第5話 黒鎧①
――常に隙を作らず警戒する。
言うは易し、行うは難しだ。そもそもずっと緊張状態にいるよりも、ある程度脱力して臨んだ方が不測の事態には対処できるものではないか?
たしかにノエルに弛緩がなかったとは言えない。長い道中でこの騎士に対して警戒が緩んでいたのは認める。
それでも立ち位置にだけは常に気をつけていた。鞘から抜きながら斬りつけられたとき、背後を取られていては防御が間に合わない。殺気に反応できても剣を抜くのが手遅れになる。
だからこそギリギリで受けられた――。そう思ったのも束の間、ノエルは自分が罠にはまったのを悟った。
二つの刃がぶつかることは、なかった。ニコラスの剣は、寸前で止められていた。
「……すまねえ、はめられた」
目線をニコラスから切らずに、アリスに詫びる。
「確信はあったけどね。さすがに証拠もなく斬るわけにはいかないさ」
寸止めした剣の切っ先を向けながら、ニコラスは下がって距離を取る。証拠ならたった今ノエルが見せてしまった。斬る気がないのを咄嗟に見抜けずに、魔人の力を解放して対処してしまった。紋様の浮き出た顔は言い逃れできない。
「いつから気づいてた?」
「出会ったときからだよ。君の魔力は、魔人三人を相手にするには弱すぎた。いくら技術があっても魔人の動きについて行けるとは思えなかった。強い魔力を隠せるとしたら、それは魔人しかありえない」
魔人は力を解放しない限りは人並みの魔力しかない。そのおかげで普通の人間のふりがしやすいわけだが、今回はそのせいで怪しまれてしまった。
「それとアリス、君は狩りをすると行ったのに弓矢の類いを持ってないね? 普通の人間が素手や投石で狩りをするとは思えない」
――だからぺらぺらとお喋りするのは嫌だったんだ。こうしてぼろを出すことになるから。アリスを睨み付けてやりたいところだったが、今は一瞬とて目の前の男から視線を外す気がしなかった。
「けれど全てがでまかせだったとは思えない。実際あそこの住人は隣村のドロシーを知っていた。そうすると、例えば魔人の二人組が、普通の人間のふりをするために人間の子供を連れて旅をしている――そういう可能性に思い至るというわけさ」
「なるほどね。理に適った推測だ。見当違いだけどな」
「へえ、どこが間違ってるかな」
ノエルは無駄と知りつつ誤解を正そうと口を開きかけ、思い直す。ドロシーが「魔人と知りながら都(みやこ)まで二人と同行している」という事実を知られると、彼女の立場が悪くなるのではないか。
「あんたはおれたちがあの子を脅して従わせてると思ってそうだが、まずドロシーはおれたちが魔人だとは気づいてない。あの子はおれが魔人を倒すのを見てない。家に隠れてたからな」
この辺りの詳細を話していなかったのは幸いだった。適当に話を盛ると矛盾が生まれそうだから言及しないという分別を、アリスとドロシーも含めた三人全員が持ち合わせていた。
「それと、おれもアリスも人間に危害を加える気は毛頭ねえ。ドロシーの村を魔人から助けてやったのも、力の劣る人間から平気で奪い取るような魔人が嫌いだからだ。魔人ってのはみんなそんな奴らだとあんたは思ってるんだろうが、少なくともおれは人間から盗んだり、奪ったりしたことはない」
正確にはそんなふうに清廉潔白を主張できるような人生を、ノエルは歩んでいない。だがこの場を切り抜けられる可能性が少しでもあるならそう言い張るしかない。
「ノエルの言うとおりです。私だって、今まで普通の人間に危害を加えたことなんかありません。暴力を憎む、清く正しい魔人です」
後半に関しては信じていいものか迷うが、とりあえずそういうことにしておく。
「悪い魔人じゃありません、か。それを信じろと? ぼくは人間に無害な魔人なんて知らない。口車に乗って見逃す気はないよ」
やはり無駄か。この男を説得できるような材料も話術もこちらは持ち合わせていない。やるしかないか。この男の魔力は昨日の魔人以上。人の身でこれだけの魔力を鍛え上げたならば、その歳月で磨いた剣の腕はおそらくノエルを凌駕するはず――
「逃がす気はありませんか……でも、魔力はこっちが上ですよね、ノエル? それなら――」
アリスは背負っていた荷物を、おもむろに投げつけた。
そんなことでこの男が隙を見せるはずは――案の定ニコラスは左手で荷物を振り払い、姿勢も目線も揺らがず迎撃態勢は微塵も揺らがず――と思っているとアリスに手を掴まれた。
「――走って逃げちゃいましょう」
「はあ?」
ノエルとニコラスが間抜けな声を上げたのは同時だった。
次の瞬間、アリスはノエルの手を引き全力疾走かと思うような速度で走り始めた。固く握られた手を振りほどけず、必然的にノエルも本気で走り出す。
「ちょっ、待てよ!」
「おいおい、どこへ逃げようってんだい?」
遅れてニコラスが追いかけてくる。だが、ノエルたちとの距離は縮まらない。
「手を離しますけど、ちゃんと付いてきてくださいね!」
アリスはノエルの手を離すと、両手を力強く振って速度を上げる。わけがわからないままノエルも片手に剣を握ったまま疾走する。向かう先は山――こんな所へ逃げ込んでどうしようというのだ?
走力が同じなら逃げるより追う方が有利だろうが、魔人の力を解放すればこちらの方が魔力は上だ。アリスの場合性差による筋力差も考慮しなければいけないが、それでも総合的にはニコラスの身体能力を上回っているらしい。
このまま走り続ければ撒けるか? 向こうがペースを上げればこちらも上げればいい。魔力探知で位置はわかるのだから。後ろから飛び道具で狙われても殺気の感知でよけられるし、そもそも奴は剣だけを持って追ってきているはずだ。しばらく走れば逃げ切れるか?
いや、そう簡単にはいくまい。今はなだらかな傾斜の、下生えも走るのに支障がない程度にしか生えていない地形だから問題ないが、行く手に藪が現われたらかき分けているうちに簡単に追いつかれる。それに――
「おい、置いてきたドロシーはどうする」
「うーん、とりあえず彼を撒いてから、別の道で山を下って村に戻ろうかと思ったんですが……もしかしたら途中で例の“深淵(アビス)”や村の人が見つかるかもしれませんし」
「そんな都合よく……」
しかし消えた村人の消息はノエルも気になった。村に血痕や死体や争った形跡はなかったから、全員でどこかへ移動したのは間違いないのだ。何が原因で?
後ろを気にしつつペースを落として走りながら思案していると、不意に人間のものらしい魔力を感じた。アリスも気づいたらしく足を止めた。
「誰かいるみたいだ。こっちの方向か」
走りやすいルートを通って山を登ってきたが、人の気配がする方向はルートを外れる。さて、こちらへ向かうとニコラスに追いつかれそうだが……とノエルが思っている間にアリスは迷わずそちらに駆け出した。
「あっ! おい!」
仕方なくノエルも後を追う。
気配の主はすぐに見つかった。崖の下、中年の男が仰向けで倒れている。
「大丈夫ですか?」
「ああ、足首をどうかしたらしい。そこの崖から落ちてしまって」
上に目をやると、崖の背後にあるのは鬱蒼とした茂みだ。あんな所で何をしていたのだろう。狩りか山菜採りでもしていたのだろうか。
「麓(ふもと)の村の方ですか?」
「そうだ。君らは別の村から奴らに連れて来られたのかい?」
「奴ら?」
「違うのか? じゃあ通りすがり? こんな所で? いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、すぐに下山するんだ。奴らに見つかる前に」
「だからその奴らってのは誰なんだ?」
ノエルが割り込む。他の村人もそいつらに山に連れて行かれたということだろうか。
「魔人だよ。今朝うちの村に魔人が四人やって来て、探し物を手伝えと言ってきた。真っ黒な、魔力の塊のような物体が宙に浮かんでいるのを探せって。抵抗せず協力すれば危害は加えないと」
どうやら騎士協会だけでなく、魔人たちもこの辺りで深淵(アビス)が目撃された情報をなぜか掴んでいたようだ。しかし深淵狩りに一般人を巻き込もうとするとは、随分大胆な連中だ。
「そんな言葉に素直に従ったのか?」
「もちろん追い返すことも考えたさ! だがあれを見て……あの鎧の男、あれは何なんだ?」
どうにも要領を得ない男の言葉に苛立ちつつも、鎧という単語はノエルの関心を引いた。
魔人の集団を率いていると噂される冥王。そいつは全身を覆う黒い鎧をまとっていると聞いていたからだ。
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