第3話 攻撃衝動②

「お手合わせは私も歓迎しますが、こんな所で怪我をしちゃいけませんから、お互い三割の力でやりましょう。左手の使用もなしで」

 そう言ったアリスの顔から紋様が消える。左手首の骨を傷めているノエルへの配慮らしい。――そっちだけ両手で構わない。そう言いたかったが、昨日見せてもらった彼女の技量を考えれば、その申し出は無礼に当たるだろう。

 向かい合って構える。右足を前に出し、半身になって右手を顔の前に上げる。

 左に提げた鞘から剣を抜くため、右利きの剣士はこうして右足を前にして構えるのが一般的と教わった。

 ノエルも剣術の一環として剣を使わない攻撃方法もいくらかは体得している。打撃ストライキング組技グラップリングからなる格闘術マーシャル・アーツ。だがノエルが学んだ技術体系には、相手を突き放して距離を取るための前蹴り以外の蹴り技は存在しない。無闇に蹴ることで、片足を地面から離してバランスを崩すのを嫌うからだ。

 相対するアリスを見ると逆に左足を前にした構えだ。

 そういえば聞いたことがある。格闘家マーシャル・アーティストの中でも組技より打撃を主に使う者は、利き手が奥手になるよう構えると。

 昨夜の夕餉ゆうげを思い起こす。アリスは鳥を捌くのも右手だった。

 しかし――互いに左手をだらりと下げているため、ノエルが前の右手を伸ばせば、左手のガードがないアリスの顔に簡単に届いてしまう。

 前の手を予備動作なく真っ直ぐ伸ばして素早く引くパンチはジャブと呼ばれるが、ガードを上げずにこれを回避するのは容易ではない。いくら互いに三割の力しか出さない軽い組手とはいえ、女の顔をいきなり殴るというのも……

 アリスがすり足で半歩近づく。完全に射程内。変に気を遣うのはかえって無礼だ。そう思い切って、拳は握らず、放るように腕を伸ばす。

 アリスは首を横に倒してあっさりよける。魔人の常人離れした速度ではない。緩やかによけてみせる。

 ――攻撃があらかじめ読まれている。

 魔人は普通の人間よりも殺気とか害意とか呼ばれるものへの感度が高いが、それだけでよけられるものではない。格闘の場合、相手が攻撃してくるタイミングがわかっても、どんな技でわからないのだ。

 ノエルが再び放った右もあっさりかわされ、やや右側に移動したアリスが、軽く放り出すように足を伸ばす。

 三割の力でやることに同意した以上は、素早くよけるのは無粋だろう。構わずふくらはぎを蹴られる。――が、それだけで――筋肉がしびれたような感覚に陥り、脚に力が入らない。

「なっ……?」

 ――これは、昨日魔人の大男が蹴られた技だ。

 咄嗟に少し強く右を返してしまうが、それも当たらない。今度は左側に回り込まれ、下から突き上げるように拳が襲ってくる。アッパーというやつか。つい左手で受けてしまい、手首に鋭い痛みが走る。

「つっ……!」

 このままでは防戦一方だ。ノエルは試しにやられた技を返してみる。間合いを調整して、見様見真似でアリスのふくらはぎを目がけ、足先を走らせる。

 瞬間、足首の辺りに鋭い痛みが走った。

 何をされた? アリスは蹴りが当たる瞬間……爪先の向きを、蹴りの来る方向に向けていた?

「下半身への蹴りには、正しい受け方があるんです。上手く受ければ蹴った方にダメージが行きます」

 両足にダメージを受け、重心が浮いてしまっていた。体勢を低くしたアリスが突っ込んでくる。組技か? 受け止めようとしたノエルの首を、伸ばしたアリスの手が鷲掴みにする。そのままずんずんと押し込まれ、木の幹に押しつけられた。

 脱出しようとするが、上手く力を逃がされてしまう。背中を押しつけられ、腹部に膝蹴りが飛んでくる。

 こちらも首を掴んで――いや、そもそもこんな体勢になっている時点で、実戦ならもう敗北している。

 そこに思い至った以上、潔く負けを認め――そう思ったとき、辺りに脳天気な声が響いた。

「お待たせー。すごくさっぱりした……きゃあああああ!! お、お邪魔しましたあ~!」

 水浴びから戻ってきたドロシーが悲鳴を上げた。一瞬わけがわからず固まってしまったが、どうやらノエルとアリスが半裸で密着しているところを見て勘違いしたようだ。

「待て、誤解だ! ちょっと一戦交えてただけだ!」

「終わるまで向こうに行ってるんで! ごゆっくり!」

 半裸の二人で追いかけると迫力があるので、アリスにだけ追いかけてもらう。――やれやれ、朝からこんな騒がしいのが続くようじゃたまらんぞ。



「紛らわしすぎるよ。私てっきり……」

「すみませんでした。でも格闘術マーシャル・アーツというのは日々の鍛錬を欠かさないのが大事なんです」

 誤解を解き、交代で水浴びして身支度を済ませる。

「昨日今日会ったばかりの相手だぞ。魔人をなんだと思ってるんだ」

 自分も勘違いしそうになったのを棚に上げて言う。

「うー、ごめんなさい」

 夜道を歩くのを避けただけで、次の村までは遠くない。陽が高くなる前に辿り着けた。

 この村の住人とは顔見知りだというドロシーが、村の代表兼雑貨屋のようなことをしている男にノエルとアリスを紹介した。

「二人で魔人三人を!? たいした腕だねえ」

「いえいえ、私はちょっと手伝っただけで、ほとんどは彼が」

 村に現れた魔人たちを、たまたま滞在中だった旅人二人が撃退してくれたという説明は、実際半分は本当なのもあり、またこの村の者からするとドロシーが嘘をつく理由もないため、特に疑われることもなかった。

 都と違いこの辺りは物々交換が基本だ。ドロシーが家から持ち出してきた衣服と三人分の日持ちする食料を交換する。彼女に全て出させるのは悪い気がしたが、護衛代だと思って大人しく受け取っておく。

「しかしそうなると彼らは無駄足になっちゃったな」

 衣服と交換するには多すぎる量の食料を気前よく詰め込みながら男が呟く。

「彼ら?」

「今この村に、都から来た騎士が泊まってるんだよ。二人組で、一人は随分若い男の子だったよ」

「騎士の方が?」

 アリスが平静を装って聞く。

「そう、何でもこの辺りの村が三人組の魔人に襲われたらしくてね。都の騎士協会に依頼があったんだと。それで二人が派遣されたらしいんだが、君らがやっつけたなら彼らの出番はないね」

 どうやらドロシーの村の前に、被害に遭った村があったらしい。

「やっぱり余罪があったのかよ、あいつら……」

「そのお二人、今村にいらっしゃるんですか?」

 アリスが動向を気にするのは当然だ。騎士というものは人類に仇なす存在と戦うために存在する。魔人であるというだけで、ノエルもアリスも全ての騎士にとって敵と見なされる。

「いや、今は山に入ってるよ」

「山?」

「近頃熊が麓まで下りてくることがあって困ってるという話をしたらね、何とかしてくれるって……そう言えば昼前には戻ると言ってたな」

「へえ、熊が……」

 アリスが適当な相槌を返す。くだんの騎士二人が帰ってくる前にさっさとここを出たいと思っているのは明らかだった。

「そうなんだ……それじゃあわたしたち先を急ぐから、またね!」

「ああ待ってくれドロシー、できれば君から騎士の人に説明を……」

 聞こえなかった振りで飛び出すドロシーについて行き、怪しまれない程度に早足で村を出た。

 ノエルとアリスがぴたりと足を止めたのは、ほとんど同時だった。

 どちらの異変に気づいたのが先だっただろう。

 風に乗って運ばれてくる血と獣の臭い。

 明らかに常人より遙かに強い魔力。

 向こうから歩いてくる足音が聞こえてきた。片方が異様に重たい、二人分の足音。

 近づいてきたのは、身の丈を超える熊の死体を背負った男と、その後ろに付いてくる二人分の荷物を背負った少年だった。

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