菜の花にねむる
青星明良
前編
山のふもとの小さな町に、ノラの母ネコと子ネコがくらしていました。
ネコの坊やは、山々の
まもなく、冬がやってきて、ビュウビュウと雪おろしが吹きすさぶ季節を、坊やは母ネコのふところのなかで、ふるえながらすごしました。
そして、冬がさると、春がやってきました。坊やにとって、生まれてはじめての、あたたかな季節でした。
坊やには、たくさんの兄弟や姉妹がいましたが、雪どけのころには坊や一匹になっていました。あるいは病気で、あるいは
やさしい母ネコは、たった一匹生きのこった坊やを、それはそれは愛しました。すこしかまいすぎるぐらいにかわいがりました。お腹をいためて産んだわが子のほとんどをうしなった深いかなしみと、さいごにのこったこの子もいつかいなくなるのではという心配が、母親にそうさせたのです。坊やが車どおりのおおい道路のほうに行こうとすると、首ねっこをくわえて、坊やをねどこにもどすのでした。
あまえんぼうの坊やは、そんな母ネコの心も知らず、
そんなある日のこと。坊やは、つまらないことでお母さんに腹をたてました。あとになって怒った理由をおもいだそうとしても、ぜんぜんおもいだせないほど、ほんとうにつまらないことでした。坊やは、ちょっとでも母親が自分のおもいどおりになってくれないと、ぷりぷりと怒るのです。坊やは、あまえんぼうで、わがままでした。
その日は、とても天気がよく、春のやわらかな風がふいていました。ネコの母子がすみかにしている空き地には、菜の花たちがかわいらしくさき、ここちよさそうに春風にゆられていました。
「坊や。菜の花がきれいだねぇ。こんなにもたくさん、なかよくさいているよ」
母ネコは、宝石のようにうつくしい、こはく色したひとみで、坊やをみつめ、やさしく話しかけました。
でも、怒っている坊やは、顔をぷいっとあっちのほうへやり、こたえませんでした。そのとき、むねがすこしズキズキして、なんでボクはお母さんにこんないじわるをしているのだろうとおもいました。ほんとうは、「お母さん、菜の花きれいだね。ボク、この花がすき」と笑いかけたかったのです。
母ネコは、すこしかなしそうな顔で坊やをみていましたが、やがて坊やのごはんをさがすために、でかけていきました。母ネコが車にはねられて、死んでしまったのは、それから一時間あとのことでした。
近所にすんでいた人間のおじさんが、さんぽのとちゅうに、体がつめたくなった母ネコをたまたまみつけました。
「こいつは、ときどきオレの家にエサをもらいにきていたノラネコじゃないか。車にひかれたのか。かわいそうに。せめて、あそこの空き地にうめてやろう」
おじさんは、そうつぶやくと、菜の花でいっぱいの空き地に小さな穴をほり、そのなかに母ネコをうめました。
坊やは、そのようすを、じぶんよりも背の高い菜の花にかくれて、じっとみつめていました。坊やは、大きな体をした人間という生き物をはじめてちかくで見たので、こわかったのです。
「お母さんは、どうしたのかな。どうして、土のなかにうめられたのかな」
坊やは、おじさんがたちさったあと、母親が土のなかからでてきてくれるのをまちました。三日三晩、そこから一歩もうごかず、まちつづけました。でも、母親は土の中からでてきません。坊やは、ようやく、母親がとおいとおい手のとどかないどこかへいってしまったことにきづきました。あのやさしかったお母さんは、もう二度と、「わたしのかわいい坊や。いい子だね」とネコの坊やにほほえみかけてくれることはないのです。
それから、ネコの坊やは、たった一匹で、生きていくことになりました。
菜の花がかれ、桜がちり、春がさりました。
だんだんとあつくなってきて、夏がやってきました。目がまわるようなあつい日が、ながいあいだつづきました。
坊やは、このままボクはお日さまにやきころされるのかしらんと心配しましたが、いつのまにかすずしくなり、坊やが生まれた秋がふたたびめぐってきました。そして、あっというまに、冬になりました。
この年の冬は、さむさがとてもきびしくて、坊やはごはんをさがす元気もわいてきませんでした。すみかにしている空き地からほとんどでず、お腹はペコペコでした。
それでも、なんとか生きぬくことができ、二度目の春をむかえました。坊やは、季節というものは、あたたかくなったり、あつくなったり、すずしくなったり、さむくなったりと、じゅんばんにかわっていくということにきづきました。そして、大好きなお母さんが死んで一年がたったことも、ふたたびさきだした菜の花をみて、きづきました。
坊やは、あわい黄色の花々をながめ、かなしいきもちでいっぱいになりました。
「あのとき、お母さんは、ボクに『菜の花がきれいだねぇ』と言ってくれた。どうしてボクは、『菜の花がきれいだね、お母さん』とこたえてあげなかったんだろう。いまおもいだそうとしても、おもいだせないような、つまらないことで腹をたてて、あんなつめたいたいどをとってしまった。お母さんは、さびしかっただろうなぁ……」
菜の花がさく、この空き地で春をむかえるたび、ボクは、死ぬ前のお母さんをきずつけたことをおもいだしてしまう。じぶんがいやになってしまう。お母さんがねむるこのばしょからはなれるのはつらいけれど、どこかべつのばしょへいこう。
そうかんがえた坊やは、お寺のうらにある林のなかでくらしはじめました。そして、なるべくあの空き地にはちかづかないようにしたのです。
三度目の春も、四度目の春も、ネコの坊やは、空き地の前を一度だけとおって、今年も菜の花がさいているのをみとどけると、その一年は空き地にはいかないのでした。菜の花の下でねむるお母さんにあいたくてしかたがないのに、空き地のなかに足をふみいれたら、かなしさでむねがはりさけそうなきがして、ちかづけないのでした。
ネコの坊やは、このちいさな町で、
ただ、坊やは、こわくてにげているわけではありませんでした。ケンカをうられても、どうしてもたたかうきになれなかったのです。怒る、ということが、できないのでした。
「ボクは、つまらないことでお母さんに腹をたてて、口をきかないまま、お母さんとおわかれしてしまった。ボクたちノラネコは、あした生きているかさえわからない、たよりない命だもの。なわばりあらそいのために、ほかのネコとケンカしちゃって、そのあとでそのネコとなかなおりできなかったら、ボクはまたおなじような
そんなおもいが、坊やにはありました。
だから、なぐるぐらいならなぐられ、かみつかれるぐらいならかみつかれたほうがいい、とかんがえていたのでした。坊やは、ほかのネコにケンカをうられたら、なわばりをさっさとゆずりました。
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