第3話 女鬼軍曹
ケイの傷は完治した。
包帯を外し終えると、レイはほっとしたように小さく息を吐いた。
「……もう、こんなことしないでね」
ケイが改めて礼を言うと、レイは恥ずかしそうに俯いた。
その仕草を見て、ケイは初めて胸の奥がじくりと痛むのを感じた。
レイに好意を寄せていたことは、記憶を継承して知っていた。
だが、それはどこか他人事だった。少年の体に、六十年近く生きた意識が収まっている。その歪さが、彼女と正面から向き合うことを避けさせていたのだ。
しかし今は違う。
レイの顔立ちはまだ少女のあどけなさを残しているが、気品があり整っていた。
(……ダイが滅びず、父上が生きていたなら)
王となり、彼女を皇后に迎えていたかもしれない。
今は奴隷の身だ。それでも、もし王になる日が来るのなら、レイを妻に迎えたい――そう思わずにはいられなかった。
「ケイ……?」
「いや、何でもない」
言葉にすれば壊れてしまいそうで、彼は視線を逸らした。
やがて、別れの時が来る。
男の奴隷は兵として使われる。ケイの番が来たのだ。
「……生きて」
レイの言葉に、ケイはしっかりと頷いた。
シンは、来るべき戦争に向けて準備を進めていた。
ダイとの戦いでは数で優勢だったにもかかわらず、騎馬隊の突撃に苦戦した。ソンキンが通じていなければ、戦況は危うかったかもしれない。
「次は、ああはいかんぞ」
兵舎では、そんな声が飛び交っている。
エンもリョウも、遊牧民を基盤とする国だ。ダイ以上に強力な騎馬隊を持つ。
シンは早くから中央に割拠し、城壁のある都市を拠点としてきた。そのため守りには強いが、野戦では遊牧民色の濃い国に苦戦する。
フケンは軍制を見直した。
種族に拘らず、能力のある者を登用する。
「トウキョウがまた手柄を立てたらしいぞ」
「チョウシもだ。あの男は前線向きだ」
モクランの騎馬隊は増強され、歩兵の訓練も徹底された。
この三人はいずれも、違う種族の出身であった。
内政面でも改革は進んでいた。
オウモウという切れ者を宰相に据えた。フケンはオウモウを登用するために、何度も庵に足を運んだのだという。まるで三国志の劉備が諸葛亮を迎えた三顧の礼のようだ。
オウモウは無駄な官職を廃止した。不正を働く役人は容赦なく罷免され、高齢者や戦争で未亡人となった者には年金が与えられた。治安維持のため、国内巡視を強め、賊徒を捕縛した。
前王は暴虐だった。
諫言すれば、どんなに功績がある者でも罷免された。中には首をはねられた者もいる。税は重く、無駄な宮殿建築に民を駆り出した。
「だから、フケン様は違う」
民たちはそう語る。
フケンは命を狙われ、危険を察知してクーデターを起こし、王となった。
天下統一の夢を抱き、そのためには前王の悪政を正す必要がある。
少数派である遊牧民の国が天下を治めるには、多数派である中央の民を従えねばならない。フケンの統治は、善政と言えた。
ケイは転生前の研究で、フケンのことを裏切り者を重用した愚かな王と評価していた。その一方で、近年では徳をもって治めようとしたと評価する者も出てきていた。この世界のフケンは後者なのであろう。賢王の側面が強い。
ケイにとって、フケンは倒すべき相手だった。
一方で、フケンがタクバツ氏を滅ぼしたことを後悔しているという噂もある。フケンは滅ぼした国の王族を保護するところがある。そうすることで、敵であった者も許すという徳を示しているのであろう。
そして、フケンはまだ、ダイの王族が奴隷になっていることを知らない。
「……余計なことは言うな」
タクゲンは身震いしながら、ケイに念を押した。
「お前の出自が知れたら、すべてがひっくり返る」
ケイは理解していた。捕虜として保護し、フケンに献上すれば、タクゲンは出世できただろう。
その考えを口にした瞬間、拳が飛んできた。
「黙れ!」
殴られ、地面に倒れる。
もはやタクゲンにとって、奴隷にしてしまった事実は拭えぬ過去なのだ。ケイは、己の武功のための道具でなければならない。
やがて歩兵の訓練が始まった。タクゲンは、ケイたち奴隷兵を私兵として訓練に参加させる。
この国では、一般兵、伍長、百人将、五百人将、千人将、五千人将、将軍と位が進む。そして将軍を束ねる大将軍があるが、まだその地位にある者はいなかった。タクゲンは千人将であり、中堅に過ぎない。
トウキョウ、チョウシ、モクランらは将軍であり、この国で十人に満たない最高位の存在だった。この三人が、大将軍に近いと言われている。
訓練場に現れたのは、五百人将ジュンカン。女性であった。タクゲンの片腕である将校だ。聞き覚えのある名前だ。史実では三国志の荀彧の子孫であるはずだ。時代的にずれがあるのは異世界だからか。それとも同姓同名なのか。
「整列!」
新兵たちがざわつく。
茶色の長い髪を束ね、鎧の下には豊かな胸元。切れ長の目に長い睫毛。美形である。
年は、ケイよりわずかに上といったところだ。
ケイは思わず見とれたが――
「何を見ている!」
怒声が飛ぶ。
「お前らみたいなクソ野郎どもは、掃いて捨てるほどいる!
ついて来られない奴は、死ね!」
幻想は粉々に砕け散った。
女鬼軍曹による、地獄の特訓が始まる。
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