第2話 庭園にて
ダズベルト家での生活が始まって、早一週間が過ぎた。
あれからダズベルト伯爵との親交は皆無だ。
挨拶を交わした後、特に変わったことは無く、強いて言えば一日二食を共にしていることくらいだろうか。
当のリリーローズはというと、今日は庭園に散歩に出かけていた。
漆黒のドレスに身を包むその姿は、まさに黒薔薇のようだった。
ダズベルト家の庭園は屋敷と同様に広大な広さを誇り、今日一日ではとても見回りきれない程だ。
今日も天気は晴れそうに無い。
空は淡く灰色がかった湿っぽい雲に覆われている。
霧がかった園内を散策しているうちに、リリーローズは不安に駆られた。
(伯爵は私のことを嫌っているようね。当たり前だけれど………………)
昨日も、一昨日も、変わらず態度は一貫して冷え冷えとしている。
しかしそれは、リリーローズの方も同じ事が言えるだろう。
お互いに不必要な関わりを無くし、一切において干渉しない生活——————。
(私と伯爵は似ている………似ているからこそなのかしらね…………)
ふと、赤い薔薇が目に留まる。
リリーローズはそれを見て、溜息をつく。
「私も、色があったら…………」
それを眺めているうちに、あることを思いついた。
「できた…………」
そう言って完成させたのは、赤薔薇の髪飾りだった。
(花はこういう使い道もあるのよね。すぐに枯れてしまうけれど………)
しかし、薔薇が数本余ってしまった。
「一つは私の部屋に飾るとして、残りは…………」
その答えはもう頭の中にあった。
(伯爵は居ないようね…………)
リリーローズはこっそりと部屋を覗きながら、失礼します、と中に入った。
その髪には、先程の薔薇の髪飾りが付いている。
そして、手には水の注がれた花瓶と数本の薔薇が持たれていた。
リリーローズはしばらく部屋を見て回った。
伯爵は裕福なわりに、部屋には意外と物が少ないのだ。
こだわりというものが無いのだろうか。
(それにしても殺風景な部屋だわ。飾るとしたら…………)
その目は、いつも伯爵が作業をしている大きな長机に向いていた。
花瓶に薔薇を刺し、少し向きを整えて…………。
(ふう、できたわ。でも、とても精神が削られるわね。緊張感が凄いもの。見つかってしまったら…………)
「私の部屋で何をしている?」
リリーローズは体を震わせる。この刺すような冷徹な声。
恐る恐る振り返ってみると、やはりそこには疑いに満ちた顔をしているダズベルト卿がいた。
「ダズベルト伯爵…………」
「それは何だ?」
伯爵の視線は机の上の花瓶に向いていた。
「…………薔薇です。」
リリーローズは恐怖を抑えながらゆっくりと答える。
「何故そんなものを飾る。」
「………部屋を、華やかにしたく…………」
伯爵は、はぁ〜、と深い溜息をつく。
「……余計なことをするな。」
それだけ言って出ていこうとした時、ふとリリーローズの頭の薔薇に目が留まった。
「…………それは何だ?」
リリーローズは、ああ、と頭の飾りを指で撫でる。
「庭園で見つけた薔薇で作ってみました。赤い薔薇なんて、とても素敵でしょう?」
伯爵は少し怪訝な顔をした。
「………黒薔薇と、呼ばれているのにか、ですか?」
自分の本心を読まれたのかのように、伯爵は驚きを隠しきれず、目を少し見開いた。
伯爵を見つめるリリーローズの瞳には、寂寥が揺らいでいた。
「言わずとも分かります。何千回も、そう呼ばれてきましたから。」
ルデウスは黙ってリリーローズを見つめる。
「でも、思ってはいけないのでしょうか。私も、もっと華やかに咲きたかった、色があれば良かったのに、と。」
リリーローズの声はどこか哀愁を含んでいる。
まるで枯れた薔薇のように——————。
ルデウスが何かを言う前に、リリーローズは、では、また後ほど、と穏やかな足取りで去っていってしまった。
ルデウスはリリーローズの言葉を胸の内で反芻していた。
————もっと華やかに咲きたかった————
言いかけていた言葉は、吐息に紛れて誰も居ない部屋に溶ける。
(黒薔薇の方が………………)
夕食どき——————。
いつものように、リリーローズは伯爵と食事を共にしていた。
屋敷の中は冷えきっていて、手の先は凍えるように痛い。
お互いに何も言わず、ただ黙々と食事を続ける。
多分、今までで一番冷たいディナーだわ、とリリーローズは煮込まれた鶏を小さく切り分けながら思った。
食事自体、とても美味しいのだが、こう空気が冷えていては食べようにも食べづらい。
そんな気持ちを押し殺して、リリーローズは淡々と鶏を噛む。
ふと、横目で伯爵の姿を見る。
右の生え際辺りで分けられた漆黒の髪。雹を思わせる切れ長の黒の瞳。凍っているように白い肌。
美麗な顔つきだが、冷徹な性格で凍るような目つきは、まさしく“悪魔”と言えるだろう。
(それでも、あの時私が感じたこと………………似ているというのは、案外本当かもしれないわね)
黒髪に、黒の瞳。雪のような肌。共通点は多い。
しかし、伯爵のように冷酷では無い。
リリーローズは無慈悲では無いのだ。少し、感情が欠けているといえばそうではあるが、出来る限りの優しさを尽くそうとしている。
伯爵は無感情な人なのだろうか。リリーローズは考える。
いや、そうでは無い。
その証拠に、今日薔薇を飾ろうとしたところを見つかった時に、驚きの表情を見せたでは無いか。
(本当に悪魔のように冷酷非情な人だったら、私に話しかけることすら無いものね。
…………噂とは、違っているのかしら…………)
噂通りなら、伯爵は悪魔の如く無情で残酷な性格だが、実際は大きく違う……のかもしれない。
(…………私としたことが、おかしいわ。政略結婚のはずでしょうに。
私は駒でしかないのよ。そして、あの方も………………)
リリーローズの見つめる先には、相も変わらず無表情で野菜を口に運ぶ伯爵がいた。
明くる日の朝。
部屋の窓から微かに朝日が入り込み、床を照らしている。
その先の化粧台に、彼女は居た。
リリーローズは少し癖の付いた長い黒髪を銀のブラシでといていた。
とく度に黒髪は艶やかにさらさらと流れ、ふわりと肩に降りる。
一通りとき終わると、続いて部屋の壁にある大きなクローゼットを開け、今日着るドレス選びをする。
そのどれもが黒一色で、どれを選んでも彼女に合うようなデザインをしていた。
少し迷った末、アンティーク調の袖口の広がったドレスを選んだ。
内側のレースの重なりの中に、嫋やかな脚を通し、腰まで引き上げる。
袖口に腕を通し、背中は傍に控えていたメイドにホックを留めてもらう。
肌と生地の間に挟まった髪を引き出し、上半分を後ろに束ね、黒いレースのリボンを括り付ける。
仕上げに、横髪を引き抜いて左右のバランスを調整する。
そうして鏡に映った自分の姿を見て、リリーローズは溜息を着いた。
(……ほんとうに、黒薔薇のようだわ………………)
外は少し晴れてはいるが、まだ雲が多い。
暇が出来てしまったので、リリーローズは屋敷内を散策していた。
(書は殆ど読んでしまったし、お手紙も書き終わった……メイド達を手伝おうとしたけれど、困った顔をされてしまったわ。良い迷惑というものかしら…………)
はぁ、と溜息をつきながら、ゆっくりとした足取りで外の庭園を眺めながら歩く。
ふと、脳裏に伯爵の姿が浮かぶ。
あの薔薇はどうなっただろう。
多分捨てられているわね、と自分に言い聞かせる。
(…………それでも、もしかしたら………………)
咄嗟に気になって、歩く足はあの部屋へと向かっていた。
さらさら、と中から文字を書き連ねる音が聞こえる。
伯爵は、中にいる。
(どう、なったのかしら………………)
扉を気付かれないように微量に開け、出来た隙間から中を伺う。
「…………………………!」
花瓶は、捨てられてなどいなかった。
そこには、活き活きとした赤い薔薇が飾られていたのだ。
そして…………。
(…………どうして…………)
リリーローズは驚きを隠しきれなかった。
花瓶には、赤い薔薇に加え、黒い薔薇も飾られていたからだ。
(私は、赤い薔薇しか刺していなかったはず…………なのに何故、黒い薔薇が刺さっているの…………)
目の前の光景をただただ飲み込めずにいると、中から冷たい声が聞こえてきた。
「そんな所で何をしている。」
はっ、としてリリーローズが扉を恐る恐る開けると、怒気を微かに含ませた顔の伯爵がこちらを睨んでいた。
リリーローズはそれに怯える気持ちを押し戻し、それでも小さな声で言った。
「…………覗くような真似をして済みません。其方の花瓶の花が、どうしても気になってしまいまして。」
伯爵は目をぴくりと動かし、「ああ」と花瓶に目を向けた。
「………華やかにしようとした迄だ。赤い薔薇だけではと思ってな。」
「そう……ですか。」
赤い薔薇のみでは物足りなかったのか、とリリーローズは納得する。
しかし、何故よりによって黒薔薇なのか。
白や黄色、桃など、様々に可憐な色があるでは無いか。
リリーローズは気になって、聞いてみることにした。
「あの…………」
「なんだ。」
「薔薇、と言ったら他にも、多種多様な色がありますでしょう。何故に黒薔薇を選んだのですか。」
伯爵は少し考える素振りを見せ、それからリリーローズを見て言った。
「私は、他の目が眩むような色よりも、はっきりとした黒が好きなのだ。」
リリーローズは思ってもみない答えにやや戸惑った。
普通は、赤や黄が花の好まれる色のはずだ。なのに、伯爵は…………。
(黒が好き………か。珍しい方も居るようね。)
それに、何故だろう。前にもあった、この感覚。
前に会話した時よりも、冷ややかさが少し、ほんの少しだけ緩まったような…………。
(気のせい……気のせいよ、きっと。)
リリーローズが何も言えずに居ると、伯爵が文を連ねる手を留めて、迷うように目線を僅かに下に落とした後、リリーローズの目を見て言った。
「………………もうすぐ、私の仕事が終わる。その時になったら……一緒に、庭園に散歩へ行かないだろうか。」
「…えっ……………」
リリーローズは突然の申し出にたじろいだ。
(散歩………この方が自分から言ってくるなんて…………今までは私と会う度に嫌な顔をしていたのに……)
驚きはしたが、それよりも微かに嬉しさが大きかった。
あの冷徹無情の伯爵が、自らリリーローズを誘ったのだ。
今までの対応と比べれば、前代未聞のことだろう。
伯爵はリリーローズの戸惑いようを見て、
「………あくまで、夫婦としての交流を嗜もうと思ったのだが、嫌なら別に良い。」
と、元の冷たい声音に戻って言った。
リリーローズはすかさず答えた。
「いいえ、私も夫婦として、多少の関わりはしておきたいと思っていました。
ぜひ、参りましょう。」
(そう、あくまで世間体のため…………そのためなら行っておくべきだわね…………)
庭園ではしとしとと霧に似た雨がやわらかに降っていた。
空は相変わらず曇っているが、やんわりと雲の隙間から日が差している。
視界が白く曇る庭の中、リリーローズと伯爵はゆっくりと、足並みを合わせ散歩をしていた。
「…………この雨では濡れてしまうな。」
「そうですね……。」
お互いに会話は少ない。
リリーローズは歩いているうちに、綺麗な薔薇の花を見つけた。
「見て下さい、ダズベルト伯爵。薔薇が綺麗ですよ。」
そう言って、リリーローズは暫く薔薇の匂いを嗜んだ。
伯爵は何処か浮かない顔だった。
「そんなに………綺麗だろうか。」
リリーローズは振り返って、綺麗でしょう、と尋ねた。
「…………私にはどれも、同じに見えて仕方がない。」
伯爵が吐き出すようにそう言うと、リリーローズは薔薇を見つめて言った。
「私は羨ましいのです。この薔薇が…………」
伯爵はどうして、と聞くように目配せをする。
「自分らしく咲き誇っているところが、私はとても羨ましい。私はそうではありませんでしたから。」
伯爵はそれを聞き、少し考えるように薔薇を見つめた。
「それは…………どういう意味だ。」
「そうですね…………。
私は生まれながらに貴族の身分でした。礼儀や作法を叩き込まれて、上流階級の教育に励む日々。そんな生活の中で、自分のやりたい事や感じている事が分からなくなっていったのです。
私と同い年の村に住む子供たちは、自分のやりたい事を精一杯頑張っているのに。
そうしたら、他人を羨んでばかりの私が余計に醜く思えてきて、苦しくなりました。
私から貴族の身分を取り上げたら、私はただの娘です。何者でも無くなるのです。長所も短所も無い…………。
それでも生きる意味を探しながらのうのうと今まで生きてこれたのが、不思議なくらいに。」
リリーローズの声は寂しく震えている。
「だから、こんな素敵な薔薇のように、力強く、誇らしく、私の生き方を華やかに咲かせてみたかったのです。」
リリーローズの瞳は哀しく揺らいでいる。
ルデウスは、そんな彼女を、何処か哀愁の籠った目で見つめていた。
リリーローズは、はっ、と気付き、薔薇を撫でていた手を離す。
「済みません、話し込んでしまって………………」
(本当に、つい余計なことまで喋ってしまったわ…………)
羞恥心で胸がいっぱいになる。
と、その時————。
ふわっ。
背中が何かに覆われる。
見ると、伯爵の上着が自分に掛けられていた。
驚いて伯爵を見上げる。
「………私もその気持ちが分かる。」
伯爵はそれまで固く閉ざされていた口を開いた。
「家柄に囚われていては、本当の自分は咲かせられない。私も、よく分かっているつもりだ。」
雨の降る庭園の中、伯爵はリリーローズに心の内を少しだけ打ち明けた。
「私も、幼い頃から一人前の貴族になるため、厳しい教育を受けてきた。その生活は、まるで自分を貴族なのだ、と言い聞かせ、洗脳しているかのように思えた。…………楽しみが、まるで無かった。」
伯爵は淡々と語る。
「楽しみを探す内に、やりたい夢も無いままにこうして大人になってしまった。
本当に、自分には失望する。」
ルデウスは暗い面持ちでリリーローズを見つめる。
リリーローズはそれを見て、ふふ、と笑う。
「………どこが可笑しい。」
伯爵はほんの少し苛立ちを見せる。
リリーローズは柔く微笑んだまま、伯爵を見つめる。
「いいえ……可笑しくはありません。
ただ、ダズベルト伯爵にも私と似たような悩みがあったのかと思うと、何だかお揃いだな、と思っただけです。
………………私達、似た者同士ですね。」
ルデウスはぽかん、としていたが、やがて「そうかもしれない」と小さく言った。
リリーローズはそんな伯爵を見て微笑ましく思った。
(この方にもお悩みがあったなんて知らなかった…………それも、私と似たような………………)
この方を、もっと知ってみたい、と心のどこかで思う。
ルデウスも、微笑むリリーローズを、少し綻んだ気持ちで見つめていた。
(噂では、大層な悪女と囁かれていたが、実際は違った…………
案外、私と同じような悩みを抱えている、ただの令嬢なのかもしれないな…………)
ふと、リリーローズは空を見上げる。
「あら、雨が止んだようですよ。」
伯爵は空を見上げる。
見ると、雨はとうに止み、雲の隙間から白い日の明かりが照っている。
「…………そろそろ戻ろうか。」
「そうしましょう。」
ルデウスとリリーローズは、屋敷に向けて、再度足並みを揃え、ゆっくりと歩み出した。
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