二ノ前・先輩?

 学校は当分、休みらしい。

 今日は欠席するつもりだったけど、いざ事実を耳にして、事態が再認識できる。


 昨夜の出来事は恐ろしくもあって、夢のようにも思う。


 街一つの規模で済んだから良かった、と言えるだけの災害。

 特に、あの大きな乳児似の怪物の見た目的なインパクトは絶大で、街の破壊の大半もあの怪物がハイハイして歩いた傷痕と言える。

 街灯などの照明の復旧は急務だ。


 今回のことは既に、全国区で話題になっているらしい。

 報道が避難所に入ろうとして、規制を受けているのも見た。


 もっと強烈に死を想起させると対峙した俺としては、あれのことも世の中に周知するべきだと思うけど、仕方ない。

 映像を残す余裕なんて、あれには持てない。

 出回ってる映像は全て、木偶のぼうの方だ。


「見るかい?」

「え?」

 調書の最中、訊かれた。

「み、見るって、あるんですか? あれの映像......」

「あるよ、」


 どうやら、生きていた隊員がカメラを回したらしい。

 あの交差点での一部始終は、確かにそこに収められていた。

 撮影者の息遣いを聞いていると、強迫的にカメラを向けていることが伝わってきた。


 撮影者は、死を想起した時、その原因を語り継ぐものを遺そうとしたんだ。

 そう考えると、俺が反撃に駆られた初遭遇ファースト・コンタクトの感情と、実存はさして変わらない。


 やっぱり、あれには根源的なものを引き出される何かがある。



 ***



 先輩は無事らしい。

「戸張、椿さん。椿......先輩」

 下の名前で呼ぶのはキモいだろうか。


 いや、そもそも俺はキモい。

 なぜか、取り憑かれたように、会いたいと感じている。


 あれを倒すまでの一連の感覚のせいか。

 テレパシーも越えた、お互いの思考が、お互いの脳で共同で練られていく感覚。


 その残り香のようなものが、もやもやと残っていて、離れない。


 でも、もうすぐで会える。

 基地の医務施設と直結した廊下の、少し空間が膨らんだ休憩室で、ベンチに座って待っていた。そう命じられたからだ。


 喉が渇いたので、自販機で何かを買うことにした。

 昨夜はそういえば、結局、自販機を利用できていなかった。

 あのネカフェには、もう行くこともないのかもしれないけど、少し惜しい。


「何にしよう......」

ココア、コンポタ、お汁粉、はちみつレモン。

 いや、冬でもあったかいものより、冷たいものが好みかもしれない。


「──あれ、違う。......俺は、俺の飲む物を買うつもりで、」

気づけば、あの人のことを自分ごとのように考えてる。

 変な意識障害があるのかもしれない。


「まあ、あの人の分も買って──」


「ちょっとあなた、」

声をかけられる。


 声のイメージは、一輪の花。

 その花は可憐で、でも花束にいる姿を想像できない。


 振り向くと、そこに顔はなかった。

 そこ、というのは、椿先輩の顔の高さのことだ。


「ちょっとあなた、聞こえないの?」

「あ、ごめん」

 その花は、まだ未熟だった。

 肘より下を持ち上げるだけで撫でられるくらい、背が低い。


 俺が謝ると、その子は顔を顰める。

「『ごめん』って、あなたまだ十五、六よね。私の方が年上なんだけど」

「あ、すみません」

一歩、退くと、彼女は自販機の前に立った。


 一つが目に留まったみたいで、それを見つめている。

「ちょっとあなた、」

「はい、なんですか?」


「あなたのお勧め、あるかしら」

「お、お勧めですか......?」

あまりにも唐突すぎる。


 困惑しつつも、なんとなく、彼女の視線が留まった先の緑茶が目に入る。

「緑茶、ですかね。特に、こっちのラベルの。すっきりしてるのに、コクがあるから薄まって感じないというか」

 俺が指を差すと、彼女は俺の顔を見てきた。


 なにやら、驚いている様子だった。

「あなた、意外と分かってるタイプなのね。感心したわ」

「あ、どうも、ありがとうございます」

少し失礼にも思えたけど、嫌味な感じはない。

 素直な感心に、俺もどこか嬉しさを覚えてる。


 その丸く開いた瞳は、くるみみたいに円い。

 開いた上下のまつ毛の主張のせいもあるだろうけど、それで印象がうるさくなく、凛として見えるのが不思議だった。

「......何かあったかしら?」


 怪訝な顔の彼女に、俺は顔を逸らす。

 自然と、指で示していた緑茶を見た。

「あ、えっと、これで良いですか?」

「──! ええ、それで良いわ、」


 彼女が了承したので、ボタンを押す。

 ガタン、と音がしたので、しゃがんでボトルを取った。

「はい、こちらで──」

「......」

彼女が、俺の握ったボトルをじっと見ていた。


「あ、すみません! 勝手に......」

「いえ、良いわ。気にしないで」

 彼女はさっぱり、俺の曖昧な謝罪を断った。


「それと、ありがとう。それじゃあね、」

彼女の驚きをたたえていた瞳が落ち着く。

 なんとか感謝が読み取れる、やわらぎがある目をしていた。


 去っていく後ろ姿を見て、ふと既視感を覚える。


 彼女の容姿が負けず、ぴったりマッチしていたからこそ、あまり気にはならなかった、いわゆる所のゴスロリっぽさ。

 もちろん、華美ではない。ちょっとしたフリフリとリボンが密かに存在していただけで、実際はゴスロリと呼びもしないだろうけど。

 その印象で覆われていて、気に掛かっていなかった。


 基調とされている黒の質感が、椿先輩の隊服と同じだ。



 〜〜〜



 医療施設こういうところに来るのは、あまり好きじゃない。

 妹へのお見舞いを思い出す。


 椿先輩のお見舞いでなきゃ、絶対に来ない。

 それにしたって、珍しく呼び出されたから来たわけなんだし。

「......それに、昨夜は呼び出しに応じられなかったし」

思い出すと、腹が立つ。


 外がこんなに凄いことになっていたのに──。

 嫌な思い出を触発される場所で、新しいものまで思い出すのはよそう。


 他に人もいないので、立ち止まってペットボトルを開ける。

 あおると、深い甘さと透明な苦味の混じった香りが抜ける。

 それは、喉元を過ぎる瞬間、その柔らかな苦味をきりっと立たせて、爽やかな余韻を残していく。


 お茶の老舗の協力を得て、大企業が開発した物だから、ペットボトル飲料とは言ったって、良さはしっかりとある。

 気が向いて手が伸ばせるだけの価格でこれが飲めることは、素敵だと感じる。


──『すっきりしてるのに、コクがあるから薄まって感じないというか』

 あの子なら、分かってくれるのかしら。


 頼まなくてもボタン押してくれたし、ボトルも取ってくれて。

 良い子だった。

 背は高かったけど、顔立ちの通り、十五歳くらいでしょうね。


 額を怪我してたけど、昨夜の怪我かしら。

 ここにいるって事は、あの子も誰かのお見舞いに......。


──ボトルを締める。

 わたしの今日の目的を、まだ果たしてない。

 関係のないことは考えないで、椿先輩に会いに行かなきゃ。



 ***



「失礼します」

「おはよう、ゆら」

 清かなのに、風が吹いて立ち消えるほど軽くない、淡いコクのある声が好き。


 背中が僅かに丸まってる。そこから、なんとなく状態も分かる。

 綺麗な顔にはいくつかの擦り傷の当て布。姿勢からして、胴の内臓や骨あたりも痛めていそう。奇妙な個体と遭遇したとは聞いてるけど、ここまでの負傷は中々のものね。


「ふふ、観察されてるね。どうだい、巣窟と化したナコヤ港に飛び込んだとき以来だろう? 今回の巨体並みのやつがゴロゴロいたね。まさか、街に現れるとは」

あいたたた、と椿先輩が脇腹を抑える。


「冗談で済みませんよ、このような未曾有の災害。人器じんぎ所持者ホルダーは少ないんですから、椿先輩がこの様子じゃ困ります」

「あはは、ゆらはいつも手厳しいね。頼れる先輩でなくて、すまないな」

別に、椿先輩を悪く言ったわけじゃないのに──。


 椅子に座るように勧められて、腰を下ろす。

「そうだ、ゆらは無事だったんだね。良かったよ」

「っ! そ、それは──」


「ああ、良いんだ。来れなかった理由だって、色々あるだろう。ゆらは学生なんだし。学ぶべきこと、楽しむべきことがいっぱいあるだろう」

「わ、わたしは、その......」

 学生という身分が憎い。


 それが何らかの正当な理由として扱われるのも、言い訳として扱われるのも嫌い。

 この身分は、周囲に自由に弄ばれる。

──だから、やるべきことをやるしかない。


「椿先輩、」

「なんだい?」

「本日は、どのようなご用件で、わたしを呼んでいただいたんでしょうか?」

椿先輩は、わたしに困ったように笑う。


「もう少し、ゆったりしても良いんだよ?」

 わたしはそんなに、あなたにとって信頼に足らないなのでしょうか。

「いえ、必要ありません。今は、皆さん忙しいのですから」


「そうだね、私のエゴを押し付けて悪かったね。それじゃあ──、」



 〜〜〜



 施設手前の休憩所は、ぽかぽかと暖かな陽気で満ちている。

 正午を過ぎてからは、少し眠くなってきた。


 かれこれ、一時間は待っていたと思う。

 両手に握った缶のお汁粉も、たぶん中身はもう、ぬるくなっている。

 職員の人に案内されてから、こんなに待たされるとは思っていなかった。


 まさか、椿先輩の傷の状態が思いの外ひどくて、悪化したのかもしれない。


 不安になっていた矢先、人影が現れる。見ると、緑茶の彼女だった。

「──! どうも、」

会釈をすると、彼女はじっと、俺を見つめてきた。


「あ、あの、何かありましたか?」

「......」

立ったまま、斜めのスタンスで見られると、微妙に恐ろしくなってくる。


 せめて、座るか目の前に来るかで、話す気があるかを示してほしい。誰も知り合いがいない公的な施設には、良い思い出がないから、内心は気が気でないのに。

 そう自覚的であるだけ、昔よりマシなんだけど。


「あなたが新人の人器所持者ね。ようこそ、深海生物対策基地ナコヤ近郊支部、所持者部隊ホルダーズへ」

「へ?」


 俺を無視した彼女、

──先輩(多分)は続ける。

「あなたの指導を任されたわ、『花蓮かれんゆら』よ。よろしく」

「よ、よろしくお願いします。えっと、カレン先輩」


「ゆらで良いわ。姓で呼ばれるのは好きじゃないの」

「そ、そうなんですね。ゆら先輩」

というか、そもそも上官じゃないのだろうか。

 いや、軍人の決まりなんて知ってるわけもないんだけど、先輩って呼ぶのは、緊急性の高い事態を考えると良くない気がしてくる。


「わたしは、あなたをなんて呼べばいい? 平戸ひらど? 風理ふうり?」

「俺は......」

きっと、これから、長い付き合いになる。

 それなら、あいつみたいに、少しでも親しみを覚えたい。


「『ふうり』で構いません」

「そう。ふうり、よろしく」

なんというか、空恐ろしい。

 読み取りにくい人だな、と思いながら、後をついて行った。



 ***



 施設の案内を一通り済ませてくれたゆら先輩だったけど、個人的な会話は全くと言って良いほどなくて、親近感どころか距離感ばかり感じていた。

 いっそ、ウエストポーチにしまったお汁粉を渡そうか。

 休憩を提案してみよう。


「すみません、ゆら先輩」

「なに、気になることでもあった?」

 目を見開いていた時の印象とは裏腹、いつもは仏頂面をしているせいで、瞳の大きさは感じない。鋭くて、刺すようで、発言を計られる重圧プレッシャーの方がデカい。


「休憩、しませんか?」

「なに、もう疲れたの? 昨日の今日だから、調子でも悪い?」

やっぱり詰められた。

 椿先輩がいかに友好的か思い知らされる。

 ほんの十分、二十分の記憶でも、会話の安心感が雲泥の差だ。


「......すみません」

「いえ、良いわ。とりあえず休みましょう」

とはいえ、もう泣き言は零せない。

 あの人に見せてもらった笑顔ものを探すと決めたから。


「ゆら先輩、」

「なに、聞きたいこと?」

「はい」

 お汁粉は、やっぱり要らない。そんな物なくても、聞きたいことは聞ける。


「失礼かもしれないんですけど、ゆら先輩の歳っていくつですか? そう遠くない気がして」

「十七よ。年が明けたばかりだから、今年で18になるわね」

つまり、今は高校二年生なわけだ。

 やっぱり、歳が近かった。


「高二なんですね、俺の一つ上です、」

「あら、そう。じゃあ、十六だったのね」

先輩は、静かに緑茶を飲む。

 その姿を見ていると、川の流れを眺めているような気分になった。


「......質問より、その視線の方が不躾ね」

「あ、すみません。つい......」

これは決して、浮ついた話じゃなくて。

 先輩のまとう雰囲気が、大人な感じがするせいだ。


 その上品さが、自分と一つしか違わない女性に身についてることから、目を離せなかった。

「そういえば、先輩は学校のことってどうしてるんですか?」


「通ってないわ。籍は一応、置いてあるけど、私がするのは簡単な課題の提出だけ。あとは更に特例込みで、進級させてもらってる。多分、公には言えない操作でしょうけど」

平然と話すけど、よく聞くと凄いことを言ってる。


「だから、あなたも安心しなさい。卒業は出来るわ、まあ、その資格を活かすことが所持者ホルダーにあるとは思わないけど」

そのドライな感じに、俺は寂しさを覚える。

 ずっと澄ました顔をしてるようで、抑え込んでる感じがする。


「ゆら先輩、」

「なに?」


「その、先輩は高校に通いたいとか、思いま──、」

聞こうとした矢先だった。


 間が悪く、どこかでが起きた。


『──ゥウウゥウォオアアアアアアア』

頭痛と錯覚するほど、警報がうるさかった。

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深海ジェミニ ちひろ @Ino_utsumuku

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