩は、少しきょとんとした。
言ってなかったことに今、気づいたらしい。
それから、また同じ笑みに戻る。
「
──、一度振り払ったことを後悔するほど、その手は温かかった。
なんだかんだ、俺は生きている。
今度、何かを決める時は、夜遅くはやめよう。
日付が変わったら、叶わなくなるから。
そして、確かめよう。
この人以外の笑顔も、あいつの留守を誤魔化してくれるのか。
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