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  • 結婚式の記憶への応援コメント

    恥ずかしながら初めて知った雄蝶雌蝶。
    かなりの大役でしたね。親御さんは誇らしい気持ちだったでしょうね。
    今でいうとリングボーイみたいな。
    貴重な体験のエピソード、ありがとうございます♪

    作者からの返信

    雄蝶雌蝶は他の地域でしていると聞いたことがなかったので、私の地域だけの習慣なのかもしれません。
    おそらく若い方達は知らないと思います。
    西洋の結婚式にも子供が指輪を運んでくれたり、入場の時に花を舞いたりすることがありますね。

  • 七五三の記憶への応援コメント

    七五三のお祝い。三日間は初めて聞きました。
    それだけ、坪の方たちの交流の深さとお祝いしたい気持ちが伝わります。
    長男長女だけあるあるですね。子供にとったら晴れ着は嬉しいですものね。

    作者からの返信

    当時は結婚式もお葬式も三日間でしたよ。
    冠婚葬祭の他に、道路の修理をする「道普請」、共同区域のお掃除をする「奉仕作業」など共同でする作業が色々ありました。
    お勤めの人が多くなるにつれて簡略化されたり中止されたもののも多いです。
    お星様、ありがとうございました。

  • 結婚式の記憶への応援コメント

    そういえば持ち帰り用の折詰の「鯛」が、少しづつ変化していきましたね。
    塩焼の本物の鯛からかまぼこ状のもの、お菓子風のもの、鯛の形をしたお砂糖などに変わっていきました。思い出しました。

    昔は家から出発して、嫁ぎ先の家に向かいましたね。次姉の時もそうでした。
    旧家に嫁ぎましたので、その家に私は結婚式当日に初めて入って、時代劇に出てくる大店の家のようだと、驚いた覚えがあります。
    次兄の嫁取り(その頃は婚礼をそう言っていました)も、家でお嫁さんを迎えて賑やかな宴会となりました。
    お目出たい日なのに、非常識な人(赤痢の疑いのある人)の出席で、食器やら何やらを消毒したりして、家中でてんてこ舞いする事態となりました。
    今だったら、コロナやインフルの疑いのある人は絶対にノー!が常識ですのにね。

    作者からの返信

    子供の頃、折り詰めの鯛は楽しみでした(笑)今は贅沢品でしょうね。
    結婚式もいろいろしきたりがありましたね。
    そうだ。自宅での宴会は必ず酔って迷惑な人が出るのが恒例でした(笑)
    まわりの人達が心得ていてうまくなだめてくれたいましたけど、今なら大変なことかもしれません。

  • 七五三の記憶への応援コメント

    七五三のはっきりとした記憶はないのですが・・

    私の子供時代の田舎では葬儀の時に、小さな子供に晴れ着を着せて出席したようで、18歳上の姉が27歳で亡くなった時、私と4歳の姉の子は晴れ着を着てお葬式に出た写真があります。
    私のその晴れ着は、七五三のお祝いをした時の着物だったと思われます。
    姉たちの子供時代はどうだったか知りませんが、私は四女で末っ子、戦後生まれでしたから、晴れ着を着せてもらうゆとりも出てきたんでしょう。
    七五三のお祝いを、たしか「帯揚げ」と言っていたような、うっすらとですが記憶にあります。
    麻子さんの所の風習のような、大々的なものはなかったようです。

    作者からの返信

    お星様ありがとうございます。
    ローバさんの地域では「帯揚げ」だったのですね。
    私のところは「おびとき」でした。漢字だと「帯解き」でしょうか。
    葬儀も地域によってかなり習慣が違いますよね。
    母の実家の地域では葬儀にお赤飯を炊くので驚いたことがあります。