一ノ前・別れと出会いと遭遇

 死のうと思った。

 理由はシンプルで、人類を救わなきゃいけないからだ。


 思い立ったが吉日と言うので、さっそく行動に移すことにした。

 惜しかったのは、言葉を遺していこうと電源を点けたスマホの時計が、ちょうど今、零時零分に変わってしまったことだ。


「……今日、あいつの誕生日じゃん」

思い立ったことは、じゃんじゃんやっていこう。

 朝日が昇る頃には、俺は死んでるんだから。



 ***



 闇の殺された街灯まみれの歩道で腰を下ろす。

 どんなに明るくても、深夜一時の住宅街に出歩いている人間はいない。


「じゃーん、コンビニのショートケーキぃ」

 スマホの内カメラに、それを見せつけてやる。真っ白なホイップとカスタード色のスポンジに苺の紅一点が映えていた。


 付けてもらったプラスチックのフォークで、すぐさま喰らいついた。


「んま。んまです、これ。ホイップが甘いし、スポンジが甘いし」

「いや、どっちも甘いじゃんって、それはそうなんだけど、」

「タイプが違うのよ。ホイップの方が甘さが強くて、」

「それをさ、スポンジの方のたまご感? みたいなのが包んでる感じ」


 アスファルトに寝かせてたスマホを起こして、親指を立てる。画面の中の俺と目が合って、食レポは止まった。

 飲み込めるまで、無言で咀嚼した。


 苺は、酸味より瑞々しさの方が印象的だった。

「こういう時、酸っぱく感じるもんじゃねえのな」

 一月の冬は寒い。肩が震えるほど。

 あいつからの最後の贈り物が手袋で良かった。握ったり開いたりして眺めて、訊いてみる。


「なんで、俺とお前だったんだろうな」

手袋はもちろん、何も答えてくれない。


「世界を救うとかさ、いらないんだわ。世の中が少しでも良くなるとか、自分の手で運命を変えるとか、そんなの必要ないんだよ」

 夜空と俺の膝を映してる画面を手で覆った。


「死ぬまで一緒にいたかったよ。千年、二千年先の人さまの平穏よりもさ。俺の人生の残り数十年、お前と過ごせる方が大事だったよ」

鼻先が痛い。


 口にしなければ良かった。それでも、言葉は取り返せない。

「平戸くん?」

声を聞いて、全てから覚めた。

 自分のうるささのあまり、おばさんが出てくる音にも気づけてなかったらしい。


 焦りつつも馬鹿みたいに律儀にゴミを集めて、すぐに走り出す。もちろん、スマホもポケットに押し込んだ。

「待って、平戸くん!」

 あいつの家族と顔を合わせたくなかった。俺は意志が弱いから。



 ***



 逃げ出したその足で、街の外れへやってきた。廃れたビル群は苔むしている。

 昔から、一度立ち入ってみたかった。


 それが叶ったのは、ある意味では、こうなったお陰だ。

 昨日まであいつだったモノが、俺の周りでふわふわ飛び回ってる。

「消えろ」


 前腕くらいの長さの大きな縫い針たちは、命令に応じて光に変わって霧散した。

「はは、マジで俺、超能力者じゃん」

 呟いてみるけど、興奮なんて覚えてなかった。


「あの頃は、そういう漫画読んで、続き待ってさ。それに夢中になれたよな」

靴を脱ぐ。ポケットからスマホを出す。

 空になったケーキのプラ容器とゴミ袋が飛ばないように、そいつらを重石にした。スマホのパスワードは、部屋を出る時に残してきた。


 最後に撮った食レポ動画が、俺の最後の声な訳だけど。


「情けねえなぁ、お前がいなくて号泣してんの、みんなに見られんだ。お前の家族とかに」

 ビルと人生の縁に立って眺望する世界は、叩き起こされて拝む朝日みたいに眩しかった。


「明るいなぁ」

誘われるまま、一歩を踏み出した。

 落下の感覚に身を委ねる。


 息が苦しいのは、流石に恐怖も混じってたからだろう。

 気づくと俺は、墨で満たされた池に沈んでいた。



 ***



 死後の世界は暗かった。

 何もなくて、深くて、少し磯臭い。


 肌がピリピリする。変な息苦しさもある。

 まるで、生きているみたいな感じだった。


 俺が沈んでる池が大きく揺れる。

 見回すと、池は球体状の空間で、全体が上に跳び上がったのが分かった。


 同時に、光が水風船みたいな池の上部を一閃した。

 死後の世界が割れる。幻想が、風船のゴムみたいに剥げる。


 息の限界を迎えて、爆ぜる水風船から飛び出す。

 地面にへたって、必死に呼吸をした。

 池の水はアスファルトに染みて、池は消えている。


「君、大丈夫か?」

女の人の声が聞こえた。

 少年的で綺麗な顔立ちが、俺を覗いて声をかけてくる。水風船を一閃したらしい刀が、腰の鞘へ収められている。

 とはいえ、男でも同じだけのイケメンは見つからないような、とんでもない美形だ。美少年という言葉が似合う。


「なんですかっ、これっ、」

音を妨げようとする胸を抑える。

「ここ数日、監視ドローンによるアンコウの目撃が重なっていて、駆除に来た。そうしたら、君が飛び降りるのが見えた。とりあえず、呼吸を落ち着かせて。私が君を運ぶから、手を」


 イケメンな女が言う『アンコウ』の遺体らしき薄皮が、確かにアスファルトを覆っていた。俺は、たまたま直下にいた、こいつに食われたみたいだった。

 手触りがぶよぶよで、やけにムカついてくる。


「じゃあ、俺、死ねなかったんですね」

イケメンは、目を伏せた。

「……すまない。君が何に追い詰められたのかは知らないが、いま私がするべきことは、君を安全なところまで送り届けることだ」


「……見なかったことにしたら良いでしょう」

「それは、出来ない……。私には、人命を守る責務がある。私はそういう相談に向かないが、何か悩みがあるなら、話を聞いてくれるところもある。だから、ここは私に身を預けて──」


イケメンが回してきた手を払う。

「知るかよ!」

「──っ!」


 払った拍子に、イケメンの伏せがちだった目に月明かりが侵入した。月光が瞳の中をぐるりと回遊して、眼球の柔らかさを晒す。

 そんな脆弱な柔らかさでは、今にも潰れてしまいそうだった。


「すまないな。私は慰めるのが下手だと、後輩にもよく言われるんだ……、」

 逸らされた視線が、帽子のつばを引いた手に、更に隠される。よく見ると、その服装には見覚えがあった。


 俺は立ち上がる。

「すみませんでした、迷惑かけて」

挨拶と一緒に、あいつを呼び出す。


 俺の周りに浮かび上がった武器を見た先輩は、前髪の奥で目を見開いた。

「君、それ──」

「失礼します」

 針を周囲の建物の外壁の高いところに突き刺す。

 そこへ向けて手を向けると、光の糸みたいなものが繋がって、俺を空へ引っ張り上げた。


 同じ要領で、空を翔ける。自棄ヤケを起こしていた自分から、逃げるように。

 ふと、地面を見る。


 もう、こんな高さから飛び降りれる気はしなかった。



 ***



 飛び降りたビルの屋上に、スマホも靴も置いてきてしまった。身軽でもあり、この夜をどう明かそうか、という悩みの種でもある。


 それでも、どこか清々しい。

 アンコウの胃に入ったせいで濡れた肌も、まだ少しピリつくけど乾いてきたところだ。


 とりあえず、あの先輩にまた会うまでに、謝罪の言葉を考えておこう。

『昨日は、友人を失って自暴自棄になっていた私を救っていただき、ありがとうございました』

 こんな感じだろうか。


 そんなに簡単に自殺を諦めるのかって、呆れられるかもしれない。


 でも、説明がつかない救いを、あの人の脆い瞳の輝きに感じてしまった。

 あの瞳が、忘れられない。


「……気まずいなぁ、」

 もう少し、こうして飛んでいよう。



 ***



 翔は人類を救う兵器になった。

 それも、俺専用のやつだ。


 兵器とは言うけど、見た目は大きな縫い針。

 前腕くらいの大きさの、この縫い針は、ちょうど十年前に南鳥島沖の海底に眠ったレアアースの開発に伴って発見された鉱石『オルハライト』で出来ている。


 鮮やかでありながら烈しい発光と変幻自在の加工性を持つ、海底に眠っていた新世界の石。

 最初は、そう言われてた。


 オルハライトが見つかるずっと前から、オルハライトが人類を守ってくれていたと知るのは、オルハライトの発見から三年後のことだ。


 ちょうど同じ頃、神隠しが増えていた。

 夜の闇の中で、人が消えるのだ。まるで影に沈められたように。特に、海に接した沿岸部に、その異常の分布は集中していた。


 人間が開発したオルハライトの鉱床は、言わば万里の長城に開いた一つの穴だった。


 穴から這い出てきた未知の深海生物たちは、徐々に陸に進出し始め、闇に紛れて人を喰らっていた。

 既存の兵器で応戦した人類の領土は既に、その半分以上を深海生物に奪われた。


 あれらは光を嫌い、特にオルハライトは最悪の相性らしい。

 可及的すみやかに、オルハライトの活用を進め、そして人類は、SF映画に出てくるような光線銃の開発に成功した。



 ***



 その光線銃を手にした軍人たちが、隔離された廃墟に弧をなして立っている。

 ネカフェなんて、この時世で誰が使うとも知れないと思っていたけど案外、利用者は多いらしい。


 シャワーは済ませたし、これから軽く寝て。

 明日は、永遠にすっぽかすつもりだった約束の訪問をするつもりだ。


 喉が渇いたので、自動販売機に足を伸ばした。

 タイミングの重なった四十代の男性に順番を譲る。浮浪者という感じでもないけど、良い生活は出来てそうにない。まあ、生きてるだけ運が良い。


 ガタン、とペットボトルの落ちる音が響いて、男が屈む。ズボンとシャツの間から、背中と尻の狭間が覗いて、思わず目を背けた。


 その時、自販機がまた揺れる。

 というか、俺たちが揺れた。

 ネカフェが揺れた。



 ***



 見たことのない大きさの影が、街を歩いていた。

 スクリーンに写した影絵のように立ち上がっているそれは、足元から照射された光線を吸収するかのように、ぬらりと黒光りしてる。


 そのツヤで、平面ではなく立体的な肉体のある生物だと、僅かに視認が出来た。

 四つ足で這いずる姿は、まるで人間の赤ちゃんみたいだった。

 それも、かなり太っている。


 大きな闇が闊歩する地響きが、腹を震わせる。

 街中に警報が響き始めていた。


 ほんの数秒の間に始まった騒然に、心臓が呑まれているのを感じる。

 戦闘機、と呼ぶんだろうか。飛翔体の音がどこからともなく聞こえたと思うと、馬鹿でかい深海生物を包囲し始めた。


 飛翔体から放射された光が、怪物を灼く。

 けれど、光に灼ける肌の傷は、あの巨体を押し留めるほどの損傷には、なり得てなかった。


 阿鼻叫喚が聞こえる、なんて国語の授業でしか聞きもしない。

 でも、こういう時って、そんな言葉が浮かぶ。


 みんな、怯えてる。

 未知の光景に圧倒されていた時、小さな発光体が浮かび上がった。


 目を奪われ、眺めていると、その光は怪物の首元に突っ込んだ。


 怪物の首から、闇が噴く。

 多分、体液だ。


 あの光は、まさに、あの帯刀している先輩のものだった。


 初めて、大きな損傷を受けて、怪物が暴れる。

 乳児のようによちよちと歩かせていた、ぶっとい前足を乱暴に振り回し、周囲の建物の壁を打ち付けて崩壊させた。


 瓦礫が落ちる音を聞きながら、頭頂に涼しい感覚が突き抜ける。


──行かなきゃ。


 気づくと、翔は俺の周りを浮遊していて、宙の道を縫っていた。



 〜〜〜



 進行の止まらない巨体を見上げ、上がった息を整える。

「……これでは、切れ味が落ちるだけだな」


肘で挟んで、刀から体液を拭う。

『椿さん、一度、下がってください。体制を立て直しましょう』


 イヤホンから流れる声の落ち着きようは、周囲の悲鳴を否定するように聞こえてしまう。

 きっと、私も色々とあてられて、そう感じているのだろう。


 不安の自覚を高めて、向けるべきでない反抗を飲み込む。

「分かった。どこへ向かえば良い?」

『大通りまで追い立て、迎撃する予定です。椿さんも、そちらへ──』


何かが降り立つ音が聞こえた。

 瓦礫が落ちる音と区別がついたのは、その音が、重たくも確かに、その重量が器用にいなされていたからだ。


 怪物の方へ振り向く。

 そこには、もう一匹、小さな深海生物がいた。


 落下の衝撃を吸収した膝がゆったりと伸びるその動作に、目を奪われる。


──それは、凄く、人だった。


 上背は140cm程度か、分厚い肉質にも見えない。

 のっぺりとした暗闇色の体色のせいで、器官の判別もつかないが、目が合ったのが判った。


──咄嗟に、顔を庇う。


 十メートルほどは離れていただろう位置から、脇腹に振り抜かれた殴打に、私は横のビルの壁面へ吹き飛ばされる。


 圧倒的な衝撃。


 フィジカルかつ本能的な、二重のインパクト。


 顔を上げる。


 あれは再び、私を見ていた。


 また、生理的な自衛衝動が襲う。


 刀を構えているのか、構えさせられているのか、それすら判らない。


 次の一撃が、ひたすらに恐ろしい。


『──ぃ、──ジ、』

突然、耳に音が流れ込む。


 イヤホンが人の声と機械的な音を交互に発していた。打ち付けられた時に破損したらしく、耳から血が流れている。

「聞こえるか、未確認の人型の個体と遭遇したっ、」


『──』

応答はない。

「っ、くそっ、」

あれはなんだ。


 今、私を見つめているあれは。


「ああ゛.......っ!!」

意識の乱れをつくように、二撃目が胸に打ち込まれていた。


 手指を差し込まれるように伸縮した、あれの腕に。

 刀ごと壁へ押し潰され、肋と肺がひしゃげる。


「っく、、はっ、」

唾液を吐く。

 遅れて、食道がうねり、それは血液に変わった。


 まるで、反応が出来なかった。


 あれから目を離せないし、あれ以外に集中が出来ない。


 その上、あれが酷く恐ろしい。


 逃げなければいけない。


 一人では、到底、太刀打ち出来ない。


 直した構えを崩さず、見つめる。タイミングを、ひたすらに伺った。


 ゆっくり、ゆっくり。

 私は、膨大に強いられた思考の影に呑まれていた。



 〜〜〜



 あの人が踏み潰される寸前、俺は飛び込んだ。


 一体、何がどうしてか、分からないけれど。

 あの人は刀を構えて立ち尽くして、あの巨大な怪物に踏み潰されかけていた。


 前肢の陰を切るように攫ったつもりだけど、その後は人を抱えて飛べるわけもなく、二人でアスファルトを転がった。


 目を開けると、あの人が少し先で咳き込んでいた。

「けほっ、がっ、っぅ、」

肋を庇っているのが分かる。


「だ、大丈夫ですか、」

「──! 君、さっきの飛び降りのっ、」

言いかけるや否や、その顔は、引き付けられるように、ある方向を向いた。


「っ、っは、っは、は、」

額に汗が滲んでいる。呼吸も妙だ。

「い、居ない?」


 呆気に取られていた俺は、遅れて訊ねる。

「何がですか?」


「人が、居たんだ......」


 その顔はとてもじゃないけれど、人間を想像している表情には見えなかった。


「とりあえず、まだあの怪獣みたいな奴が、まだ動いてます。避難しましょう、俺が運びます」

「あ、ああ……、すまない」


 肩を貸した俺が感じたのは、あの人の身体が怯えたように震えている、その振動だった。

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