中編
それは、五度目の春のことでした。
坊やは、すみかにしているお寺のうらの林へかえる前、あの空き地にたちよりました。今年はまだ、空き地にさく菜の花をみていなかったからです。
しかし、いってみると、空き地はたくさんの木の板でかこわれて、中がみえなくなっていたのでした。
これはいったいどうしたことだろう、と坊やがおどろいてキョロキョロみまわすと、空き地の前でたたずんでいる二人の人間がいることにきづきました。
一人は四十ぐらいの男の人で、いっしょにいる七十をいくつかこしているであろう女の人を「お母さん」とよんでいました。
「お母さん。来年の春までには、ここに新しい家がたちますからね。オレとおよめさん、むすめ、そして、お母さん……。四人で、たのしく、なかよくくらしましょう」
「ありがとうねぇ。でも、ほんとうにいいのかしら。わたしみたいな年よりがいたら、じゃまにならないかしら」
「なにをいっているんですか。いままでくろうをさせてしまったぶん、たくさん
男の人は、年おいた母親の手をそっとにぎり、やさしくささやくようにいいました。
ネコの坊やは、人間の母と子をみあげながら、人間はなんてうらやましいのだろう、とおもっていました。
(ボクたちノラネコは、病気になるか事故にあえば、あっさり死んでしまう。ほんの数年でおわってしまう命だ。人間に飼われているネコだって、二十年生きるのはなかなかいないと、むかしお母さんからきいたことがある。それにひきかえ、人間は百年ちかく生きるらしい。そんなにながく生きられて……お母さんとずっといっしょにいられて……たっぷりと親孝行ができる時間があるなんて……。ボクは、たった一年も、お母さんといっしょにいられなかった。お母さんに親孝行なんて、これっぽっちもできなかった。人間は、なんてめぐまれて、幸せな生き物なのだろう。ボクも、ボクのお母さんも、人間の親子だったらよかったのに)
ズキリ、とひたいがいたみます。坊やのひたいには、三日月のかたちをしたきずがありました。このあいだ、町のボスネコにおそわれて、できたきずでした。
(ここには、この人間の親子の家ができるらしい。もう、ここにきても、菜の花はみられないし、お母さんにも会えないんだな。……さよなら、お母さん。さよなら、菜の花)
心の中でわかれをいうと、坊やは、じぶんのねどこへと、かえっていくのでした。
ネコの坊やの
その日、坊やは、朝はやくおきると、すみかにしているお寺のうらの林をでて、とぼとぼとお寺の門の前をあるいていました。
もう、あの菜の花をみられず、お母さんにも会えないのだとわかっていらい、このかわいそうなネコはすっかり元気をなくしていました。
「ボク、このままずっと
ふと立ちどまった坊やは、
すると、ニャハハハハという高笑いが、坊やの頭にふってきたのです。
「あんた、友だちがいないのか。だったら、オイラが友だちになってやってもいいぜ」
「キミはだれ? みかけない顔だね」
坊やは、水たまりに目をむけたまま、そういいました。水たまりには、ひたいに三日月のきずがある坊やの顔と、お寺の
「みかけるもなにも、あんたは、この寺の前をとおるとき、いつも
「なるほど、そうか。たしかに、ボクはいつもうつむいて、あるいているや」
「オイラは、この寺の
善知は、ノラネコの坊やを、ちょっとバカにしているようです。
「人間に名前をつけてもらったら、そんなにりっぱなの?」
「あたぼうよ。和尚さまが、
坊やには、善知のいっていることがむずかしくて、半分も理解できません。
しかし、このあいだ空き地でであった男の人も、ひじょうな親孝行でした。坊やは、「ひょっとして、人間はみんな、あんなふうにおもいやりぶかい心をもっているのかしらん。だから、百年も長生きできるのかもしれない」とかんがえました。
また、こんなにもながながと、じぶんにかたりかけてくれたネコははじめてだったので、なんだかうれしくなってきました。
坊やは、何日ぶりかに顔をあげ、善知をみました。
「キミはかしこいねぇ。そんけいするよ。極楽とやらにも、いけるだろうね」
「ああ。でも、あんたは、ずいぶんとバカみたいだから、つぎの命は虫だろうな」
「ボクはそうかもね。けれど、ボクのお母さんは、とてもやさしくて、心のきよいネコだったから、もしかしたら、いまごろ人間に生まれかわっているかも」
母ネコが、人間になって、いまどこかで生きているのなら、いつかこの町ですれちがうかもしれない。そうおもうと、母ネコが死んでいらいずっと心をおおっていた黒い雲がきえていったような、あかるいきもちに坊やはなるのでした。
「そいつは、ちょっとむずかしいかもしれないぜ」
善知は、ムッとした顔で、いいました。
ノラネコなんかが人間になってたまるか、と、このおごりたかぶった飼いネコはおもったのです。
「飼いネコのオイラでさえ、やっと人間になれるか、そうではないか、のギリギリなんだ。あんたの母ちゃんがどんなネコだったか知らんが、ノラならむりだ」
「でも、ボクは、どうしても、お母さんにどこかで生きていてほしいよ。ネコじゃなくなって、ボクとおはなしできなくてもいいから、あたらしい命をさずかって幸せになっていてほしい。そして、極楽というばしょにいって、ボクをまっていてほしい。なんどもなんども生まれかわったら、こんなボクでも、いつかは人間になれるかもしれないでしょ? 善知はかしこいから、なにかいいほうほうをしらないかな?」
「あんたの母親を人間にするほうほうか? フーム」
善知は、ちょっとかんがえるふりをすると、ニヤリと笑い、「ひとつだけあるぜ。あんたが、母親のかわりに、たくさんいいことをするんだ」といいました。
「いいことってなに?」
「そうだなぁ~。いろんなえものをとってきて、オイラに食べさせておくれよ。いつもぜいたくな食事ざんまいで、ごちそうにあきてきていたんだ。たまには、あんたらノラが食べているような、そまつなごはんも食べてみたいとおもっていたところでね。でも、オイラは、ごらんのとおり、こんなに太っているから、すばやくない。じぶんでえものをとれないんだよ。やってくれるかい?」
「べつにいいけど……。それが、ほんとうにいいことなの?」
「仏さまにおつかえするお坊さまの、だいじなだいじな飼いネコを、よろこばせるんだぜ。そりゃぁ、いいことにきまっているさ。仏さまも、およろこびになって、あんたの母親を人間にしてくれるにちがいない」
「わかった。じゃあ、これから毎日、キミにごはんをもってきてあげるね」
「ひひひ。たのんだぜ、
「三日月? それって、ボクのこと?」
「ひたいに三日月のかたちのきずがあるだろ。おぼえやすくて、いい名前だから、おまえにプレゼントしてやるよ」
たしかに、「ヘッポコのぶち」というあだ名にくらべたら、きれいでいい名前かもしれません。
坊や――いいえ、三日月はすなおによろこび、「ありがとう」とお礼をいいました。
こうして、三日月は、善知のために、ごはんを毎日さがすようになったのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます